第三幕 096話 エトセン公の煩慮



 カナンラダ大陸におけるルラバダール王国最大の都市エトセン。

 エトセンの領主は、この大陸の最高権力者とも言える。


 ルラバダール王国カナンラダ方面諸令エトセン公ワットマ・ロザロ・クルズ。四十半ばの彼が過去にこれほど悩んだことはない。

 執務室で一人、こめかみを押さえて呻く。



 父から後継者として指名された時には、兄や弟を差し置いてということで多少は気にもした。だがそれは父が先んじて手を打っていたので、ワットマはほとんど何もしていない。

 兄弟にはロッザロンド大陸での立場を作り、本国への帰還という形で兄弟争いを避けた、


 ルラバダール王国は歴史の長い国だ。統一帝の死後に分裂した中で、唯一政治形態を変えずに続いている国家。

 長く積み上げて来た中には暗く陰惨な史実もある。当然だが。


 過去の貴族には、肉親での争いの末に没落していった家も少なくはない。

 貴族と言っても人間には違いない。血を分けた子同士が争うことを喜ぶ親など、そうそういるはずもないのだが。やはり損得は時に肉親の情を忘れさせてしまうものだ。



 こういう点では、カナンラダ大陸の総領事という立場は便利とも言える。

 後継に選ばれなかった兄弟でも、本国にして都会であるロッザロンド大陸に行くとなれば、全く恥じることではないのだから。


 案外、地方の責任者などよりそれを望む者がいてもおかしくないだろう。

 父もまた、祖父からそのようにして椅子を譲られた。ワットマも、七年ほど前に父が引退する際、同じように。



 エトセンの過去の失態。

 八年前に、西部への侵攻に横入りしようとして手痛い反撃を食らったこと。

 それをきっかけにワットマが当主となり、諸令という役職を引き継いでからというもの、特別な問題は何も起きなかった。


 昨年、黒涎山が崩れたという報せが入るまでは、何事も。



 小さな問題はあったにせよ、ワットマと時同じく代替わりしたエトセン騎士団のボルド・ガドランは優秀な男だ。

 レカンや港町ハイタンなどのルラバダール所領の統治に、協力しながら当たってきた。

 それがこの一年で大きく揺るがされるとは。



 途中、英雄級の冒険者を本国に引き抜かれるということもあったが、それも歴史を見れば珍しいことでもない。

 冒険者とて、人類の中心地であるロッザロンドで一旗揚げるというのも夢の一つなのだから。


 今にして思えば口惜しい。

 特別待遇でも引き留めればよかった。


 あまり優遇しすぎると他のバランスとが難しい。そうでなくとも冒険者上がりのビムベルクを持て余し気味なのだが。


 引き留め、戦力としていれば、ワットマが頭を悩ませることもなかったかもしれない。

 エトセン騎士団が敗れるなど。



 人聞きが悪い。

 敗れたわけではない。東部で魔物の大群を使う敵国を打ち破り、レカンを襲った危険な魔物を退治した。


 作戦目標を果たしたということなら敗戦ではない。

 ただ、被害が予想を大きく上回ったというだけで。




「あいつは真面目過ぎる」


 愚痴も言いたくなる。

 美点とも言えるしそこを信頼しているわけだが、ボルド・ガドランは真面目過ぎる。


「謹慎など……いや、喪に服しているのだったか」


 被害の責任を取り、エトセン騎士団長の椅子を降りると。

 喪中という名目で自ら謹慎を申し出たボルドをどうしたものか。


 敗戦の責任者として処罰してもらって構わないなど、この状況で言われても困るのだ。

 代わりがいない。



 一応はボルドの後継にと据えていたのは、ロッザロンド大陸の貴族出身のチューザ、チャナタ姉妹だったが。今はそれも難しい。

 魔法使い中心の青グループと、戦士中心の赤グループ。赤のトップは言わずと知れた男で、これも団長など務まりそうにない。


 いや、誰を据えたところでボルドの代わりにはなるまい。

 ワットマはボルドの公正さを高く評価していたし、そういうワットマだから父はエトセン公の座を引き継がせたのだ。


 うまくやるだろう。

 その期待が、今は重い。



「なにが起きているのか……」


 昨年から始まった奇妙な事件。

 黒涎山が崩れ、調査に向かったビムベルクが負傷して戻り、東部のコクスウェル連合トゴールトでは反乱だとか。


 魔物駆除の遠征に出たボルドが正体不明の敵と遭遇し、情報が途絶えたマステスの港町は壊滅……全滅していた。生存者が見つからなかったのだから全滅と言っていいだろう。


