第四幕 004話 商家の令嬢_2
「喧嘩売ってるんだろ。買うぜこの野郎」
「お嬢様!」
「黙ってろイオエル。アタシは貴族じゃねえけど、舐めた真似されて黙ってられるかよ」
何がそんなに気に障ったのか知らないが、ワットマ直衛の騎士に喧嘩を売るなど予想もしなかった。イオエルが甘いのか。
「私の部下が何か失礼をしたかな?」
他にも警備はいるが、指名したのはワットマの斜め後ろに立つ男だ。
立っている姿だけ見ても相当な強者。噂に聞く風貌から照らし合わせて英雄ビムベルクだと思う。
何に喧嘩を売るつもりだ、この娘は。
いや、買うのか。売っている様子ではないものを買うとか、大陸一の豪商一族の直系はそういうことも出来るのだろうか。
「アタシらの前に、これ見よがしにそんなもの連れてきて」
と、示したのは女給。
男の横に立ち、先ほどからそれぞれに茶を入れたりしていた女。
「呪枷もつけてない奴隷なんて連れて。そりゃあアタシらへの当てつけだろうが」
「あー、いや。わりい……そういうわけじゃねぇんだが」
「嘘つけ!」
ばん、と卓を叩いて立ち上がるハルマニーに、男は頭を掻きながら困った顔をする。
卓を壊さなかった。
ハルマニーの力で本当に怒りによって叩いたのなら壊したはず。
力加減をしたところを見れば、一応はエトセン公の手前配慮したということ。
演技か。祖父や両親が時折やるように、怒気を示して交渉を有利に運ぼうと。
ハルマニーなりに考えて、難癖をつけてみせた。
考えたというにはあまりにお粗末で、ただイオエルの邪魔をしただけなのだけれど。若年で考えの足りない少女による両親の猿真似というか。
影陋族の奴隷だ。
呪枷をつけていない。だが命令には素直に従っているようでもある。
何も言わずに女給の務めをこなすので、よく見なければそれと気づかなかったかもしれない。
「だったらなんでわざわざ連れてくる? こんな所に」
ハルマニーの疑念もわからないでもない。やや決めつけが過ぎるにしろ。
「いやな、こっちとしてもあんまり恰好のいい話じゃねえからよ。てき……アトレ・ケノスの商人に金を……協力を頼むってぇのは」
男が言い繕う言葉は、途中失言を交えながら。
失言というのならハルマニーも劣ることはない。この勝負の行方はわからない。
「誰でも聞かせられるって話じゃねえ。女官の中にゃ色々あんだろ。そういう繋がりとか」
「知らねえよ」
「ああ、俺も副官から言われただけだ」
なんだ、似た者同士か。
見たこともない副官とやらの心中にどこか仲間意識を覚えないでもない。
「んで、こいつならそういう心配はねえからな。それで連れてきたってだけなんだが」
「すまないな、ハルマニー殿。君らは影陋族と関りが深く抵抗が少ないかと。そういう判断もあった」
ワットマも合わせて他意はないと言う。
嘘ではないのだろう。
悪意はなく、情報の流出などをなるべく避ける為に影陋族の奴隷を使った。
他は、おそらく領主の信頼が厚い部下のみ。
体裁の悪い交渉をするのだから、出来るだけ秘密裏に。
どこかからエトセンや近隣の豪商に話が伝われば、蔑ろにされたと怒るか一枚噛ませろと割り込んでくるか。
面白いことにはならない。
「お嬢様……」
勘違いの勇み足だ。
そうわかっても、素直に引き下がれるような性格ではないことも知ってはいるが。
「……うるさい」
こういう我が侭娘に育ててしまった彼女の祖父には責任を取ってほしい。
だから跡取り候補として二番手となり、それを察して余計に機嫌が悪いのかも。
「うるさい、勝負だ! 勝負しろ」
「……」
子供の癇癪だ。
自分が悪いと認めたくなくて、今まで誰もハルマニーを諫めるような者もいなくて。
振り上げた拳を下ろせず、癇癪を起している。
馬鹿々々しい。
