第三幕 094話 明日の糧
頭数が増えれば、相応に準備も必要になる。
即座に次の戦場に、とはいかない。
壊れた門なども放って置くわけにもいかない。復旧には手が必要だし、力なら当然戦士たちの方が強い。
それらを片付けながら、放置していたこともある。
放置というわけでもないが、後回しに。後にしようと。
安置所には少なくない数の遺体が収められていた。
清廊族の葬儀。
清められ、透き通る氷の中の遺体は、まるで生前の姿と変わりない。
溶ければすぐにでも動き出しそうな。
家族の、友の、愛する者のその姿に語り掛ける姿も絶えない。
死を悼み、悲しむ声。
最初は嘆きの色が強かったそれらも、少しずつ変わっていく。
感謝の気持ちや、心配するなと強がる声も聞こえるようになっていった。
悲しい。つらい。
それぞれかかる時間は違うけれど、少しずつそこから進もうとする。
次へ。
明日へ。
それを寂しく思う気持ちも残しながら、生きている者は生きる責任を果たさねばならない。
死んでしまった誰かの為に。
夜明けに氷を砕く。
朝日が昇る中、氷を砕く。
理屈は知らない。語られもしない。
氷と共に遺体は光の粒となり、風と共に空に消えていく。
綺麗な姿を思い出に残して、カナンラダの空に、大地に。ニアミカルムの山に。
いずれまた彼らは、彼女らは。この大地の命として還るのだと。
墓を作る風習の地域もあるが、西部を始めとして清廊族では一般的な弔いだった。
※ ※ ※
アヴィが泣いている。
大粒の涙をぽろぽろと零して。
感情を抑えきれない。
表情は、いつも通りあまり変わらないけれど。
誰の目も気にせず、涙を流していた。
「アヴィ……」
思わず手を止め、その姿に見入ってしまったのはルゥナだけではない。
エシュメノもネネランも、隣の卓にいたメメトハ達も。
「……う、ぅ……」
手の甲で涙を拭い、首を振るアヴィ。
それほど感情を揺さぶられたのか。
「おい、しい……」
箸――清廊族は二本の箸で食事することが多い――を握る手が震えていた。
「……すごく、おいしい……」
泣くほど美味しかったのだと聞けば、作った者も喜ぶだろう。
葬儀も追えて、町も少しずつ日常を取り戻しつつあった。
崩れた東大門を撤去して、とりあえず新たに伐ってきた木で柵を作った。
人間どもの残していった物資の整理や、不足しているものの確認も大体片付いてきている。
戦士たちの為にと、サジュの住民が用意してくれた夜の食事だった。
彼らも、奪われた日々を取り戻そうと嘆きを乗り越えつつある。
「ま、まあ……そうじゃな」
メメトハが、アヴィの言葉に続けて頷いた。
「
トワ達の姿はない。いろいろ思うところがあるのか、彼女らはルゥナ達とは離れて町の復旧を手伝っていた。
ニーレの姿もないが。
放っておけばバカなことをするかもしれないと、ウヤルカが付かず離れず見てくれている。
「ちょっとしょっぱい」
「少し味付けは濃いかもしれませんけど。エシュメノ様、こぼしていますよ」
箸を上手に使えないエシュメノは、大匙で口に掻き込んでいた。
ネネランがエシュメノの口元からこぼれた物を、やや興奮気味な顔で食べている。食べ物を粗末にしてはいけないのでそれはいい。
「うん、アヴィ様。これすっごく美味しいですね」
「甘辛いタレが絶妙な味わいです」
ミアデとセサーカも頷いて、それを見たアヴィも頷き返した。
「食べたこと、なかった」
普段はあまり感情を見せないアヴィだけれど、良い傾向なのだろうか。
落ち着きを取り戻してきた町で、食べることに感動を覚える。生き物として自然な喜びだ。
「流白澄の身をタレにつけて、炭火で炙るように焼いているのですが」
アヴィが泣くほどのことかと驚いてしまう。
ルゥナは西部の出身で、ヌカサジュから連なる湿地帯に近い村で育った。
流白澄なら、さほど珍しい食べ物ではない。
「煮汁がなくなるほど煮詰めた
メメトハも食べたことがなかったらしい。
「確かに美味じゃ。こう、腹にぐっとくるものを感じるぞ」
ああ、流白澄のことではないのか。流白澄のタレ焼きと穀物を盛りつけた合わせ椀のことだ。
穀物……禾倮穀と呼ばれるこれは、気候の問題で北部では作られていない。
水も多く必要で、この農産物もまたヌカサジュの恵み。
流白澄といえば、大きさは比較にならないものの、レジッサの姿かたちに非常に似ていた。
関係ある生き物なのではないかと考えなくもないけれど。
狩りをするのは構わないとか言っていたし、そもそも流白澄はサジュの住民なら皆食べている。今更咎められることもないだろう。
正直なところをいえば、食べながらレジッサを思い出したルゥナは、箸を進めづらかったのだ。
先日、会話をした相手を食べる……もちろんそうではないにしても、そんな意識で躊躇ったのはルゥナとメメトハだった。
他の仲間たちは流白澄の調理前の姿を知らないのか、気にならなかったようだけれど。
「すごく、おいしい……おかわり」
