第三幕 045話 サジュの夜
「増水、ですか?」
グリゼルダの腰の曲線。
ちょうど通路側の燭台の明かりが逆光になって、卑猥なシルエットを見せる。
初めてお互いを貪った頃からは年月が過ぎたけれど、相変わらずそのラインは女性的で綺麗だ。引き締まった腰と、それなりに大きい尻がいい。
捕虜を
戦場では敵なしのコロンバなのだが、寝台の上では意外とグリゼルダにやり込められてしまうことも少なくない。
心地よい倦怠感で起き上がれず、何か報告に来た兵士の応対をしているグリゼルダの背中をうつぶせになったまま眺める。
彼女の褐色のしっとりとした肌が、また心地よいのだ。
「なんだって?」
「見てみないと何とも……って、まだやるの?」
戻って来たグリゼルダを掴まえて、体に巻いていた薄い敷布をはぐる。
「グリゼルダはなぁんもしなくていいって。今度はあたしの番だから」
まだ夜半過ぎだ。もう少し遊んだっていいだろう。
「別に……好きにしたらいいけど」
ある程度満足する頃には、コロンバの顎は普通には感じない疲労を覚えていた。
長い時間、口を開き舌を伸ばすというのは結構疲れる。英雄級の力を有していても、こういうのは疲れるものか。
似たようなことをしても、グリゼルダはそこまで疲れた様子はない。的確に要点をついた形で、結局はコロンバが負けてしまったような気もする。
「ああ、んが……えっと、なんだって?」
聞きそびれていたことを訊ねてみると、グリゼルダもわからないと言うように首を振った。
「湖が増水していると。昨日までの雨のせいなんでしょう」
「問題があんのか?」
「さあ、このままだと道路が水浸しにはなりそうみたい」
湖の水が溢れたとして、それで町が水没するわけでもない。
周囲の畑などは水に浸かると被害があるかもしれないが、その程度の話。
「影陋族の町ってのはそういうの考えてないのかね」
「そんなこともないと思うのだけど」
確かにそれなりに降ったとは思う。だが土砂降りが何日も続いたわけでもない。
それだけの雨で被害が出るようなら、町の造りに問題がある。
人間の町なら考えられないが、ここに住む影陋族は何を考えていたのだろう。
まあ人間とは違う種族なのだから、理解しようと考えても意味がない。
なるべく自然のままに、とかそんなことを言うのだろう。努力を放棄しているようにも思う。
「増水はともかく、イジンカからの増援はどうなってるんだか」
「当分なさそうね。アトレ・ケノスも動いているというのに、内輪もめなんてしている余裕があるのかしら」
コロンバたちが主な拠点としているイスフィロセ勢力の港町イジンカ。
ここには一万の兵で攻め寄せ町を占領したが、予定外のこともある。
アトレ・ケノス共和国の軍も、時同じくして侵攻を開始していた。
その中に、情報にあった一際大きな飛竜とそれに従う飛竜騎士の部隊を確認している。
「竜公子ジスラン様とやらに、あのクソ爺もいやがったって……」
言いながら、思わず力が入ってしまい肩を震わす。
先ほどまでと別の意味で体が熱くなる。怒りで。
「かなり本気ということよ、アトレ・ケノスも」
そっとグリゼルダの手が背中に当てられた。
「……私のことなら、もう気にしないでいいから」
「あの爺は、絶対にあたしが殺す」
「そうね」
怒りで熱くなっても、気持ちは冷静に保つ。
過去にそれで失敗した。自分の力だけを頼みにして突出し、混乱した戦況の中でコロンバを支援しようとしたグリゼルダが捕虜となった。
士官であるグリゼルダを簡単に殺しはしないだろうと、再び単独で敵陣に殴り込み取り返したけれど。
それからしばらく、コロンバはグリゼルダと距離を置いた。別れを選んだつもりだったが、結局はまた元通り戻っている。
自分の短慮でグリゼルダに汚辱と苦痛を与えてしまったことを後悔している。
コロンバは強い。
単独でコロンバと正面から戦えた者は、その怨敵ムストーグ・キュスタともう一人。
ビムベルク。ルラバダールの英雄は、ムストーグ率いるアトレ・ケノス軍の攻勢を凌ぎつつ、コロンバをも退けたものだ。
使っている武具の差もあったが、あの時点では初めて自分より強いと思える敵だった。
今なら負けない。
作秋、海の魔境
力を増した自分と、竈骨島を平らげたことで得たもう一つの手段。それが今回の侵攻作戦の大きな原動力になっているはずだったのだが。
「
「所詮は試験的なものよ。アトレ・ケノスが北に向かうのならイジンカに戦力を残す理由も少ないはずなのだけど」
思いの外、ここサジュが簡単に落ちてしまったのが原因か。
コロンバを快く思っていない将軍などが、増援を送るのを渋っているのだろう。
「戦力でなくても、もう少し呪い士やら呪術見習いでもいりゃあ捗るのにさ」
「影陋族どもに食料生産をさせたいけど、すぐには」
この町の防備を整えることと並行して、維持するための食料確保をしたいのだが。
一応、コロンバとは別に軍の指揮官をしている男からも要請はしているはず。
物資の輸送もこの町の備蓄もあるが、安定していつまでもあるものではない。
拠点を奪っても、維持できなければ無駄な労力になるだけ。何のためにここまで侵攻してきたと思っているのか。
コロンバを疎むせいで本来の目的を見失っている馬鹿がいる。それもまた人間らしい。
「っとに、馬鹿な連中だぜ。あたしが失敗すりゃいいと思ってんだろ」
「それが自分の首を絞めるでしょうにね。アトレ・ケノスがまたいつ攻めて――」
「コロンバさん!」
言い終わらないうちに、慌てて駆けてくる声があった。
「敵です!」
「だと思った」
やれやれ、と肩を竦める。
駆けてきたのは、コロンバたちへの伝令をよく務める女兵士だった。
戸を開けて、薄着の二人を見てやや顔を赤くする。
「あ、すっすみませんっ!」
「終わったところさ、いいよ」
コロンバはグリゼルダ以外にさして興味はないが、初心な反応は可愛いものだ。
終わった……と口の中で呟いて、さらに赤くなる。
「すぐに行きます。別動隊がいるかもしれませんから、物見は持ち場を離れないよう再度通達しておいて」
「はっ、わかりました」
再び駆けていく女兵士。
目立った方向に目を奪われ、別の角度から襲われるのも困る。
物見は本来そういう役割なのだが、人間の注意というのはつい散漫になるものだ。だから再度の指示を徹底した。
「さぁて、やってやろうかね」
「ムストーグがいたらそれをお願い。竜公子やらは、私とあの冒険者たちで対応します」
竈骨島を制覇する際、軍が雇った冒険者。勇者級の力を持つ者が二人と、それに準ずるだけの実力者など。
一緒に戦ったことでコロンバを好ましく思ったらしく、この戦いにも同道してくれている。
「ずいぶん嬉しそうね」
「うん? そう……だなぁ」
否定しようかと思ったが、つい笑みが浮かんでしまった。
生意気な捕虜を責めるのも愉しんだが、やはりそればかりでは飽きる。
「バカな味方のせいで溜まったもんを思いっきり吐き出してやろうかってね」
「敵ながら同情するわ」
鋭気を養い戦意も高いコロンバの笑みにグリゼルダが浮かべた憐れみは、コロンバへの高い信頼によるものだ。
戦うコロンバの鮮烈さを一番よく知っているのは彼女なのだから。
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