本当に、馬鹿々々しい。これでハルマニーが罰せられるだけなら構わないのだが、イオエルも無事では済むまい。
交渉が決裂して帰ったとしても、今度は本家から罰せられる。なんという貧乏くじか。
「……受けてやれ」
救いの手があった。
「ビムベルク」
「はぁ」
交渉相手から救われる。
貸しを作りにきたはずなのに、精神的には借りを作ったような気分。
余計なことを言ってくれた我が侭娘をどうしたものか。
「構いませんがね」
「よぉし、表に出ろ」
「だから表沙汰にしたくねえって言ってるだろ。人の話聞けよ」
「なんだとぉ!?」
「裏の練兵所を使え」
激昂するハルマニーに、ワットマの声音が少し明るい。
不利なだけの交渉をするはずが、思わぬ方向に転んだことで気が楽になっているのかもしれない。
こういう借りを作ると、後の交渉に響くのだとわからないか。わからないからハルマニーなのか。
「ビムベルク」
やれやれと言う顔の部下に向け、ワットマはやや楽し気に、
「お嬢様に怪我をさせるなよ」
本当に余計なことを言ってくれて、憤るハルマニーを宥める役のイオエルの苦労をさらに増した。
※ ※ ※
「……で、何事ですかこれは」
「何事に見えるんだよ?」
聞き返されて、改めて状況を確認する。
――上官が、年若い娘を力づくで手籠めにしている、かな。
「……言うな」
「まだ言ってませんけど」
「言うな」
眉間を押さえて、頭を弱々しく振るビムベルク。
英雄のそんな姿を見る機会は少ない。飲み過ぎた翌朝によく見るから、意外と少なくなかった。
「お前、超強いなぁ」
ビムベルクの胸ほどまでしかない背丈の少女が、ビムベルクの前に倒れたまま呟いた。
やや陶酔するような声音で、息も荒く。
「アタシをこんなにぶったのは母様くらいだ」
「……」
犯罪者。
たぶんそうだ。きっと犯罪者。
少女を叩いて手籠めにするなんて、犯罪以外に有り得ない。
相手は影陋族ではない。人間の少女だ。ルラバダールの法ではそういうのは厳罰と定められている。
英雄だから許されるとかいうのはアトレ・ケノスの文化。
ここはルラバダール王国領エトセン。法で禁じられている。
「いや、お前もなかなかのもんだぞ。あー、えぇと」
「ハルマニーだ」
なぜだか、ビムベルク達を挟んで反対側に鏡があるような気がした。
ツァリセの視線の先に、ツァリセと同じような表情を浮かべた見知らぬ男がいる。年齢も近いように思う。
気苦労を感じさせる顔のせいで年齢を多く見られそう。
スーリリャは隅っこの日陰に。
見れば遠目にワットマ達の姿もあった。観戦していたということなのだろうか。
ツァリセは他の用事を片付けて、そろそろ話し合いも終わるかと交渉の場に向かったのだが、誰もいなかった。
聞きつけて練兵場まで来てみれば、なんとも理解しにくい状況。
たぶんこの少女がミルガーハの当主代理。今の名乗りが嘘でなければ。
ビムベルクがなかなかのものと評したのは、彼女の戦闘能力だろう。ミルガーハの直系はかなり腕も立つと聞く。
頭の方は、たぶんツァリセの上司と大差なさそう。良いとか悪いとかではなくて。
「決めたぞ」
思い込みとか独断とか強い部分も、よく似ている。
「アタシをお前の妻にしろ!」
「……」
ワットマがにやりと笑ったのが遠目でもわかった。
隣の財務官は涼しい顔で頷いて、手元の帳面に何やら書き入れる。
「……で、何事ですか? これは」
金策の話だったと思うのだが。
中年男が力づくで若い女を得るという話ではなかったはず。
「……教えてくれ」
「知りませんよ」
上官の犯罪の隠蔽や偽装は副官の仕事だろうか。
訊ねたら肯定されるかもしれないので言わなかった。
※ ※ ※
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