第三幕 067話 声を砕いて



 包み込む。


 アヴィを、忌まわしい黒い光の粒が飲み込む。

 ルゥナを、逃れ得ぬ絶望が飲み込む。



 終わりだ。

 何もかも終わりだと。


 他の仲間たちもどうにかしようと視線を巡らせるが、ダァバの様子に隙はない。

 またその頭上に構える翼を持つ人間パッシオとやらも、一瞬でも気を抜けば即座にこちらを殺せる構えだ。


 何も出来ない。

 出来ることがあるのだとすれば、せめてこのような下衆に自由にされぬようアヴィの命を絶つことくらい。

 愛する誰かの命を絶つ。それは自分が死ぬよりもつらいこと。


 ああ、それなら。

 それなら、ルゥナの手でしよう。他の誰にも任せられない。譲れない。


 アヴィを殺して、自分も死ぬ。

 これで永遠に――




「なんだ……っ!?」


 ――ぶぉ!


 弾けた。



 ダァバの手元が。はじけ飛んだ。


「ダァバ様!?」

「う、ぁ……」

「アヴィ!」


 アヴィを飲んだ黒い輝きも弾けて、ルゥナはようやく自分の意思で動けた。

 絶望に飲まれかけていた体が動き、倒れるアヴィを抱き留める。


 何が起きたのか。

 全く理解できないが、少なくともこれは敵にとっても予想外の事態。



『いまだよ!』


 耳を打つ声に、他の仲間たちも弾かれたように動き出した。


 誰もが飲まれていた絶望の中、間髪置かずに動けたのはこの声のおかげ。

 ユウラの力にはいつも肝心な時に助けられる。



 エシュメノが何より大切だろう槍を投げ、翼を持つパッシオという敵が打ち払う。

 続けてミアデが投げたナイフに対して翼を盾にしてダァバを庇った。


「ダァバ様、御無事ですか!?」

「な、何でもない! それなら壱角の娘だ!」


 標的が変わる。


 何の理由かわからないがアヴィを狙った呪術は失敗して、それを警戒した。この事態はダァバにとっても想定外。

 原因不明のアヴィはいったん後回しにして、それならばと。



「エシュメノ!?」

「遅い! 女神は命ず。痴愚の環椎に刻む符印は指顧の下にあれと。隷従の烙号」

「っ!」


 エシュメノが跳んで逃げる。

 ダァバから放たれた黒い靄のような何かがそれを追った。


「ははっ、馬鹿だね」


 飛び回るエシュメノを嘲るように笑うが、その声には最初ほどの余裕はない。


「女神の声から逃れることなど出来るはずがないだろう」



 声から逃れる。

 ダァバの言葉はよくわからないが、声から逃れるということは出来そうにない。

 エシュメノが逃げる先には別の仲間もいて、わずかに戸惑った。

 逃げたら別の誰かに当たる。



「う、うあぁぁっ!?」

「ほうら、掴まえた」

「お前を倒せば!」


 ルゥナとてエシュメノを心配しないわけではない。

 だが、今使ったのは詠唱を聞く限り隷従の呪術だ。

 ならば答えは出ている。術者を倒せばいい。


「やらせん!」

「はぁっ!」


 翼のパッシオがダァバを庇うところを、ミアデと共に攻める。


「貴様ら程度、まとめてかかってきたところで!」


 どれだけの強敵だろうが構わない。

 ただ全力でルゥナが斬りかかり、ミアデが横から拳を振るう。

 刃を足甲で打ち返され、拳を翼で振り払われた。



「ラッケルタ!」


 囮だ。

 自分たちはダァバから少しでもこの男を引きはがす囮。

 本命は、セサーカの幻術で姿を隠して近付いていたネネランたちの一撃。


 ラッケルタの火閃が、一直線にダァバに向かった。



「鬱陶しいなぁ!」


 ダァバが再び右手を掲げて、手にしていた環状の武具でそれを防ぐ。

 火閃が飛び散り、激しい火花が周りを焦がす。けれどそこまでか。



「エシュメノ様は!」


 火閃を防いだことで動きは止まった。踏ん張るのだから当然。

 そこにネネランが突く。

 とても届く距離ではないように見えたが、ネネランの持つ魔槍紅喰は違う。


「私がお守りします!」


 ぐんと伸びてダァバの首を狙う。


「どいつもこいつも馬鹿みたいに!」


 ネネランの槍を、やはりその輪状の武具で受け止められた。


 なんなのだ、あの武具は。くりからのわ、とか呼んでいたようだが。

 呪術を放つ助けにもなり、火閃も槍も防ぐ頑強さ。何で出来ているのか。



「まだです、よっ!」


 一瞬で伸びたネネランの槍は受け止められた。

 けれど、そこからもう一歩ネネランが踏み込んだ途端に、


 ――ぼんっ!


