第三幕 066話 根を張る声



「おまえ、は……」


 アヴィが立ち上がる。

 苦痛は大丈夫なのか。そんなはずはない。

 おそらく体中を走る激痛が頭を叩いているだろうに、それを強引に振り切って。


「アヴィ!」

「……逃げて」


 貴女達だけでもと言うように、ルゥナの前に立って。

 仮にアヴィの言う通りにしても逃げ切れるかどうかわからないが、そんなことはできない。



 敵の異常さは感じ取れる。正面から戦っていい相手ではない。

 異常と言うのか、その表現も何か違う。


 異質で、場違い。異物。

 人間どもの死体も清廊族の亡骸も残る戦場にあって、このダァバだけが何か絵画を切り貼りしてそこに置いたようなちぐはぐ・・・・さ。


 空を飛ぶ飛行船とやらと同じく、生き物とは思えない。こんな生き物がいるはずがない。



「うおぉ!」

「ふざけた妄言を!」


 雄々しく叫びながら襲い掛かる清廊族の戦士たち。

 勇敢さではなくて、怖れから。


 わかる。怯えた気持ちは攻撃性を増す。

 ルゥナが自分だけで対峙していたとしたら同じように向かっていたかもしれない。

 怖くて、恐ろしくて、がむしゃらに攻撃していたのではないか。



「騒がしいよ、君らは」


 老爺の口から少年のような口調で、ぬるりと刃から体を躱す。


「もらった!」


 大きく避けたわけではない。二撃目が届く程度の距離。それを見逃すような腕ではない。


「っ――!?」

「ふ、あ……」


 左右から斬りかかった戦士が二名、その場に力を失って倒れた。

 ダァバと名乗った男はただ一度躱しただけ。


 何かを仕掛けた様子もなく、倒れた戦士たちの吐いた息を払うように・・・・・・両手を大きく広げた。



「僕に手間を掛けさせるんじゃない。清廊族は相変わらず愚か者ばかりだね」

「っ!」


 アヴィを抱きしめて、後ろに大きく飛びずさる。


「呪術師!」


 エシュメノや他の見ていた者も、即座に距離を取った。


 得体の知れない術を使い、何をされたのかわからない。

 だが戦士は倒れた。目から血涙が零れ、痙攣している手足は既に生きている動きではなかった。



 近付いただけで死ぬのでは戦いにならない。どうすれば――


 敵の手口、対抗手段。

 何を優先すればいいのかわからず、故郷の大地を楽しむようにゆっくりと歩くダァバから目が離せない。



「ルゥナ様危ない!」

「いい戦士だ」


 頭上にミアデが跳び、甲高い音を立てた。

 思索に捕らわれたルゥナの死角を、近くで見ていたミアデがフォローする。


「やれる呼吸だったが、それなりの腕の者が他にもいるか」

「させない!」


 空から襲って来た別の敵。ミアデに言われなければ全く気が付かなかった。



 他にも空を飛ぶ魔物はいる。蝙蝠男とでもいうのか、そんな印象の。

 それらとは違う。

 他と違い体格が良く、翼の形状も皮膜のようではない鳥の翼のよう。


 濃い茶髪の壮年の男。翼がなければただ少し大柄な人間の戦士に見える。翼も毛髪と同じような茶色の羽だ。



「殺さない程度にと加減したとはいえ、防がれました。申し訳ありませんダァバ様」

「構わないよ。とりあえず手を出さなくていい、パッシオ」


 そのままダァバの頭上に。

 これもまた異常な強さを感じさせるけれど。



「まだどれが氷乙女か、氷巫女が紛れているかもわからない。不用意に殺したら勿体ないからね」

「はっ」


 勿体ない。

 使えそうな道具を選別するかのように。


「爆撃で死ぬ程度なら別に仕方がないんだけど、君は少し強すぎるよ。パッシオ」

「恐れ入ります。全てダァバ様のお陰です」


 先ほどから放られる爆発物よりも、この一匹の魔物の方が強いということか。


「例のオオウナギの奴もだけど、出来れば氷乙女は手駒にほしい。従えられる数には限りがあるから無駄にしたくはないんだよ」

