第三幕 075話 過ちの代価
ニーレのことは生まれた時から知っている。
赤子の時の記憶があるわけではないのだから大げさだけれど、それくらい昔から知っている。
きりりとした顔立ちが好き。優しいところが好き。
隷従の首輪をつけられた夜、涙の止まらなかったユウラをずっと慰めてくれていたのもニーレだ。
トワは、自分が首輪をつけられなかったことで引け目を感じたのか、その時は近くにいなかった。
綺麗な顔立ちなのに、奴隷として売られなかった。
ユウラたちは高級品なのだと。だから売買される機会も多くはない。
買われる前の品定めの時には、わずかな煤をそれとわからぬよう目元に塗るのだとユウラにもしてくれた。
トワと一緒にいたいという気持ちだったのだろう。
トワは売られないと言われていた。彼女と離れぬ為に、客が自分を選ばぬように化粧をする。
煤で、ほんの僅かに目元を暗く。
やり過ぎてはいけない。見栄えしないついでに体調が悪いように見えて、病気持ちの奴隷など買われないのだと。
ユウラにも教えてくれたのは、ユウラが可愛かったからではない。
自分だけがズルをしている。そんな罪悪感からだったのだと思う。
そんな必要はないのに。ユウラはニーレやトワと違って特別に容姿に優れているわけではないのだから。
高級品の奴隷は、他にももっと可愛い容姿が揃っている。わざわざユウラを選ぶ物好きなどいないだろうと。
それでも、ニーレのしてくれることはなんでも嬉しかった。
「ニーレちゃん、落ち着いて!」
「わかっている!」
わかっている。
ニーレは真面目だ。わかっていても手を抜けない。
奴隷から解放されてからは特に、正しくあろうと、真っ直ぐに生きようとしているように見えた。
ここでメメトハを見捨てるようなことになれば、それは自分の責任だと背負い込んでしまう。
器用だけど不器用なニーレ。
自分が売られぬよう細工をしたせいで売られてしまった他の仲間たちのことを、今も悔いている。
贖罪の為に自分に厳しく。
そんなニーレが心配で、もどかしくて。でもそんな彼女だから大好きなのだと思う。
「ユウラはルゥナ様の所に」
「ニーレちゃんと一緒がいい!」
甘えているわけではない。
重しとしてニーレの傍にいる。ユウラが心配なら、ニーレは無茶を出来ない。
ニーレの矢では飛行船には届かない。かなり遠く。
蝙蝠男を落とそうと続けざまに射るが、敵もニーレの矢に対して警戒が強い。
奇妙な飛び方で、貫こうとする矢をするっと躱す。
「ひょうっ! 綺麗な顔しておっかねぇなぁ」
「黙れ下衆が!」
煽り言葉に返して次の矢をつがえる。
「落ちろ!」
二本を同時に。
わずかに角度を変えて、二つの矢が一匹の敵に向かう。
「っぶね」
避け切れないとユウラには見えたが、体を捻って二つの矢の間をすり抜ける。
手強いというか、回避能力が非常に高い。今のだって隙間なんてほとんどなかったのに。
蝙蝠風なところも関係しているのだろうが、それがニーレを苛立たせていた。
「もらったぜ」
「あげないよ!」
射た後のニーレに迫る敵に手斧を振るう。
ユウラだって戦える。ニーレを守る為ならいくらでも戦う。
「なぁらお前からだぁ!」
空振り。
ニーレの矢を躱すほどの敵が、リーチの短いユウラの手斧を回避するのは難しいはずもない。
振り下ろし、下から再度切り上げるが、敵はそのリーチの外からユウラを突き刺そうと二股の槍を構えた。
「っ!」
「ぼ」
攻撃に意識が移れば、躱したはずの動作には注意が散漫になる。
ユウラは切り上げた手斧を途中で放し、下手投げのように投げた。
投げられた手斧が敵兵の腹に当たり、突き刺さりはしなかったものの傷を与え動揺を生む。
