第三幕 041話 盾_1



 役目を終えて東へ逃れるはずだった。


 トゴールトの東の町を駆けるノエミの頭上に羽音が響く。

 純白の翔翼馬。瞬く間にノエミを置き去りにして西へ。突如として南から現れた正体不明の軍勢と、エトセン騎士団が戦う場所に向かっていった。



「イリア様?」


 予定と違う。

 予期しなかった援軍もそうだが、イリアが戦場に向かうのも予定とは違う。

 マルセナの安全を最優先にしてきたのだ。共に騎乗していたのは確認出来た。


 援軍が現れたことで戦況を有利と見て戦うことにしたのだろうか。

 だとすれば考えが甘い。確かに敵に損害を及ぼすだろうが、形勢がどうなるのか。良くて五分程度に考えなければ。

 混戦になればやはりマルセナに危険が及ぶ。そんなことをイリアがするだろうか。



「……」


 夜の空を凄まじい速度で過ぎていったのだから、ノエミの目にもしかと見えたわけではない。けれど。


「泣いて……いました、か」


 一瞬だけ目に留まったイリアの顔は、いつになく悲し気だったように思う。

 その背中も力を失っていたように。



「イリア様」


 大切に思う彼女にあのような顔をさせたくない。放っておくわけにはいかない。


 隷従の呪術は、主の危機となれば強制的に守ろうとさせるそうだが、それは危険と目にした時でなければ働かないらしい。

 だからこれはノエミの意思だ。



「私が、お助けしますから」


 既にノエミの足は、今ほど駆けてきた道を逆に辿っていた。それまで以上の速さで。

 とは言ってもディニの速度に追い付けるわけではないが。



「これからも毎日一緒に寝て、一緒に起きましょう」


 ノエミの望む幸せはそれだけだ。マルセナがいて、イリアがいて、一緒に穏やかに暮らせればいい。クロエも出来れば生きていてほしいと思う。


 欠けてしまったらもう二度と手にはできない。

 守るべき自分の幸せのために戦う。ノエミとて無力ではないのだから。




「きゃあぁっ!」


 クロエの悲鳴に一拍遅れて、城門の上の篝火が崩れた。

 組んでいた櫓にダロスがぶつかり、崩れ落ちる。クロエは先に落馬したらしい。


 ――マルセナ!


