第三幕 103話 雲隠れにし‗2



 鳴いてしまった。

 随分と、大きな声を出してしまったかもしれない。


 メメトハが強く求めてくれた。

 強く愛してくれた。その気持ちに引っ張られて、思わず自制が利かないほどに熱く。

 その前の言葉がよくなかったのかもしれない。



 ――妾なしでは寂しくて眠れぬ。



 知っている。

 そういう気持ちは痛いほど知っていて、いつも抱えていて。


 そんな風に思うようにしてやると言われて、心が柔らかくなってしまった。

 メメトハの肌を感じながら、その心に自分の心も溶けてしまいそうで、形が変えられてしまいそうで。


 はしたなく、舌を絡ませて鳴いてしまった。

 もっと、もっと私を、と。


 気が付いたら疲れ切って眠っているメメトハが隣にいて、しっとりと湿る肌はまだぴったりと繋がっていて。

 思い出したら困ってしまって、メメトハが起きる前に抜け出してきた。




 まだ夜明け前。

 空には雲が多く、切れ間に僅かに星が見える。


 星空を見るのは好きだ。

 昔見た。

 母さんは黒い体で、光が撥ねるとそれが星空みたいで。

 闇夜に浮かぶ星空は母さんと似ていて好きだ。



 そういう気持ちで空を見上げる私と、彼女と。

 彼女はどういう気持ちなのか。

 それはわからない。母さんの気持ちがわからなかったように、彼女の気持ちもわからない。



「……誰もいないと思っていたんだけど」


 少し気まずそうに、彼女の方から喋りかけてきた。


「ウヤルカも撒いたのに、貴女には……」


 偶然居合わせただけだったけれど、彼女は私が意味があってここにいると思ったらしい。



 ここにいる。意味がある。

 そういうことがあるのか、わからない。

 運命とかいうもの。


 けれど、やはりあるのかもしれない。

 母さんがあの洞窟にいて、私があの洞窟に行って。

 そうでなければ出会わなかった。私は救われなかった。


 ルゥナが洞窟に来て、彼女を拾って。

 こうして清廊族たちの為に戦っている。

 たまたま居合わせただけのことだけれど、繋がっていくことで何か意味が生まれるのかも。



「ちょうどよかった。話をしておきたかったんだ」

「なに?」


 用事があったのなら、やはり無意味ではないのだろう。


「私を心配する必要はもうない」


 そう言って、手にした弓に矢をつがえる彼女。


 手には何もなかったけれど、弓の弦に指を添えると同時に氷の矢が生まれる。

 綺麗だと思う。

 その弓も矢も、構えるニーレの姿勢も。


 空に見える星に向けて、矢を放った。



 ひゅいぃと、空を切る音を響かせながら空に消えていく氷の矢。


「ユウラは、私と共にいるから」

「……そうね」


 嘘だと思う。

 平気なはずがない。


 私だって、母さんは私の中にいるけれど。

 いつまで経っても、ちっとも平気なんかじゃない。

 永遠に、平気になんかならない。なってはいけない。




「人間どもを全て殺す」


 いつの間にかニーレがこちらに向き直っていた。

 真っ直ぐに私を見て、はっきりと呟き、そのまま口を閉ざす。


「……」

「それで間違いない、んだよね?」


 確認された。


 なんだろう、先日もトワに同じようなことを聞かれた気がする。

 信用されていない?


 それも仕方がないか。

 だって、私は、清廊族では異質な存在なのだもの。

 異物、だから。




「そうよ」


 トワにも答えたと思う。こんな風に。


「間違いないわ」



「ユウラはそんなことを望んでいない」



 ニーレは私から目を逸らすことなくそう言って、いくつかの呼吸の後に首を振った。


「そう言う奴もいるだろう。そんなことわかっているんだ」

「……」


 ニーレの中の、収拾が着かない想い。

 そういうものなのだと思う。彼女もまだ混乱の中で、それでも前に進もうと。


「これは私の復讐だ。私が、成し遂げるべきことなんだ」

「……」

「だから……」


 歩き出す。

 私に向けて、ゆっくりと。



 距離が縮まり、ゼロになり、そしてそのままニーレは私の横を抜けていった。


「私を、そこに連れていってくれ」




 足音が遠ざかる。

 ニーレが踏みしめて進む足音が聞こえなくなり。

 その足跡をかき消すように、やや強い風が吹いた。



 髪が風に舞い、片手で押さえた。


「ええ」


 もう聞こえないだろうけれど、応じる。

 ニーレの願いは、私の願いと同じ。


「……?」


 同じだと、思うのだけれど。




「ユウラは、そんなこと、望んでいない?」


 ニーレの言葉を反芻してみて、空を見上げる。



「そんなこと、ない」


 再び風が吹き、髪を躍らせた。

 ゆっくりと動く雲が、光る星を隠していく。


「そんなこと、ないわ」


 きっと、ニーレは勘違いしているのだろう。



 貴女には、復讐を成す為の力が遺されたのだから。



  

/第三幕 完/

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