第三幕 076話 優しさを残して



「ああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 慟哭。


「うあぁぁぁっぁぁぁっ!」


 雄叫び。



「殺す! 絶対に、絶対に殺す!」


 怨嗟。




「誰か残っていませんか!? もっと魔法薬を!」


 嘆きと怒りをまとめて叫ぶ声。

 ルゥナが、どこかにもっと魔法薬がないかと声を枯らして。


「トワ!」


 救いを見つけたというように、その目がトワを捉えた。

 涙を浮かべ、震える唇で。


「どこに……いえ、助けて。ユウラを助けて下さい!」



「ゆ……ら……?」


 ここに倒れているのがユウラなら、なぜ離れた場所でニーレが吠えているのだろう。

 なぜここにいないで、あんな場所で狂乱して矢を放っているのか。



「助けて……お願い、ユウラを……」


 トワに縋りつき、膝を着くルゥナ。

 その姿が、何より雄弁に語ってくれた。



「ユウラ……そんな、こんなこと……」


 腹に。胸に。頬にも。大きな傷から赤黒い血を流し続ける姉の姿に、説明はいらなかった。


「どうして……」

「とわ、ちゃん……」


 弱々しい呼びかけ。


「魔法薬をいくら使っても治らないの、トワ。お願いですから、助けて……」

「あ……あぁ……」


 ユウラの手を取る。


「だめ……だめです、ユウラ。そんな……・」




 ユウラのことは生まれる前から知っている。

 半分だけれど、同じ血を分けた本当の家族なのだから。


 牧場で人間の奴隷として生きる暮らしは、控えめに言っても最悪だった。

 希望もなく、苦渋と不幸の日々。

 こんなことの為に産み落とされたのかと恨んだことだってある。


 牧場の奴隷はみんなそうだ。父母の世代には牧場生まれではない者もいて、けれど彼らはそんな時代のことを多くは語らなかった。


 自由な日々を夢見させても、余計に惨めになるだけ。

 不幸の味が増すだけ。


 人間どもは、交配だと言って清廊族に命令して次々に子供を作らせた。

 珍種だとかそんなことを言うのを聞いて、生まれる命の未来に絶望しか見えなくて。

 辛いという言葉さえ色褪せるような毎日だった。



 だけれど、少しは良いと思ったことだってある。

 そんな環境でも、そんな環境だから。ニーレやユウラと共に暮らすことが出来た。

 特にユウラは半分同じで半分違う。トワにとってはルゥナ以外に特別に考える唯一の姉で妹。


 状況が違えばユウラと共に生きる時間はなかったのかと。

 そう思えば何だか不思議な気分だった。



 優しくて、引っ込み思案で損をする性格。

 他者の顔色を窺うところもあるけれど、それもユウラの優しい気持ちから来ているのだと知っている。

 だから手伝いたかった。


 ニーレと特別になりたいと望むけれど言い出せないユウラに、幸せを掴む手伝いを。

 そう思って協力した。


 すぐに自然な関係にはならなくても、時間をかけて慈しめばいずれニーレもわかるだろう。これが正しいと。


 うまくいった。

 全部うまくいって、ユウラは幸せの尻尾を掴んだ。

 これから、その幸せを噛み締める毎日が待っている。待っているのに。




「とわ、ちゃん……」

「ユウラ」


 手を握る。震える手を握り、震える。

 温度を感じない。


 他の音も、何も耳に入らない。

 ただ世界にトワとユウラだけ。


「いたい、の……すっごく、いたく、て……いたいよ」

「すぐ……すぐに、癒しますから……だめです、ユウラ」


 涙が溢れる。

 トワの目から。

 ユウラの目から。



「おねがい……とわちゃんに、おねがい、だよ……」

「だめです、ユウラ……そんな、そんなこと……」


 ユウラの手が、弱くトワの手を握り返した。


「ニーレちゃんには……言えない、から……」


 お願い、と。



「……とわちゃんに……おねがいしたい、の」

「ユウラ……ユウラ、わたし……私が、私は……わたし……」


 溢れる赤い血が、白く染まるユウラの肌をいっそう白く見せる。

 こんなにユウラの肌は白かっただろうか。雪のように。


「ずっと……いっしょ、だから……」

「……」

「いっしょがいい、の……おねがい、ね……」


 微笑んだ。

 涙を流して、微笑む。

 ずっと一緒に生きて来たトワに、今までで一番優しい笑顔を見せて。



「わか、り……ました……」


 だからトワも、笑う。

 無理やりでも何でも、愛しい家族に向けて笑顔を。



 ……出来なかった。



「ごめ……ごめんなさい、ユウラ。私は……私を、恨んで……」

「うれしか、たよ。ニーレちゃんのこと……とわちゃんのおかげ、だね……」


 もう涙でユウラの顔が見えない。

 ユウラの手を左手で握り、右手に別のものを手に。


「……愛していますよ、ユウラ」

「うん……わたし、も……」




「――っ」


 嘆くのは、やめた。

 そんな資格はない。トワに、愚かで愚かで愚かなトワに嘆く資格などない。


 ただ、手に残るこの感触だけは生涯忘れないと心に刻み、深く心に突き刺した。



 ――ありがとう、トワちゃん。


 響く。


 ――ニーレちゃん、大好き。


 ただ優しく。

 まだ騒がしい戦場に、どこまでも優しく響いた。



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