第三幕 095話 嗤う死者と鞭打つ生者



「全く、強情な奴よ」


 因果応報という言葉を思い知る。

 身に染みる。


 敵に捕らわれる辱め。

 自由はなく、尊厳を踏み躙られ。

 謝ってしまっていたかもしれない。あの影陋族のように。


 ああ、そう考えれば有難い。

 あの影陋族は良いものを見せてくれた。


 情けない姿を。

 憎むべき相手に許しを請う姿。

 あの無様さを知っているから、同じことはしない。それなら死ぬ。



 もっとも、責め手の手練手管も幼稚なものだ。

 今さらこの身をどれほど痛めつけられても、もう自分は死んでいる。


 体の痛みなどどうでもいい。

 いや、いっそ苦痛のお陰で少しは安らぐほど。


 愛する者を、守るべき者を。

 幼い頃から生意気な妹のようだったコロンバ。彼女を死なせたグリゼルダをもっと責めてくれ。



「あのバカ女の為に壊滅したと、なぜ言わん!」

「っ!」


 乱雑に皮を剥いた木の棒で何度となく打たれた。



 馬鹿め、誰が言うか。

 拷問している男とは別に、記録係がいる。

 虚偽記載を許さない呪術の掛けられた記録書を使う。


 形だけでも法に従い、証言者が言った言葉しか書き記すことが出来ない。

 その言葉が、激しい拷問の末に吐かれたものであっても。

 グリゼルダの口から洩れれば、それは公式の記録となる。


 コロンバのせいで作戦が失敗した。

 そう言わせようと躍起になるクズども。



「何度でも……言ってやる」


 口の中は水気がない。渇いて血の味すら感じなくなった。


「失敗したのは全て、イジンカの指令本部のせいだ」

「このっ!」


 再び打たれる。

 打っている男は、そういえば今になって思い出した。

 以前にコロンバが訓練と称して叩きのめしていた男だ。


 打たれても、痛みを感じることさえ薄くなってくる。

 そろそろ終わりか。



「あの町の占拠は成功した。成功を妬み、増援を送らなかった貴様らの失態だ!」

「黙れ!」


 自分のどこにこんな力が残っていたのか不思議なほど、腹から声が出てくる。


 黙ってなどやるものか。

 最期まで嗤ってやろう。この愚かな敵どもの情けない顔を。

 きっとコロンバも、最期まで笑って死んだに違いない。



「増援も、食料も、影陋族どもを従える呪術師も! 貴様らが渋り、全てを失った!」

「ええい黙れぇ!」

「しゃぶぇっ……喋れと言っただろう? 言ってやるさ、イジンカ司令部の失態だ! コロンバは役目を果たし見事に戦った! 見殺しにしたイジンカ司令部がイスフィロセの裏切り者だ!」


 嗤い声も混じりながら、棒で打つ音よりもずっと大きな声で響き渡る。

 部屋の外にも聞こえるように。



「誤魔化そうとしても海は知る! 海風が告げる! 誰が女傑を殺したか!」


 イスフィロセは海洋国家だ。波と風は真実を世界に運ぶと言う。


「あの女が! 作戦を台無しにしたのだ!」

「違う!」


 作戦のことを責めるなら、グリゼルダか軍司令だったライムンドの責任。

 断じて、コロンバの罪などではない。



「いずれ海が裁く! イスフィロセの波が、愚劣な裏切り者の貴様らを!」

「黙れ! 黙れぇ!」

「はは、はははっ! あははははっ!」


 嗤う。

 嗤う。


 しばらくすると、静まり返った室内には男の荒い呼吸だけが響いていた。




「……死んでいます」


 記録官は、傷のない場所を見つけられない女の体を見聞して、肩で息をする男に告げた。


「嗤いながら……主と同じ気狂い女でしたな」

「……ふん!」


 もう一度、棒がその身を打った。


「力だけのバカ女も、心酔するこのバカも……忌々しいバカどもだ」

「まさしく」

「本国には指揮官戦死で記録なしと報告するしかない。それにしても……」


 嗤ったまま固まっている死体を見て舌打ちをした。


「本国から送られてきたあの呪術師どもも、何の役にも立たん。クズどもが」



 確かに、度肝を抜かれた。

 空を飛ぶ船。

 風向きや高度などを測定、計算して、投擲した物の落下位置をおよそ見定める器具。


 そして、火薬の詰まった球体。

 かつては、せいぜい派手な音を巻き散らす程度の威力だった。

 この十数年の間に火薬の技術が磨かれたらしい。



 それらもまた、不遜な呪術師が飛行船と共に研究開発を進めたのだとか。

 呪術師などという種類の人間は誰も不遜で不気味だが、今回の男は特に異様な雰囲気だった。


 どこが、と言われても説明しづらい。明らかに強いことはわかったが、それとは別に。

 今まで見たことのない生き物。

 人間の形をしているが、どこかおかしい。

 それを言うなら、何か違う生き物が人間の皮を被っている。そんな表現が適切か。


 見た目は老人だが、喋り口調は成人前の若者のようで。

 喋っている内容も奇妙なものだが、人間を見ている目ではない。

 生き物相手ではなく、草木に向けて道徳を説いているかのような喋り方。


 人間の振りをした未知の魔物のように感じて、誰もが深く関わることを嫌った。



 流郭のダァバ。

 呪術師界隈では有名な、伝説の大呪術師らしい。

 噂通りなら二百年前から生きているというが、それを噂と一蹴するのは躊躇わされる男だった。



 報告では、ダァバが乗っていた飛行船も落ちたのだとか。

 惜しい。

 好き嫌いはともかく、遥か上空から攻撃できる手段というのは非常に有効だ。

 それでなくとも、上から下を見下ろす気分はどういうものなのか。悪い気分ではあるまい。



「……」


 好き嫌いの問題とは、別。


 考えてみれば、計算が合わない。

 女傑コロンバは、勝手気ままな性分という一面もあったが、このカナンラダ大陸においてはイスフィロセ最強の人間だ。

 簡単に殺せるような女ではない。


 付き従っていた中には、この付近ではトップクラスの冒険者たちもいた。

 正面からやり合えば、このイジンカに残る全ての戦力でも互角か、それ以上になりかねない。

 その上に飛行船もあり、ダァバと彼の異様な部下たちもいたというのに。



 それだけの戦力が、影陋族に敗れた?

 湖の町は、影陋族にとっても戦略上の重要拠点。

 奪い返すのに死力を尽くすことは想像に難くない。


 しかし、一度は奪った拠点を奪い返されるほどの攻勢とは考えていなかった。

 ただ奪い返されたというだけではない。ほぼ壊滅状態での敗戦。


「……」


 有り得ない。

 今更、その事実を認識する。


 責任をどこかに押し付けようとばかり目がいってしまっていたが、問題はそこではない。

 目下の問題は、現実の敵だ。



「……ちっ」


 再度、死体を打った。


 喋らない。使えない。

 役に立たない女だ。

 殺すのではなかったか。敵の情報をもっと詳しく聞き出しておけばよかった。



「……」


 嗤い顔のまま死んでいる。

 この先に破滅が彼らを待ち構えていると、嘲笑うかのように。


「この……っ!」


 震える手で何度も死体を打ち据えても、腹の底から湧いてくる生温い不快感は消えなかった。



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