第三幕 093話 曇りない嗚咽_2



「あの……」


 ネネランが、おずおずと口を開いた。


「……ごめんなさい、トワさんに怨魔石の使い方を説明したのは私です」


 トワが目にしていないはずの加工方法を、ネネランが伝えたのだと。


「パニケヤ様がどうやったのかを何度も思い返して、いずれ何かの役に立つかと思って」



 装備や道具の加工について、ネネランの技術力は高い。

 元から有する技術というのでなくて、想像力や学習意欲が強いのだ。


 空を飛んだという道具。破夜蛙わやかわずの空気袋。

 敵に襲われると爆音を響かせる喉袋を持つ魔物。破夜蛙。

 その喉袋に風を生む鳥の魔石を入れて、握りつぶすと同時に空気を破裂させた。


 少しでもエシュメノの役に立ちたいと、ネネランの探求心は底が知れない。

 自身の槍を強化したパニケヤの技法について、記憶をなぞり、自分でも出来るのではないかと考えたのは自然なこと。



「トワさんに聞かれて、つい浮かれて色々と話をしてしまいました」

「……」

「武具ではなく、生き物に使う場合に違いがあるのかと……そういうことも」


 申し訳なさそうなネネラン。


 クジャで冬を越す中、ネネランとトワに治癒の魔法薬が作れないか相談したことがある。

 結局できなかったのだが、その辺りの情報交換の際に話が出たのだろう。


 道具作りについて、エシュメノは興味を示さない。話を聞いてくれるトワに、楽しくなってしまって話し過ぎたとしても無理もない。



「いえ、ネネラン」


 彼女のせいではない。その時点で、まさかトワが魔物と清廊族の融合体を作るなど考えられなかった。


「貴女のせいでは……」


 やはりルゥナが、きちんと魔石を管理していなかったせいだ。

 千年級の魔物の魔石。アヴィの呪いを解く手順もわかったというのに、その一つを失った。



「ネネランは悪くありません」


 澄んだ声で言う。


「私は間違えていません」


 どこにも恥じることはないと、そんな風に。



「トワ!」


 そう思っていたとしても、どうして喧嘩を売るのか。

 メメトハより先にルゥナが詰め寄る。

 場合によっては、その頬を叩く必要だって――



「っ――」


 動けなかった。



「トワは間違っていません」


 巨大な戦斧の片側の刃を突き付けられて。


「ティアッテ」

「……」


 トワの声に、刃が少し引かれた。


「……トワは間違っていません。私は感謝しています」



 トワに詰め寄ろうとしたルゥナ。それを止めたティアッテの動きに、まるで反応ができなかった。


 踏み込みというのとは違う。

 ぬるりと、沼を泳ぐように、しかしその速度が速すぎて対処できないほど。


 速度だけなら、後から記憶を追えば絶対に反応出来ないというまでではなかった。だが、この独特な動きは初めて見る。



「再び戦う力を得られた。貴女達の助けになれます、ルゥナ。メメトハ様も」


 今度は普通に二歩ほど下がり、距離を空けながらそう告げた。

 このことが悪事ではないと。メメトハにも。


「そうだとしても、妾は……」

「手段を選べるほど余裕はないはず。人間どもの武具も使う。魔物の力も……そのダァバとやらの技だって同じことです」


 そういう言い方をするなら、そうだけれど。



「……無理やり・・・・に、ではないのですね? 傷ついた貴女に強引にこんなことを」


 魔物の身を自分に宿すなど、進んで行うこととは思えない。

 ましてティアッテは戦いを怖れていたはず。好き好んでこんなことをするとは思えない。



「っ……」


 一瞬、ティアッテの瞳に怒りのような感情が浮かぶ。

 ルゥナを、ではない。その斜め後ろの誰かに向けて。


「?」



「強引になどということは、ありません」


 首を振って、その視線が掻き消された。


「私が……私は望んで、この力を得ました。それなら満足ですか?」

「……」


 満足かと聞かれても、頷けない。

 クジャで大きな被害をもたらしたのも混じりものだったし、つい先日だってそれらと戦った。


 特にクジャでメメトハが戦ったそれは、途中から明らかに正気を失い手が付けられないような暴れ方をしたとも聞いている。

 ダァバが開発したという怨魔石の利用方法。出所がそれだから特に不穏に感じてしまうけれど。




「……ティアッテ」


 先ほどルゥナに刃を突き付けたのは、狂気の一端なのではないか。


「貴女は……飲まれてはいないと言えますか?」


 魔物の攻撃性に心が引っ張られているのではないか。



「問題はありません。私は私です」

「……」

「氷乙女として、さらなる力を得ました。清廊族の為に今一度戦えることを感謝しています」


