第三幕 079話 消えぬ泣き声



 ――ありがとう、トワちゃん。


 なぜ、そんな。


 ――ニーレちゃん、大好き。


 どうして守らなかった。

 言ったはずなのに。

 メメトハは確かに言ったはずだ。


 無理ならば退けと。

 優先順位を間違えるな、と。

 確かにそう伝えた。ニーレはそれを聞いたはずなのに。



「馬鹿者が」


 なぜ言いつけを守らないのか。

 一番大切にしなければならないものを、どうして。


「馬鹿者が」


 崩れた東大門を横目に、もう一度吐き棄てた。



 ニーレと、もっとよく話をするべきだったと後悔もある。

 彼女はユウラと一線を越えた関係だと知れたが、そのくせどうも真っ直ぐにユウラを見ていなかった。


 気恥しいから。

 そういうことだと思い、余計な口は挟まなかったのだけれど。



 誰しもあるだろう。伴侶を愛しながら、ついはすに構えてしまうことなど。

 珍しいことでもない。大事なのに、堂々とそれを示せなくて、半端に距離を置いてしまうなんて。

 ニーレがユウラを真っ直ぐに見ないことを、そういう機微だと考えていた。


 だが、それが。

 ニーレがユウラから目を逸らすから、こんなことに。



「大馬鹿者め」


 三度目は自分に対して。


 大事な者を、一番近くにいながらよく見ようとせずに失う。

 クジャで、メメトハはそれを経験したのに。

 自分の愚かしさと同じ後悔を誰かにさせてしまうなど、救いようのない愚物。


 けれど、仕方がないではないか。

 ニーレがメメトハよりも愚かなはずがないと、そう思っていた。

 同じ過ちなど踏むはずがない。わかっているはずだと。




 見ればわかる。

 あれは、救いようのない愚か者。

 誰に救えるはずもない。違う道を示す機会があったことを思えば、後悔がメメトハの心を抉る。


 空に向けて、幾筋もの矢が絶え間なく放たれていた。

 およそ届くはずもない上空に向けて。

 また、彼女を嘲るように飛び回る翼を持つ人間に向けて。


 氷弓皎冽こうれつ

 矢筒を必要としない氷の矢を放つ魔法の弓。

 クジャの宝弓で、本来なら真なる清廊を守る戦士が持つ武具だ。


 彼女はパニケヤから認められた戦士。前の持ち主も名の知れた傑物だったが、ニーレの腕もそれに見劣りしない。



 だが、見落としていた。

 だから、見落としていた。


 ニーレは所詮は年若い娘。経験はまだ浅く、その心の強さは普通の娘と大差ない。

 戦士としての揺るがぬ強靱な意志や、冬の大地のごとき冷徹さを備えているわけではないことを見落としていた。


 年若い娘なら、大事なものを見誤ることもある。

 失ったことで狂乱し、自らを痛めつけることで耐え切れない痛みを紛らわそうとしている。

 今もまた、目を逸らそうとしているのだろう。

 ニーレの弱さを見落としていた。



 見ていられない。

 見ていられないが、そうして見過ごした結果がこれだ。

 こんなことになる前に、メメトハはもっと適切な助言を出来たのではないのか。

 今、またこれから目を逸らして何が残るというのか。


「どいつもこいつも、大馬鹿じゃ!」


 先に死んだ者も、死なせた者も。

 けれど生きているのなら、生きているから出来ることもある。




 矢の軌道の下に向けて走る。そのメメトハに上空から声が浴びせられた。


「また新しい奴かぁ?」

「おお、ちんまいのが来たじゃねえか。ひひっ、俺ぁこういうの好きだぜ」


 くそやかましいし、好かれたくもない。


 背丈が同世代の平均より低いことはわかっている。

 胸のふくらみなども、あれだ。血縁であるパニケヤやカチナもあまり大きい方ではないので、メメトハの努力ではどうにもならない。



「下郎が」


 そもそも人間になど好かれたくもない。

 この連中、羽が生えているが、あれだろう。クジャを襲った魔物との混じりものと似たような存在。

 だとすれば、生かしておく理由もない。



「死せよ!」


 群がってくる敵に言い渡す。その行く先を。


極冠ごっかん叢雲そううんより、降れ玄翁げんおう冽塊れっかい


 無数の雹弾が、連続でメメトハの周囲から撃ち出される。

 居場所をなくすように隙間なく、ただその一粒一粒が大木の幹を抉るほどの威力。


「あばぶぶべ」

「おごぁぁっ!」