「ダァバ様の仰せのままに」


 理解しきれない会話だが、身勝手なことを言っていることはわかる。

 従えられる数に限りがあるというのは、隷従の呪術のことか。数が限られるのなら氷乙女を見つけて呪いをかけようと。



「まじり、もの……」

「そのようです」


 アヴィが呟き、ルゥナが応じる。


 混じりもの。

 人間と魔物の混合生物。

 アヴィのことをソーシャがそう呼んだこともあった。他でも見たことがある。

 クジャを襲ったキフータスとロドという人間の男。人間だったもの。



「ダァバ……お前が、清廊族の裏切り者……」

「見解の相違ってやつだけど、おかしいな。どうしてか君らは妖奴兵ようどへいのことを知っているようだ」


 妖奴兵。

 それがこの魔物と人間の混じりものの呼び名らしい。



「神である僕に背いた清廊族こそが裏切り者。それが正しい見方だろう」


 挑発しているわけではない。

 本当に、本気でそう思っているのか。

 清廊族全員の想いより自分の見方が正しいなどと、正気を疑う。


 頭がおかしい。

 この男は他の者が当然自分に従うものだと信じて疑っていない。

 ダァバという男について、パニケヤやカチナは言葉にしにくい嫌悪を抱いていた、それを思い出した。



「それで、君たちは妖奴兵のことをどうして知っているのかな」


 気色が悪い。

 老齢のくせに妙に若々しい喋り口調。

 答える道理もないのに、当たり前のように質問してくる態度も。


「僕に教えてくれないかい?」

「……お前のような者が、いていいはずがない」


 アヴィが呻いた。

 この地に。この世に。

 ここにいるということ自体が不自然。存在が奇天烈な男。



「まあいいか。どうせ君らの方から話したくなるだろうし」

「ミアデ、エシュメノたちと逃げなさい!」


 アヴィを置いていくわけにはいかない。今のアヴィでは走ることもままならない。

 ルゥナは死んでもアヴィと離れない。逃げられぬのならもはや死ぬだけ。


 せめて他の仲間たちが生き延びてくれれば、まだ希望はある。希望は残る。

 そんなルゥナの命令を。願いを。素直に聞いてくれるとは思ってはいないけれど。



「本当に清廊族の女は……まあ、それならちょうどいい実験だ」


 ダァバの手が、初めて外套から外に出された。

 その手には、環になったような灰色の何かが握られている。


 見たことはないが、ルゥナは妙な懐かしさを覚え、そのことにぞくりと首筋に寒気を感じた。

 握り拳に嵌められたような灰色の、環状の骨、だろうか。



繰空環くりからのわ


 その武具の名前だと思うが、まずい。

 敵は呪術師だ。ダァバはカナンラダ大陸を逃れ、人間の世界で呪術を習得している。

 呪術師という相手の異様さと恐ろしさは、身に染みて知っていた。



「女神の声が呼ぶ。衷心の腑底に根差す無私無極の寵華を。愛奴の求根」



 なんだ、この詠唱は。

 詠唱を聞く限り隷従の呪術ではない。

 ただ体の自由を奪うものではなくて……



 動けなかった。

 アヴィを守らなければならないのに。

 敵の呪術。それがどのような効果であれ、許せるはずがないものだとわかっていたのに。


「アヴィ!」


 それでも、動いた。動けなかったけれど一歩でも前に。

 せめてルゥナが身代わりになれば。


「ルゥナ、だめ」


 とん、と。突き放された。

 力は強くなかったけれど、その手には逆らえないだけの想いが込められていて。



「とりあえず氷乙女は僕の忠実な――」


 黒い輝きがアヴィを包んだ。

 包み込み、アヴィの口や鼻や穴の隙間から中に入り込み、根差そうと。


「愛の奴隷になる」


 忌まわしい呪術が再びアヴィを襲うのを、またしてもルゥナは止められなかった。



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