「わっ!?」


 爆発した。穂先近くに何か仕込んでいたらしい。

 決して威力は高くはないが、それでも手元で爆発が起これば誰でも怯む。


「ラッケルタ、もう一回!」

『Quaa!』

「ダァバ様!」


 続けて放たれた火閃。

 今度は直撃だった。


 ルゥナ達を一瞬で置き去りにして、その翼でダァバを庇ったパッシオに。



「ぐぅっ」


 ラッケルタの一撃をまともに受けては、異様な妖奴兵とやらでも呻きを上げる。あの火閃は直撃すれば岩をも溶かすほど。

 普通の生き物なら焼き貫かれるだろうが、敵は普通ではない。火閃を浴びて怯むものの致命傷にはならない。



「やっぱり数が多いと邪魔だな」


 翼で覆われ炎熱から庇われる中から、ダァバの溜息交じりのぼやきが聞こえた。



「仕方ない、じゃあ少し数を減らしてよ。エシュメノ、だったっけ?」

「っ!」


 しまった。

 攻めきれず、むざむざ敵にエシュメノの力を使われてしまう。


「エシュメノ、駄目です!」

「エシュメノちゃん!」


 黒い靄に包まれ、うずくまるエシュメノ。

 その胸は、緑色に輝いて……?



「?」


 立ち上がらない。

 黒い靄の中で輝く緑が、だんだんと光を強くして。



「なんだ? これは……」

「エシュメノちゃん、こっちだよ!」


 ユウラが再度呼びかけた。

 ルゥナにはわからなかったが、エシュメノの耳に直接届くよう共感の魔法を使っているのかもしれない。


「ううぅぅあああぁぁぁぁ!」


 エシュメノが吠えた。



「あぁ? なんなんだ君らは!?」


 ダァバの焦った声。


「ソーシャの、ために、生きるのぉぉ!」


 深緑の輝きがより一層強まり、黒い靄を消し飛ばした。



「なんでだよっ!」

「ダァバ様!」


 ――ギキャ!


 音を立てたのはダァバの方だった。

 吹き飛ばされたように覆いかぶさっていたパッシオが離れるが、ラッケルタの火閃も収まっている。


 広く開かれたその手から、がらっと残骸が落ちた。

 環状のダァバの武具、繰空環くりからのわとやらの残骸が。



「女神の軸椎が砕けるはず……!?」

「うあぁぁぁっ!」


 黒い靄から放たれたエシュメノが、右の螺旋の短槍だけを手に突貫した。


 近付いては得体の知れない術で命を奪われるかもしれない。

 そう思う反面、今なら大丈夫かもしれないとも考える。

 いや、考えている暇などない。今はただこの敵を討つだけだ。



「極光の斑列より、鳴れ星振の響叉!」


 エシュメノの攻撃と合わせて放つ。

 先ほどまで手にしていた刃は、既にアヴィが持っていった。


 中央をルゥナの魔法が、右からエシュメノの短槍、左にアヴィの地擦りからの斬り上げ。



「ぬぅぅっ!」


 三つを受け止められた。


 ダァバの前に立ちはだかったパッシオが、槍に翼を貫かれ、刃も食い込んだ翼で、口から血を吐きながら魔法に耐える。


「やらせん……ぞぉ!」


 弾き飛ばされるアヴィとエシュメノ。

 どちらもひどい顔色で、とても万全とは言えないが。それでも戦う意志は失っていない。



「く、っそ!」


 仲間はそれだけではない。

 ミアデとネネランが左右からダァバに迫っていた。


 左手でミアデの拳を打ち払い、右足でネネランの槍を蹴り上げる。

 老体とは思えない身体能力だが、反撃までは至らない。


 右腕が、だらりと垂れさがっていた。



「どうして僕が、こんなっ!」


 先ほどエシュメノが呪術を振り払った際に、武具と共に右腕も砕けたようだ。

 ひどく消耗した顔で、声にも全く余裕がなかった。



「今なら!」


 ダァバを討つなら今をおいてない。

 後のことなど考えていられない。ルゥナ達の意識がそうまとまったのは当然で、敵もそれは考えるまでもなく察する。


「一度退きます、ダァバ様!」


 パッシオの身体能力は異常だ。この混じり物の妖奴兵というのは、過去にもそうだったが異様な力を発揮する。


「だけど!」

「ダァバ様の呪術の通じぬ相手など異常です! この場はどうか!」


 言いながら、既にパッシオはダァバの体を掴んでいる。

 速すぎて追い付けない。


「百年以上待ったんだ」

「……」

「……準備をやり直す。そうしよう」

「恐れ入ります」



「待ちなさい!」


 駆けたいが、こちらも既に相当な消耗をしている。


「この報いは、いずれ必ず受けてもらうよ。絶対に……」


 傷ついた翼とは思えぬ速度で南西に飛び去る敵に、追い付くことは出来なかった。



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