 雹弾の嵐に飲まれ、その身を削られ死んでいく敵兵。



 クジャを襲ったものほどの強さはない。

 あの時はメメトハも連戦の後で十分ではなかったし、何より今は当時より二回りほど強くなっている自覚もある。アヴィの特性を得られたことで急速に力を得られた。


 敵に強靱さはさほど感じないが、はしっこい。

 一匹が、仲間を盾にしてするりと上に擦り抜けていた。



「しゃぁ!」


 そのまま宙返りをしながら、魔法を放った姿勢のメメトハの背中に回る。


「あめぇんだよ!」


 槍を突かれる前に、メメトハが魔術杖を横薙ぎに振るう。

 振り向きざまの反撃だが、敵もそれくらいは見ている。杖の届かない位置に僅かに引いてメメトハを貫こうと。



終宵しゅうしょう脊梁せきりょうより、分かて無窮むきゅう耀線ようせん


 その魔法は、早朝に山の峰を走る光の線。

 空とニアミカルムを分かつような一筋の光は、魔神が目覚める時の瞼のようだと御伽噺にある。


 メメトハの魔術杖から伸びた光線が、蝙蝠のような敵の羽と体と二股槍をまとめて断つ。



「あ、ひ……?」


 躱したはずと。理解の届かぬ目のまま、その瞳から光が消えた。

 どばっと大地に転がる死骸に、メメトハは一瞥すらしなかった。



「ああ、妾の甘さゆえじゃ」


 敵の言葉を歯軋りしながら反芻する。

 自分の甘えが仲間を死なせ、埋められぬ傷痕を残した。

 己のせいでないなどと言えない。



「言い訳はせぬよ。だがな」


 ともすれば泣きたくなる気持ちを戒め、きつと強く見つめる。


「ニーレを助けてやれぬのでは、ユウラに詫びることすら出来ぬわ」


 悲しむのも悔やむのも後にする。

 今は、せめてユウラの残した想いだけでも酌んで、ニーレを助けなければ。



「ぬっ」


 黒い塊が視界の端を侵食するようにせり出してきた。

 上空から、メメトハが駆ける速度よりも速い。

 かなり上を飛んでいるのと巨体すぎて、どの程度の速さなのかわかりにくいが。


 あれにダァバが乗っているというのか。

 爆裂の魔法を落としていくようだが、それもダァバの仕業……違う気がする。


 腐っても清廊族だというのなら、炎熱系の魔法は得意であるはずがない。

 人間の魔法使いを大量に乗せてやらせていると考えた方が自然だ。



「ニーレ、無茶じゃ」


 近付いてくるにつれ、ニーレが放つ氷の矢がどれほど無謀なのかわかる。

 空を飛ぶ敵に向けて、あるいは上空の飛行船に向けて。

 絶え間なく、風を裂く音が。ひゅう、ひゅう、と。


 届くはずがない空に向けて、まるで鳴くように。

 泣くように。



「……っ?」


 金属音が聞こえた気がした。

 一際大きく鳴く矢が、僅かに飛行船の下部に当たって。


 届いた?

 皎冽は宝弓でニーレは名手だが、そこまでの射程距離があっただろうか。

 まして敵は上空だ。ただ地上で遠くに飛ばすのとはわけが違う。



「……いや、これは」


 改めて飛行船を凝視する。

 確かに上にあるが、最初に見た時より近くないか。

 近付いたからというだけではなく、その高度が低くなっているような。



「……穴、か?」


 ニーレの矢の為ではない。

 飛行船の横腹から、少しずつだが霧のように何かが噴出しているように見えた。


 小さな穴から中に詰まっていた何か――メメトハにはわからないが、生き物で言えば血のようなものが流れ出し、その為に飛ぶ力が弱まっているらしい。


 何度も旋回していたせいだったのかもしれないし、他の要因なのかも。

 落ちてくるまでではないが、少しずつ高さが失われながら迫ってきていた。

 だから届く。



「しかし、この音は……」


 ひゅいっと、また鳴く。

 その音は、ただ音として響くのではない。メメトハの心に直接。

 ニーレの張り裂け続ける悲しみと、荒れ狂う殺意を伝えようと。


「……共感の力が、弓に」


 胸中の想いを届ける声にならない声。

 氷弓皎冽が弦を震わすたびに、耳を打つ。心に響く。



 理由はわからない。

 だがこれはメメトハにも備わる共感の力の一端で、それを持っていた誰かなら知っている。


 消えてなくなってしまったのではない。そう思うと、堪え切れず一粒の涙が溢れた。



  ※   ※   ※ 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る