 魔物を使役していると思われるトゴールトを危険と見做し、討伐作戦を組んだことは間違いだとは思わない。

 事実、大量の魔物の群れと戦い、この多くを駆除。

 やっていなければ、後にどれだけの被害が出たというのか。



 その先で、敵の首魁と思われる者が――


「堕ちた英雄。魔女アン・ボウダ」


 見たことのない若い女だった。そう報告を受けている。

 それが名乗ったのは、ワットマが十歳になるより前に討伐されたと言われる、過去のエトセン騎士団団長。



 アン・ボウダが団長を引退したのはワットマが生まれるより前のこと。

 父は見たことがあったと言う。当時は父も当主ではなく、あまり面識はなかったのだとか。


 先々代、ワットマの祖父であれば詳しく知っていただろうということだが、既に他界していて話を聞けない。

 ただ、父の記憶の限りでは、ボルドたちから聞く容姿とは異なると。


 もっとも当時のアンは既に中年から初老だったはずなので、外見特徴だけでなく年齢も大きく違う。

 別人だ。

 どこかの誰かが、アン・ボウダを名乗りエトセン騎士団に敵対した。



 素性も目的もわからない。

 ただ、その力は異常だったと。英雄級かそれを上回りかねないほどの魔法使い。

 本当に別人なのか。


 記録を抹消され、語ることも許されなかった四代前のエトセン騎士団長。

 父の記憶では、強大な力を持つ魔法使いだったということだった。

 山をひとつ焼き尽くすほどの。


 天災のような女だ。だからこそ騎士団長という地位にあったのかもしれない。

 およそ五十年の歳月を超えてなぜ今戻ってくるのか。



 齢七十を数える古株に話を聞いてみたが、あまり話したがらなかった。

 彼女のことを語れば即座に投獄され、処刑された者も少なくないと。

 そもそも詳しい者がいない。彼女と親しかった者は、何らかの形で処刑された可能性もある。


 そういう事実があったからなのか、本国では珍しくもないアンという名前は、このエトセンや周辺ではほとんどいなかった。

 ちらりと聞いた話では、アンを支持していた村はいくつか滅ぼされ、住民は皆殺しにされたのだとか。


 そこまでする理由があったのか。


 反逆者。女神に背く者。魔女。

 名を出すことも憚られるとして、数十年経った今では情報が集まらない。


 強力な魔法使いだったということと、何かの事情でエトセン騎士団と決別し、敵対した。そして死んだという。その程度しか。




「何者なのだ」


 迷惑な。

 ワットマとすれば、ただ何事もなく平穏に暮らせればそれでいいのに。

 エトセンの、ルラバダールの平和を、遥か過去からわざわざ戻ってきて荒らすなど。

 まさに魔女。


 情報が集まらないことから推測できることもある。

 ボルドも同意見だったが。


 斃されたのだ。

 アン・ボウダは討伐された。間違いなく。

 彼女は死に、彼女に協力的だったものも死んだ。

 だから後世に残さなかった。その危険性を。


 生きている可能性があったなら、領主であった祖父や当時のエトセン騎士団長ヨラルドが伝えただろう。

 間違いなく殺した。

 だから全ての記録を抹消し、記憶から消そうとした。

 これは疑わない。



 エトセン騎士団では、騎士団長にのみ伝えられていたらしい。

 ヨラルドからその後任に、そして先代のスバンク、やがてボルドに。

 アン・ボウダの名を調べる者がいれば注意するように。裏切り者の可能性があると。


 実際、何度かあったのだと。

 名前の知られない四代前の騎士団長は誰なのか、と。

 ボルドの知る限りでは、それらは全てただの知的好奇心からだったそうだ。

 エトセン騎士団の歴史を調べる熱心な騎士団員もいる。


 いずれ、現実のアン・ボウダを知る者が誰一人いなくなれば、適当な名前で飾る必要もあるかもしれない。

 わからないから知りたい。そういう人間だっているのも仕方がない。


 しかし今はまだ、エトセンの町の中には、実在したアンを知っている老人もいるだろう。皆殺しにするわけにもいかない。


 記憶と違う名を公式にすれば、現実と夢の境が曖昧になった老人が声高に叫ぶ可能性もある。

 違う、当時の騎士団長はアン・ボウダだ、とか。


 余計な混乱を避ける為、当面はこのまま名無しということにしておこうと。

 勉強熱心な騎士などは、ボルドから個別に指導されていた。



 なぜ今になって。

 よりによってワットマが治める今の時代に。

 理由などないのかもしれない。