「なん」
「死ね!」
動きが止まった敵を見逃すほどニーレは甘くはない。
腹に手斧を投げつけられた敵兵は、思った以上に焦りを見せ、その脳天を氷の矢に貫かれた。
戦士にしてはお粗末な気構えで、おかげで助かった。
「ごめん、ユウラ!」
「平気だよ! 次来る!」
味方がやられたと見て、続けて三匹が迫ってくる。
他の清廊族の戦士たちがそれを牽制し、人間が落としていった剣やら石やらを拾って投げつけた。
戦っているのはユウラたちだけではない。
他の戦士たちは、ニーレなどが主力として戦っていることを理解して、援護してくれる。
戦えないサジュの住民への守りもしているが、この野卑な敵兵は嘲るように角度を変え交互に攻撃を仕掛け、すぐに空に逃げる。
弱い部分を攻めるのは戦術の基本かもしれないが、それにしても厭らしい。
敵の数は多くはない。数十という程度だけれど、空を自在に動き回り弱い所を叩こうとする。
こちらの数の多さを活かせない。
そういう特性の敵だとはいえ、不快な戦い方だ。
「はぁぁっ!」
ニーレが矢をつがえ、撃ち、撃ち、撃つ。
目にも止まらぬ三連射の最後が、逃げきれぬ敵を撃ち抜いた。
「うっでぇぇぇ」
悲鳴を上げて無様に地面に落ちた敵を、清廊族が叩き殺す。
容赦などない。
「はぁ……はぁっ」
荒い息をまるで気合のように誤魔化して次の矢を放つニーレ。
「ニーレちゃん無理しすぎだよ、休んで!」
「平気だ!」
地面に落ちた敵に止めを刺していた清廊族に、上から襲い掛かろうとした敵。
それを狙って、あるいは牽制の為に放つ。
ニーレの撃つ矢はいつもより細く、威力も弱まっているように見えた。
既に撃った氷の矢は百では足りない。短時間に多すぎる。
一回ずつは高威力の魔法ほどではないが、疲労が溜まっていくはず。疲労すれば、どんな戦士でも集中力が途切れるもの。
「危ない、ニーレちゃん!」
「っ!」
相手の隙に付け入ることを狙い続ける敵が、ニーレの隙を見て何もしないわけがなかった。
死角になる真上から二股槍を投擲。死んだ同僚のそれを拾っていたらしく、二本持っていて。
ユウラは咄嗟にニーレに飛びつき、抱きかかえて転がる。
足を掠りふくらはぎに痛みを感じるが、良かった。
ニーレの脳天に突き刺さることはない。
「っひゃあ!」
投げた槍を追うように、敵自身が転がったユウラたちに急速に滑空していた。
「!」
避けられない。
ニーレはユウラの下敷きで、ユウラ自身も転がり態勢が崩れている。
それなら、やるべきことは決まっている。
「ニーレちゃんは!」
「ユウラ!」
「守るの!」
盾になればいい。
ユウラの一番大切なものを守る為になら、なんだって出来る。
そう、トワと話した。欲しいものを手に入れる為にどうするかと。
なんでも。
なんでも。
「なんだってするんだから!」
「死ねやぁ」
突き出される槍に腕を突き出した。
避けられないなら、ここに刺さればいい。
「い、ったぁぁぁ‼」
「ば、馬鹿じゃねえのか!?」
掌を貫いた槍を、痛みで涙が溢れるのを感じながら横に払う。これで命には届かない。
「きさまぁ!」
「お、わぁっ!」
地面に尻をついたままニーレが矢を放ち、敵兵が慌てて空に逃げた。
「ユウラ!」
「に、れちゃん、だめ……まだ、来るよ」
痛い。痛くて、痛すぎる。
うずくまるユウラにニーレが駆け寄るが、敵の気配も近付いてくるのがわかった。
槍は抜けていた。手の平の一部が切り離されている。仕方がないとはいえ、見たら余計に痛い。
これではユウラは戦えない。それを気遣っていては、今度はニーレが窮地に陥る。
「お友達が死んじまうぞぉ、あはぁっ!」
「ほうれ、こっちもだぜ」
