第三幕 065話 西の空、再臨の王_2
「ルゥナ様!」
門の方から駆けてくるユウラの姿があった。
怪我をしている様子はない。
爆発で門が崩れる少し前に出てきていたらしい。セサーカ達もそうだったのだろう。
「ユウラ、無事で良かった」
「アヴィ様が!?」
「大丈夫です、薬を飲ませました。何があったのですか? メメトハは?」
まず確認しなければならないのはメメトハのことだ。状況を弁えずユウラが助けろと言ったのだから。
「メメトハは無事なのですか? あの黒い中に?」
「違うの。湖の魔物が怒ってメメトハを殺すって言って、だけどあの黒いのをやっつけたら許してくれるって」
ユウラも焦っている。
珍しく早口で説明しようと続けるが、混乱していて言葉が足りない。
「わかりました、ユウラ」
わからない。
けれど、わからないと言ってしまえば、ユウラはさらに混乱するだろう。
この子は少し冷静さが足りない。
「その湖の魔物というのは何です?」
一度わかったと飲み込んでから、不明なことを訊ねた。
「あ、ええと、ヌカサジュの主だってメメトハが言ってた」
「ヌカサジュの……」
御伽噺のような話で、過去に聞いたことがあったような気もする。
「大きな魚の魔物で、湖を堰き止めたからってものすごく怒ってて」
「そう、でしたか」
「みんな殺すって言ったんだけど、メメトハが自分がやったから自分だけを……ルゥナ様、メメトハを助けて」
「わかっています、ユウラ」
メメトハではない。ルゥナの責任だ。
湖を堰き止め、町に氷を張る下準備にした。指示したのは自分なのだから、湖の主の怒りを受けるのもルゥナであるべき。
「それで、その魔物があれですか?」
巨大な魚の魔物。
想像しにくいが、確かに空に浮かぶ黒い塊は魚と言えばそうかもしれない。
表面が鱗のようにも見えるが……いや、ヌカサジュの主だとすれば人間の味方をするのもおかしい。
「違うの。
「なるほど、そうでしたか」
流白澄は巨大な魔物ではない。腕の長さ程度の長細い魚で、この湖や川辺りに生息する普通の魚だ。鱗がないので少し見かけは変わっているが。
それを巨大にしたものなのだと理解する。空を飛ぶあれとは別。
「日が暮れるまでに不愉快なあれを落とせば、罪を流すって」
「わかりました、ユウラ。貴女は休んで下さい」
話は大体理解できた。
人間との諍いの為に、伝説の魔物の領分を侵し、その怒りを買った。
怒りを鎮める条件として、人間どもが使っているあれを落とせと。
流白澄の魔物ということであれば、空を飛ぶことは出来まい。不愉快でも、空高くにあるものに有効な手段がないのか。
不愉快。
伝説の魔物がそう感じる何かがある。
落とせと言った。殺せではなくて。
やはりあれは生き物ではないのだろう。
「ひこう……せん……」
「アヴィ」
ユウラと話している間に意識が戻ったのか、アヴィが小さく呻く。
顔色は悪く細かな汗が額から首に浮かんでいるが、声が聞けてとりあえず安心した。
「大丈夫ですか?」
「ん……飛行船。人間が、乗ってる……」
「知っているのですか? 飛行船……あれが船?」
言われて、改めて空の塊を見上げる。
こちらの頭上を行き過ぎ、今は僅かに南に傾いているようだ。
向きを変えようと言うのか。
言われてみれば、船のように見えなくもない。
清廊族は大きな船を持たない。
人間は、百から千の人間を乗せるような巨大な船を造る。
ルゥナが過去にこの西の海に漂着した船の残骸を見た時、ずいぶんな大きさだと感じたものだ。
空に浮かぶそれは、その船よりも十倍ほど大きいように見えるけれど。
「わかりました。アヴィ、今は休んでいて下さい」
あれが何者であろうが落とすことに変わりはない。
今のアヴィにはそんな力はない。体を休めてもらわなければ。
「ユウラ、アヴィをお願いします。エシュメ――」
「違うルゥナ!」
どうにか手立てを考えようとエシュメノに声を掛けようとして、警戒の声が返された。
はっと身構え、エシュメノが睨む先を見る。
「敵!」
「清廊族の壱角とは、また珍しいものを見られたね」
敵がいた。
いつからなのか、ルゥナたちが集まる場所から十数歩離れた辺りに、まるで地の底から湧き出たように。
灰色の外套で全身を覆い、顔も見えない。
「あの女傑を倒すなんて、君が今代の氷乙女なのかな?」
「馴れ馴れしい……」
「ルゥナ、油断しちゃダメ」
「いや……違うな。君はただの珍しい壱角。氷乙女はその女の子か」
「不愉快な人間が!」
外套の中の目がアヴィに向けられ、ルゥナの神経を逆撫でする。
傷ついたアヴィを守らなければと思う気持ちもあった。
ただそれとは別に、異様な気持ちの悪さ。
敵意や殺意とは違う、卑猥な興味関心の目をアヴィに向けられて。
苦し気に息を吐きながら膝立ちになるアヴィ。その前に立って敵の視線を遮る。
「なにも――」
問い質そうとして、今ほどの会話を反芻した。
――清廊族の壱角。
――今代の氷乙女。
なんだ。
人間の言葉にしては奇妙に思える。
――馴れ馴れしい。
そう言ったのは自分だ。
敵のくせに、不愉快な距離感で話をするなと。そう感じて。
「お前は……何者、ですか?」
尋ねるのが躊躇われて、声が震えぬよう魔術杖を握り締めて抑える。
嫌な気配と、嫌な予感。
ぞわりと毛穴が開くような感覚。
「ふふっ、僕かい?」
灰色の外套に包まれた体躯は決して大柄ではない。
ルゥナと同じ程度の背丈で、体重もそれほどあるようには見えなかった。
「喜びをもって迎えるといい、清廊族」
「……」
「君らの王がこの地に戻ったのだ」
痴れ事を。
言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。
そう言ったのか。
天を仰ぐように姿勢を上に逸らす。
灰色の外套から見えた顔は、皺だらけの老人。
年を重ねたその肌もまた、焼き尽くされた灰のような色で。
「この世界の神、ダァバだよ」
その瞳だけが膿んだ血のように赤く
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