 アン・ボウダが話の通り強大な魔法使いで、何らかの手段で復活したとでもいうのか。

 完全に死んだ状態から復活するなど考えられないが、数十年の時をかけて墓から戻ったと言うのなら、それらしいようにも思える。


 ワットマは運悪くこの時に当たってしまったと、そういうことなのだとしたら。



「……」


 悩んでも悔やんでもどうしようもない。

 ボルドには、責任を持って対処してもらわねばならない。謹慎などではなくて。


 幸いなことにビムベルクは健在だ。

 騎士団とて、被害を出したとはいえ壊滅したわけではない。百名ほどが死亡、他重軽症が数百。

 死んだ者はどうにもならないが、怪我人の大半は癒せば戦える。

 レカンを襲った灼爛やけただらと見られる魔物を倒した勇者もいるのだ。


 エトセンの、騎士団所属ではない兵士も動員して、他に冒険者を雇ってでも。

 不可能ではないが、どれだけの費用が必要になるのか。死んだ騎士や兵士の補償も必要だし、レカンの城壁も崩れたということでそれの復旧も必要だ。



 頭が痛い。

 戦力とて、この町を空にするわけにもいかない。

 西に隣接するアトレ・ケノスとは友好的な関係とは言えないし、また山から魔物の群れが溢れてくる可能性もある。


 本国に、援助も要請した。

 ボルドの判断で、ロッザロンドのカナンラダ本国から援軍を呼んでほしいと。


 普通なら考えない。同じ国内とはいえ、指揮系統の異なる軍を領内に招くなど、混乱の種になるのは火を見るより明らかだ。

 ルラバダール国内でも派閥争いは当然ある。新大陸に介入する口実が欲しい連中もいる。


 それでも、予想される混乱よりなお危険度の方が高いと。

 本国側の派閥も一枚岩ではない。公式に援軍を要請すれば、今度は彼らの間で牽制し合うはず。抜け駆けは許さないと勝手に綱引きしてくれるだろう。



 ワットマとすればそこまで必要か疑問だったが、ボルドの目は冷静だった。

 死んだ部下のことで気が逸っているという様子ではない。

 冷静に戦力を分析して、必要だと見てそう言っている。


 借りを作ることにもなるし、付け入られる隙にもなる。

 他の誰かなら、たとえばワットマの兄であれば、突っぱねたかもしれない。

 だがそれを受け入れるのがワットマの性分だ。



 本国の宰相に向けて、状況の説明と依頼をする旨を出した。

 船便は時間がかかる。

 届いたところで、今度は向こうでも議論があるだろう。


 要請が通るとも限らないが、ボルドはそれでいいと言う。

 何も手を打たないわけにもいかない。

 援軍が来るとしても、来年になるはず。



 遠征にかかる費用はどうなるか。

 辺境の田舎に誰が向かうというのか。どれだけの戦力で。

 そもそも援軍など必要なのか。


 それらの議論の末に援軍を派遣するとして、その準備の期間も必要。

 報せを聞いてただちにということは有り得ない。


 それまでに問題を解決できればより良い。仮に無駄な金を払うことになったとしても、それを惜しんで破滅など愚か者のすることだ。


 ワットマは、自分の判断の是非よりも、目の前の問題を確実に解決していくことを選んだ。

 こうした決断が出来るから、父は兄たちを差し置いてワットマを後継に据えたのだと知っている。



「とりあえずは……」


 当面の明確な敵をどうするのか。

 トゴールト周辺に回していた密偵は、逃げてきた者を除けば皆死んだらしい。魔物の腹の中か。


 情報が掴めないのは不安だが、敵がいることだけはわかっている。

 東に、危険な敵がいる。

 まずはそれに全力で対処して、危険の芽を摘もう。


 うまくやれば、トゴールト周辺の農地を手に入れることもできる。

 それらを耕す人員がいないというのでは困りものだが、人間ならどこからか調達してくれば勝手に増える。食い物さえあれば。



「諸令閣下!」


 役職を呼びながら飛び込んでくる部下。

 この上、何があるというのか。


 魔女が責めて来たというのなら、こちらも腹を括った。

 ビムベルクを先頭に、全軍で打ち倒す。来てくれたなら手間が省ける。



「敵襲です!」


 悪い予感というのは当たるものだ。

 もう頭痛すら感じない。



「西の空から、敵襲!」

「なんだと!?」


 消え去ったはずの頭痛の代わりに、鈍器で頭を殴られたような気分だった。



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