「下衆どもが!」
苛立ち弓を振り回して敵を払うニーレを嘲るように、敵兵がすぐ近くの空をふらふらと飛びながら嗤った。
「ユウラに、近付くなぁ!」
叫び、再び矢をつがえる。
「殺す!」
今まで以上の気迫を込めて、数本の矢を同時に放った。
「おぉっと、おっかねぇ」
しかし冷静ではない。
タイミングが同じでは、奇妙に俊敏な敵を捉えきれない。
「死ね! 落ちろぉ!」
当たらなくとも止まらない。ユウラが傷つけられたことで、強く自分を罰するような撃ち方を。
続けざまに放つ矢の束に、さすがの敵も近付くのを諦め離れた。
「ユウラ、大丈夫か!?」
敵を追い払い、すぐにユウラの下に帰ってくる。
既に他の清廊族の戦士がユウラの傍に来てくれていたが、もちろんニーレが近い方がずっと嬉しい。
「ん、いたいぃ……すごく、痛いけど……良かったぁ」
傷ついていない方の手でニーレの頬を撫でる。
いつも凛々しい顔立ちに、疲労で目の下が暗くなっている。昔の、煤を塗った化粧のように。
「ニーレちゃん、怪我なくて」
「馬鹿を言うんじゃない。ユウラがこんな……ひどい」
「ニーレさん、ユウラさんとルゥナ様のところへ」
「あ、あぁ……そう、だね」
仲間の戦士の言葉に、パニックになりかけていた頭が少し冷めたらしい。
もっと冷静に物事を見られると思っていたけれど、ユウラが傷ついたことでひどく混乱していた。
冷静さを失ってしまうのは、きっとユウラの告白の仕方に原因があったのだと思う。
(ちょっと、失敗だったかな)
反省した。
脅迫して、恐怖を植え付けて。あんなやり方でニーレを縛ってしまったことを。
どうしても欲しかったから手段を選ばなかった。だけど、やはりこの関係はいびつだ。
落ち着いたらニーレに謝ろう。素直に。
少し時間は必要かもしれないけれど、そうすればきっと帰ってくる。
ユウラが一番好きだったニーレが。今度こそ、本当に真っ直ぐにユウラを見てくれるだろう。
ルゥナ達の居場所を、と。
気が逸れた。
ニーレだけでなく、戦士たちも疲労が蓄積している。注意力が落ちていた。
「危ない!」
敵が退いた。空を飛ぶ敵は、先ほどニーレが追い払った。
けれどそれは違うのか。
ニーレの矢のこともあったが、時間だったのだ。
やや離れた場所に見つけたルゥナ達の頭上に、落ちてくる黒い球。爆裂の魔法が放たれるタイミングを、敵は察知して退避した。
「しま――」
「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」
アヴィの声が響いた。
猛烈な吹雪が、落ちてくる黒い球を遠くと打ち払う。
先ほどは相当ひどい有様だったが、アヴィは戦いから意識を逸らしていなかった。
「アヴィ様、か」
ニーレの口から安堵の息が漏れた。
他の戦士たちも、そちらを見て。
ただ、膝を着いていたユウラだけは反対方向を見ていた。だから見た。
落ちて来た黒い球の一つを抱えて嗤う、蝙蝠の羽を持つ人間の顔を。
嗤う。
安堵の息を漏らしたニーレたちの背中を見て、嗤う。
「だめぇ!」
既に敵兵は、それを投げていた。
ニーレ達の背中に向けて。
罰なのだと、そう思った。
大切なものを傷つけ、自分を傷つけた。そんな間違いに対する罰。
だとしたら。だとしても。
こんなひどい罰を受けるべきなのは自分だけでいい。
ニーレは何も悪くない。
「ニーレちゃんは」
足は、勝手に動いてくれた。
「私が守る」
「ユ――」
「だから!」
ユウラの視界を、眩い光が覆いつくした。
※ ※ ※
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