 声が聞こえた。

 好きな声だ。張りがあって少し低い。呼ぶのはいつも決まってマルセナの名前。

 あんな風に愛おしさを込めて自分の名も呼んでほしいけれど、それは贅沢な願い。


 声が聞こえたことで少しばかりの安堵と、その差し迫った雰囲気に焦る。

 やはりマルセナに危険が迫っていて、それを守ろうとしている。だとすればイリアが危険だ。


 崩れかけた櫓の足場などを蹴りながら城壁に跳び上がった。



「イリア様!」


 城壁のすぐ外にその姿はあった。

 膝をついた姿勢のマルセナと、それを背にダガーを構えるイリア。


 まさに今、それを切り捨てようとする悪鬼のような形相の男と。


「っ!」


 飛び降りる。

 けれど、落下する速度は加速できない。

 やや高い壁から飛んだノエミを地面に引き込む力は、いつもより奇妙なほど柔らかく、遅い。


 遅滞するように流れる時間の中で、ノエミの感じる時間とは別次元の速度で振り下ろされる刃。

 イリアが構えるダガーごと彼女の体を叩き切るのに十分な力を込めて。


 間に合わない。



「イリアぁ!」


 叫んだのはノエミだったのだろうか。

 避けようのない絶望を見て、誰が。



「……」



 時間が止まる。


 いや、流れている。

 ノエミの足が、やたら重い衝撃と共に地面に届いた。



「な……ん、で……」


 おそらくその言葉は、四人が発したのだろう。

 ノエミが、マルセナが、イリアが、そして勇者シフィークが。


 イリアに届く直前で止められた刃に、理解が出来ないと。



 殺意がなかったわけではない。完全に殺すつもりで振り下ろしていた。振り下ろそうとしていた。


 踏み込んだ勢いを止める為に無理やりに地面に擦りつけた足は、変な方向を向いている。

 あれでは筋を痛めているか、悪ければ骨折しているかもしれない。自分の全力の踏み込みを強引に止めたのだから。



「シフィ……く?」

「うぅぅああぁぁぁっ!? 邪魔するなよぉ!」


 止めたシフィーク自身も理由がわからなかったようだ。

 マルセナは、イリアを案じた声の為に魔法の詠唱を途絶えさせていた。



 全員が一呼吸遅れる中、誰よりも先に判断した者がいる。


「下がれ!」


 ととんっと駆け足と共に跳ね上がり、大上段からの大剣の叩きつけ。

 エトセン騎士団団長ボルド・ガドランの言葉に、そこにいたシフィークが首輪を引っ張られるように不自然な姿勢で後方に飛び退く。


(呪枷?)


 ボルドの言葉に強制的に従わされたのだ。足を痛め、状況に混乱していても動作だけはする。



「死んでもらう!」


 遅れた反応でボルドの大剣を受けるイリアは、その勢いに負けてマルセナ側に押し飛ばされた。


「くぅっ!」

「貴様らは!」


 ボルドの左の短刀が、イリアとマルセナを貫こうと突き出された。



「原初の海より来たれ始まりの劫炎」


 イリアの体で押されながらも、マルセナが杖を横から突き出した。

 いつもなら必殺の威力を持つ魔法だが、咄嗟で精度が悪いのかノエミの知っている威力の半分程度。

 それでもボルドの特攻を圧し戻すだけの力はある。



「マルセナごめんっ」

「エトセン騎士団はわたくしが殺しますわ!」

「ツァリセぇ!」


 イリアとマルセナには、目の前に迫ったボルド以外は見えていなかった。

 態勢を崩されたイリアは整え直そうと。マルセナはとにかくそのボルドを殺そうと追撃の魔法を放とうと。



 脇から別の若い騎士が彼女らに見慣れぬ太い杖を向けていたのに気づいていなかった。


「弾けよ!」


 簡易詠唱。



 一般人を相手にするのならともかく、そんなものが超一流の戦士に通じるものではない。せいぜい牽制に使う程度。



 よかった。


 これなら守れる。

 この程度の魔法なら、ノエミが身を張れば十分に守れる。

 その間にイリアとマルセナが仕切り直して、形勢はこちらが有利に転ぶだろう。



「イリア様!」


 向けられた太い杖の敵意から彼女らを守ろうと。



 ずばんっ。



 聞きなれない破裂音が、やけに大きく響いた。


 今の魔法なのだろうか。確か空気を破裂させるような魔法ではあったけれど、あんな音が鳴っただろうか。


 不思議に思う。

 何となく覚える違和感と、腹辺りが妙に熱い。



「……?」


 熱い腹を手で擦ると、ぬるりとした感触の中にトゲトゲしたものを感じる。



「……いた、い」


 くたりと、膝をついて地面に崩れた。


(あ、れ……?)


 そんな威力の魔法ではないはずなのに。どうして自分は倒れているのだろうか。



 ――ノエミ!

 ――邪魔が入ったか! ならば

 ――うおぉぉぉ! このドロドロ野郎がぁ!

 ――ヴィルップ、無茶だ!


 あちこちから聞こえてくる声が、やけに遠い。

 なのに妙にはっきりと耳に届く。他の感覚がもっと遠く薄れていくようで。



「あるじぃ、さむいいぃよぅぅ!」


 ああ、本当だ。なんだか今度はやけに寒い。



「深天の炎輪より、叫べ狂焉の裂光」


 マルセナの魔法が放つ光は、こんな戦場には勿体ないと思うほど綺麗で、同じようにノエミの瞳もその光に煌めいた。



  ※   ※   ※ 

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