 澄んだ瞳だ。

 静かに、理性的に。



「無論、この姿を不安に思う者もいるでしょう。無用に近くにいない方が良いかと思います」

「少しでも異常を感じたら……無闇に獰猛な気分になったり、普段とは違う食欲を感じたりしたら話してくれますか?」

「それで安心するというのなら約束します」


 嘘をついているようには見えない。

 戦斧を大地に下ろし、理知の色の深い瞳でルゥナに向けて頷くティアッテ。

 行動の怪しさというのなら、むしろオルガーラの方が心配な気さえする。



「……メメトハ」


 すぐ隣で、今だ魔術杖を強く握るメメトハに声を掛けた。


「……」

「ティアッテの力は必要です」


 軋む音が聞こえた。



「わかっておる」

「信じましょう……信じて下さい」


 ダァバの話さえ別とすれば、強大で貴重な戦力だと言える。


 ルゥナにとっては憧れでもあり、理想でもあった。

 かつて自分の村を助けてくれた氷乙女と共に戦う。そんな日を夢見ていた。

 いくらかの不安要素さえ除けば、後は利点しかない。



「妾は……ルゥナよ、本当に大丈夫だと思うか?」

「……」


 安易に頷くことは出来なかった。何しろ今まで前例がない。


「怨魔石は、深い恨みを残した魔物が遺した魔石……でしたね」


 無言のままメメトハが頷くのを見て続ける。


「殻蝲蛄の最期は、自身の命に納得して死んだと言う話です。怨魔石とは違うとは思えませんか?」



 アヴィ達が看取った際の殻蝲蛄は、怨嗟の声を上げて死んだわけではない。

 そう見れば、魔石の影響で狂気に走る可能性は少ないのではないかと。


「わからぬ、が……」


 メメトハは魔術杖を構えたまま息を吐き、首を振る。


「おぬしを……信じろというのであれば、妾も腹を括ろう」

「すみません、メメトハ」


 クジャで死んだ中にはメメトハの親しい者もいた。

 混じりものが近くにいることに対して、メメトハは特に思うところがあるようだ。



「う……」


 ティアッテが魔物の感情に支配され狂乱するようであれば、その時は……


「う、ぅ……」


 嗚咽が聞こえた。



 はっと見れば、氷乙女に挟まれた銀色の娘が、灰色の瞳から涙を溢れさせている。


「ごめ……ごめん、なさい……」


 今更だけれど。


「わた、わたし……なんてことを……」


 ぽろぽろと涙を零しての謝罪。



「ティアッテを……こんな、取り返しのつかない……ごめんなさい、ルゥナ様……」

「トワ……」

「だって、ユウラが……ユウラをなくして、もう……もういやだって、だから……でもこんな、こんなこと……」


 泣きながらの謝罪。

 取り返しのつかないバカなことをしたと。


 ユウラを失い、恐怖と不安に苛まれていたのだろう。トワは特にユウラと親しかったのだから。

 ニーレとの関係もこじれて、誰にも頼れなくて。独りで迷走し、暴走した。



「馬鹿者が」


 気を殺がれたようにメメトハが魔術杖を下げる。


「最初からそう言えば、妾とて……」

「トワ、わかりましたから」


 メメトハとて、本気でトワを敵だと言ったわけではない。

 だが、見過ごすことのできない愚行に、なにも悪びれないトワ。これでは許すことも出来ず、また懸念も強まる。


 ダァバのように、いずれ清廊族にとって大きな災厄になるのではないか、と。

 増長し、身勝手な振る舞いを続けるようであれば。



 トワはそうではない。

 ダァバとは違い、自らの行いを悔み、詫びることが出来る。

 彼女の心情を思えば、異様な行動に出たことも理解が及ぶところだ。



 メメトハの許しを受けて、ルゥナはやっと穏やかな気持ちでトワに歩み寄れる。


「トワ……」

「ルゥナ様、わたし……わたしが、御迷惑を……」

「いえ」


 泣いているトワの頭を胸に抱く。


「すみません。貴女に辛いことばかりをさせて……他に手を取られ、貴女をきちんと見ていませんでした。私の責任です」


 共に生まれ育ったユウラの最期を託した。

 ニーレとひどく言い争いになり、その埋め合わせも出来ていない。

 トワはルゥナより幼く、こんな状況を自分だけで受け止めるのは難しかったはず。


 ある意味、ニーレ以上に辛かったはずなのだから。


「私が愚かでした、トワ。許して下さい」

「ルゥナ様……」




 レジッサが消え、不思議なほど澄んだ湖面。

 人間どもの飛行船もなく、青く澄んだ空。


 ルゥナが抱くトワの漏らす嗚咽は、奇妙なほど清澄な律動で響いていた。



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