第三幕 078話 狂気乱舞_2



「ルゥナ様、どがな……あぁ……」

「そんな、ユウラさん……」


 どこで何をしていたのかトワは知らない。ウヤルカとネネランが戻り、この有様を見て顔を歪める。

 聞くまでもない。血に染まるユウラと慟哭するニーレを見れば。



「……飛行船は駄目でしたか、ウヤルカ」


 指揮官としての立場からか、あるいは別の話を求めたのか。

 涙を拭いながらのルゥナの質問に、ウヤルカは苦々し気に首を振る。


「すまん」

「いえ、その様子を見れば……すみません、魔法薬を使い切ってしまって」

「ええんよ、それでええじゃけぇ」


 ウヤルカの両腕もひどいケガをしていたが、気にするなと首を振った。

 この場に薬が残っていたのなら、その方がウヤルカを怒らせただろう。


 顔を上げたのは、涙を零すまいとした為だったのかもしれない。



「……ウチはもっかい、あれをやる」


 空を見上げ、絞り出すような声で。


「すみません、私の道具は使い切ってしまって……ですが、お手伝いします」


 いつも前髪で隠れがちの目を拭い、ネネランが頷いた。



「もう一度……戻ってきているのですか?」


 はっと空を見上げるルゥナ。

 通り過ぎた空を行くもの。飛行船と今呼んでいた。人間どもの使う船か。


 トワもそれを追う。

 一度は戦場の空を行き過ぎた飛行船が、左に体を傾けて斜めに進んでいた。


 もう一度、上からあの爆裂の魔法を放つために。

 風上に過ぎた巨体が、今度は風に乗って戻ってこようと。



「あれは……」


 泣き声が止んだ。

 先ほど感じたユウラの体温と同じ。まるで温度のない声で。


「私が、殺す」


 弓を握り締めて、立ち上がった。


「私が、あいつらを全員殺す」



「ニーレ、今の貴女では」

「止めたら、誰でも殺す」


 誰に対して言っているのか。わかっていない。

 ユウラの血でべっとりと塗れた顔で、その目が見据えるのは空にある敵の姿だけ。


 ぶつけられない怒りを、悲しみを。今ここで思うさまぶつけて構わない敵を睨んだ。

 矢が届くとは思えないけれど、それも関係ない。



「ユウラを……ユウラの仇だ。人間どもは全員、最後の一匹まで殺す」

「ニーレ!」


 駆け出したニーレ、彼女の鬼気に手を出すのが憚られたのだろう。

 誰もがその背を見送り、遅れて動き出す。




「ミアデ、セサーカ。アヴィやエシュメノたちをお願いします」


 アヴィは相当な消耗をしているらしく、立っているだけでふらついている。

 エシュメノが膝を抱えて座り込んでいるのも、ユウラの死のことだけではなく怪我でもしているのだろう。


 まだマシな様子のミアデ達に彼女らを任せて、ルゥナがトワを見た。

 その瞳には、困惑と疑念と、けれど安堵の色も浮かぶ。

 トワの無事な姿に安堵したと。今この場でそうは言えないけれど。


 そういう優しい視線は、今は棘にしかならない。



「トワ」


 労わるように、慈しむように。


「つらいことをさせました。私を恨んで構いません」

「……」


 違う。

 違うのに。


 トワが悪いのに。トワがユウラを殺したのは、トワが愚かだったから。

 今ここでこんなことをしなければならなくなったのは、他の誰でもなくトワの行いのせいなのに。


 トワの暗いやり口で、本当なら冷静に判断できたはずのニーレを歪ませた。

 冷静さを欠いたニーレを守る為だったのだろう。ユウラが命を落としたのは。



「……」

「ウヤルカを治癒して下さい。貴女も疲れているかもしれませんが」

「……いえ、平気です」


 だってトワは、休んでいたのだもの。役割を半端に終わらせて眠っていたのだもの。



「ルゥナ様、ウチは」

「状況がどうなるかわかりません。飛行船は無理でも、あの妖奴兵の相手は貴女が最適です。まず治癒を受けて下さい」

「……わかった」


 戦えると強がろうとしたウヤルカだが、左腕は肉が削げかけているし、右手は血塗れでこれでは武器もまともに握れない。



「ネネラン、ユキリンをお願いします。まだ飛んでもらう必要があるでしょう」

「わかりました」


 ユキリンも、普段見ないような口の開き方をして荒い呼吸だった。

 トワの目でも明らかなほど消耗している。彼女らが飛行船を落とそうと必死だったのは理解できた。



「私はニーレの援護に……オルガーラ、なのですか?」

「……」


 呼びかけられたオルガーラが、ルゥナを睨みつける。


 敵意。

 先ほど恐慌を鎮める為とはいえトワを叩いたルゥナに、警戒と敵対心を示す。



「オルガーラ、ルゥナ様に従いなさい」

「う? トワさまが言うなら、うん……」


「なにが……いえ、後にしましょう」

「とりあえずこれを」


 裸だったオルガーラに、セサーカが死体から剥いだ服を被せた。


「オルガーラ、人間を打ち倒してサジュを取り戻します。手伝って下さい」


 着せられた人間の服をやや窮屈そうに、けれどトワが頷くのを見て素直に着せられたオルガーラ。


 トワの言葉でなければ素直に聞かない様子だ。

 周りの仲間たちも、やや困惑気味にトワとオルガーラを見比べる。



 色々なことがあって、トワだってどうすればいいのかわからない。

 けれど、ニーレのあの様子では今度は彼女が死にかねない。


 ニーレを死なせるわけにはいかない。ユウラがどんな気持ちだったのかを思えば。

 使える手駒としては、今はこのオルガーラ以上のものは望みようもないか。



「ルゥナ様たちと共に、人間を皆殺しにしなさい。ニーレを……先に駆けていった弓使いを守りなさい。絶対にです」

「うん、わかったよ。トワさま!」


 武器を、と言う間もなく、トワの言葉を受けてニーレの後を追いかけていく。

 サイズの合わない服に、素手素足のままだけれど。

 それでも今この疲弊した状況では、得難い戦力には違いない。



「トワ」


 オルガーラの後を追おうとしたルゥナが、もう一度トワに呼ぶ。

 歩きかけて、立ち止った。


 その逡巡はきっと、仲間を失ったことで不安を覚えたからなのだろう。戦場で後回しにしようとした感情だけれど、後回しに出来なくて。



「……はい」

「危険な任務と、オルガーラの救出。助かりました」

「……」


 褒められて、まるで嬉しくない。

 むしろそれは余計にトワの心を苛むだけ。


「貴女が無事で良かった。ありがとう、トワ」

「……」


 大好きなルゥナがくれる甘い言葉は、蜜のようなのに、トワを焼くように染みついて。


「……はい」


 駆け出すその背中を見送り、もう一度頷いた。



「はい……ルゥナ様」


 涙を流す資格などないはずなのに、優しい言葉に心の裂け目を焼かれて、溢れる涙を堪えることが出来なかった。



  ※   ※   ※ 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る