「わかりました、アヴィ。禾倮穀を炊き上げるのに時間がかかりますから、私のでよければ」
禾倮穀はそのままでは固い。煮詰めてふやかすような調理をする。
時間がかかってしまう。
「……」
ルゥナを見つめて戸惑うアヴィ。
なんなのだろう。ここでそんな恋する少女が思いを言い出せないような顔をされるというのは。
「大丈夫です、私は前に何度も食べていますから」
「……」
「実は、少し苦手なんですよ。少し重いものですから」
これは嘘ではない。滋養にもいいとメメトハは言ったが、良質な流白澄は脂が良く乗っている。
それが胃に重い。
そういえばアヴィは、
「ほら、私は胸肉の方が好きだと言いました。脂身は、少量なら美味しいのですけれど」
「……いい、の?」
尋ねながら、既に手は伸びてきている。
可愛い。
「ええ、食べて下さい」
遠慮がちなその手に、ルゥナの器を握らせた。
がちっと、掴んで離さない。
これくらいルゥナのことも強く掴まえてくれたなら。そんな風にも思う。
「ありがと……ルゥナ」
「いえ」
食べ始めるアヴィを顔を見て、笑みが零れた。
そういえば、笑ったのは久しぶりだ。
ずっと張りつめて、悲しんで、悔んでいた。
あの時どうしていたら良かったのか、と。最初からどうしていれば、とか。
アヴィの呪いを解く方法を知り、最初からそれをしていたらとも考えた。
けれど、その場合はダァバの呪術がアヴィを襲う。
ダメだ。この方法では正解ではない。他になにかもっと良い手段はなかったのかと考え、絶望する。
打つ手はなかった。
退いていればユウラは死なずに済んだかもしれないが、サジュを解放することが出来なかった。
オルガーラを敵に利用され、もっと悪くなっていたことも考えられる。
最悪な場合、レジッサをダァバが隷従させていた可能性さえ有り得た。
他に道はなく、あったとしても今更その道は進めない。
後悔と悲嘆と絶望。
最善ではなくとも、出来る範囲では最大の結果だったなど。言いたくないのに。
やり切れない苦悩を抱える中、そういえば食事の味など気にしたこともない。
アヴィに言われてようやく思い出す。
食べることは生きることだ。
食べることが出来る幸いを噛み締め、生きていることを実感する。
死んでしまった者の為に出来ることは、進むこと。
立ち止り、振り返ることではない。
歩みが遅くなってしまったとしても、ここで諦めるわけにはいかない。
「おいしい……」
「アヴィ、頬についています」
ネネランのことを言えたものではない。
頬についた禾倮穀の粒を取って、自分の口に運ぶ。ルゥナの目にも妙な情が浮かんでいないだろうか。
アヴィがふと箸を止めて、どこか遠くを見た。
なんだろうか。
「……母さんにも、食べさせてあげたかった」
なるほど。
アヴィが食べたことのないものだ。母さんも食べたことはないだろう。
魔物だった母さんが、こうした料理を好むのかどうかは知らないけれど。
「そうですね」
アヴィは優しい子なのだ。
本来は、こんな殺伐とした生き方をするような性分ではない。
そうさせたのは人間のせい。
彼女のたった一つの大切なものを踏み躙り、小さな胸の中をぼろぼろにした。
アヴィだけではない。清廊族は誰もが、人間どもの為に本来の生き方を歪められている。
人間どもと、それをもたらしたダァバ。
その罪過は許さない。
この地上から消し去り、そうして初めて清廊族は本来の生き方を取り戻す日が来るだろう。
「子供たちには」
私と、貴女の。
「笑って、安心して。ご飯を食べられるように……」
貴女と、私と、みんなで一緒に。
「……そうね」
アヴィは見ていない。自分の未来を。
過去ばかり。
彼女の幸せは、母さんと共に失われてしまった。
人間を滅ぼせばきっと。
帰ってくる。そう信じたい。
帰ってしまう。幸せだった過去と共に眠ると、そう誓ったように。
ルゥナは、届かないのだろうか。
足りない。足りない。
何を失っても、やはり足りない。
だから、やっぱり。
共に進むしかないのだろう。最初の誓いのまま、アヴィと共に進む。
全てを終わらせたら母さんの下に帰る。
ルゥナに出来ることが、そこに共に在ることしか出来ないのなら、そうしよう。
共にいられるのなら。離れ離れでないのなら。
それはきっと幸せな結末なのだから。
※ ※ ※
「ええ、ですからあるだけ全部……暑さは冷凍しておけば平気ですし、タレも冷凍して……え、嵩張るし重い? 確かにそうですが、なんとか……禾倮穀も一緒に……」
「やめんか馬鹿者」
糧食の確保は必要だと思った。それだけなのに。本当に。
一部の食材を買い占めようとしていたイザットの女戦士。彼女がクジャの少女に引き摺られ連れて行かれるのを、サジュの住民の多くが目にしたという。
流白澄はこの後に高級食材になったのだとか。
※ ※ ※
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