第三幕 102話 雲隠れにし_1



「……あの」


 セサーカが、おずおずと声を掛けてくる。


「離れませんか?」


 聞こえてくる声から逃げようと。

 耳に届くそれに心がざわつくから、離れたいと言う。



「……」

「もう心配ないと思います、から」


 むしろ心配なのは別か。難しい顔をするルゥナのことを。



 息を吐いて、頷く。


「わかりました」


 好きな声だけれど、聞いていたくない。

 ルゥナではない誰かにあんな声を上げるなんて。




 セサーカと共にその場を離れ、外に出た。


「必要なこととは言っても、嫌ですよね」

「……そうですね」


 清廊族は長寿な為に、特定の誰かと生涯を共にするということが少ない。

 婚姻という言葉はあるけれど、割と緩いものだ。

 こういう違いは人間の生活を見て知った。人間どもは、もう少し強く伴侶との関係を縛る。


 人間など大嫌いだけれど、この違いに関してだけなら、今は少し羨ましく思った。

 アヴィを、ルゥナだけに縛りたい。他の誰かと触れ合わせたくない。

 縛り付けて、あの肌も乳房も舌も、淫らな声も。全てルゥナだけが独占できたらいいのに。


 それでは人間が使う隷従の呪いと変わらない。けれど、それさえほしいと思ってしまうのは罪だろうか。


 こんなことを思う一方で、疼く気持ちをトワに慰めてほしいなど。

 どうしようもない罪悪感だけど、トワは許してくれる。




「すみません、私は……貴女に謝らなければなりません」

「なんです?」

「ミアデのことです」


 忘れているのか、セサーカはまるで心当たりがないように首を傾げた。


「ティアッテのことですか?」

「それも、です。貴女から離してティアッテの世話をさせましたが、こういう気分だったのかと」


 溜腑峠の砦で、怯えて不安定な状態のティアッテに与えるようなことをしてしまった。


「あの時は仕方がなかったでしょう。ミアデから離れようとしませんでしたし」

「ですがミアデだけにしたのは、その……」

「襲われちゃったかもしれませんね。あの子は可愛いですから」


 私でも襲っちゃいます、と。セサーカはくすりと笑った。


 おや、と少し意外に感じた。

 ミアデに対してはもっと執着を見せるかと思ったのだが。

 ルゥナが思っていたよりセサーカの独占欲は強くなかったのか、それとも何か心境の変化があったのか。



「ティアッテ以外のことでも、何かありました?」


 他に何かと聞かれ、息を整え直して頷く。


「私です」

「?」

「アウロワルリスを越えて、私が自失していた時に」


 思い返して、ああ、ともう一度笑う。


「そうでしたね」



「あの……」

「襲っちゃったんですか?」

「……少し、心地よくて……いえ、かなり。別の意味で我を忘れて、たくさん口づけを、あちこち」


 素直に謝る。

 嘘をつくのはやめようと。セサーカにこれ以上罪悪感を重ねたくない。


「知っていますよ」


 セサーカは既に知っていた。


「あれだけ口づけの痕が残っていれば、さすがに」

「……」


 みゅう、と萎む。

 あの時のルゥナはどうかしていた。

 許して受け入れてくれるミアデに対して、貪るように吸いついたような記憶がある。


「ミアデは可愛いでしょう」

「……はい」

「あの子はあの子なりに考えてやっているんですから。私がどうこう言うことではないと思いますし」


 セサーカの方がルゥナより清廊族的な考え方らしい。

 ミアデを縛り付けることはなく、彼女の意志に任せると。

 愛していることと束縛することを別に。そういう切り替えがルゥナには難しい。




「ティアッテのこと」


 不意に、セサーカが表情を静かに変化させた。


「ミアデで抑えが利くのなら、私に気遣いは不要です」


 先んじて言われてしまった。

 本来、ルゥナが切り出すべきと考えていたことだ。


「氷乙女の力は絶対に必要です。ミアデが楔になってくれるなら、私の気持ちなど配慮いただかなくて結構ですから」


 強い意志。

 セサーカの瞳に確固たる決意のようなものが見える。いつからなのか。


 個々の心情よりも、全体の勝利に捧げる決意。

 ユウラのことがあったから、セサーカも変わったのかもしれない。



「……ですが」


 踏み躙りたくない。蔑ろにしたくない。

 誰かの心を無分別に差し置いて問題を解決しようなど、人間の所業だ。


「出来るだけ、そうは――」

「言い換えます、ルゥナ様」


 きつと、真っ直ぐに見据えられた。


「ティアッテのことでミアデに何かを頼むのなら、必ずそうして下さい。私への遠慮は侮辱に思います」

「……セサーカ」


 強く、断固として。


「全てはアヴィ様の為に。その為になら、私は何でも捧げます」


 ルゥナに判断を誤るなと、厳しい目で告げた。

 戦いに必要であればセサーカの心情など思いやる必要はない。むしろそれは侮りだと。


 こうまで言われてしまえば、これ以上はルゥナの言い訳にしかならない。

 セサーカに嫌われたくない。そんな甘ったれた根性で決断を鈍らせるなと。



「……貴女の言う通りですね」


 ニーレとの関係の修復もままならないまま、誰かに嫌われたくないと。

 腰が退けた気持ちでは、戦いなど出来ない。

 セサーカの叱咤を受けて、改めて自分を戒める。


「わかりました、セサーカ」

「生意気を言ってすみません」

「いいえ、私も目が覚めました。ありがとう」


 頷き合い、くすっと笑う。



 初めて会った時と比べれば、お互いの関係が随分と変わった。

 それがおかしくて、大切に思う。


「そうは言っても寂しい気持ちもありますけれど」


 笑みが僅かに翳る。

 当然だ。ルゥナだって、アヴィが今どうしているかを思えば。


「私で役に立てるのなら言ってくださいね」

「あら、いいんですか?」


 ついっと、セサーカに距離を詰められた。

 セサーカの頬が、ルゥナの頬に温もりを伝えて。


「それなら遠慮なく」

「ふぁ……く、くすぐったい、ですから」


 耳元に囁かれ、竦んだ肩を掴まえられてしまった。

 そういう意味で言ったわけではないのだけれど。



「ねえ、ルゥナ様」


 こんなに熱を込めた囁き方をする子だっただろうか。これも成長したということなのかも。


「私にもご褒美を、くださいますか?」


 ご褒美。

 トワにせがまれて、そういうことならと許してしまう。

 セサーカはトワ以上に皆に貢献してくれている部分がある。そう言われてしまえば。



「その……私なんかでは」


 先ほど、アヴィの鳴き声を聞いた。

 その時に感じた熱が、体の中心で再び疼きだす。


「ミアデには、して下さったんでしょう?」

「……はい」



 ルゥナは軽薄なのだろうか。あるいはルゥナも清廊族だからなのか。

 アヴィには貞淑を願いながらも、誰かに求められる自分を心地よく感じてしまう。

 相手がセサーカだからだと言えば許されるかも。


「ルゥナ様も、あの声を聞いて熱くなっていらっしゃるみたいですし」

「あ、う……」


 セサーカの指が、脇からと、腿の裾からルゥナの肌をなぞった。

 逆らおうと思えば逆らえるのに、そうしたくない。



「ほら、こんなに熱いですよ」

「っ」


 ルゥナの熱にセサーカが触れて、震えが走る。


「お願い、です」

「なんですか、ルゥナ様?」


 ちょっと意地悪な瞳に、目を伏せて。


「……別の場所、で」


 どこかに隠れて、と。おねだりをした。



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