第三幕 040話 見知った剣撃
トゴールトの城壁は西にしかない。
極端に言ってしまえばそうだ。敵国が西にあるので、西側にはかなり長く強固な城壁があり、東側には居住者が増えていった為に町が広がっている。
最初に町を作った頃の名残で南門、北門はそのままあるのだが、東門については拡張した町に飲み込まれた形で町中に存在していた。
城下町が東へと広がっていると言えばそうなのかもしれない。
町の東に出ていたはずが、風のように空を駆けるディニによりそれらの街並みがあっという間に過ぎ去っていく。
マルセナに命じられるまま、ディニの手綱を引いた。
ディニは賢い。イリアがどうしろと指示しているのかを的確に感じてその通りに動く。
それがイリアの本意とは違っていても。
命じられた。
意に添わぬことを命じられたのは久しぶりだ。
甘えていた。甘ったれていた。
マルセナの優しさに、その甘さに慣れ鈍っていたのだと思う。
ただ西へ向かえと命じられただけで、意思を踏み躙られた命令にひどく傷ついてしまう。
死ぬことが怖いのかといえば、もちろんそれもないとは言わない。死にたいわけではない。
それより何より、とにかくマルセナを危険に晒したくない。マルセナが生きる為にイリアが命をかける必要があるのなら、そんなことは迷うわけもない。
イリアの気持ちを――イリアだけではない。ノエミもクロエも、マルセナに生きていてほしいと願って戦っているのに。
全ての想いをわかった上で踏み躙られた。
理由があったのかもしれない。あったに違いない。
気まぐれではない。
でもそうだとしたら、その理由は、マルセナにとって重いものだったのだ。イリアたちの想いを無視できてしまうほどに。
それならいっそ気まぐれの方が良かった。
「アン・ボウダ、と」
誰のことなのだろうか。
マルセナが知らぬ女の名前を口にしたことで、心の暗がりに火が灯る。
昏い妬みの火が、ねばりつくように広がる。胸の奥の隅々まで。
「お前たちエトセン騎士団を滅ぼす為に、獄炎から戻りましたの」
マルセナが唱えた。
かつて見た時よりも倍以上の熱量を持った炎の蛇。
それらが地上を薙ぐ。敵の指揮官ボルド・ガドランを中心に。
「チャナタ、すまぬ」
「全部は無理、でした……」
ぶすぶすと焦げかけた敵の魔法使いと、その周囲の岩肌が焼けて赤く爛れている。あれはプリシラではなく本当に焼けた岩だ。
凄まじい威力の魔法を、それでも防いだあの敵もかなりの使い手。
そうだ、ここは戦場だ。
何を呆けているのか。マルセナが危険だと思うのならイリアがすべきことは決まっている。
戦い、敵を討てばいい。
「マルセナ!」
「他の連中は任せますわ、イリア」
するりとイリアの腕を抜けて地上に身を舞い踊らせるマルセナは、とても楽しそうだ。死地に赴くという雰囲気ではなかった。
勝算があるからここに来たのだと、なぜ信じられないのか。
今、マルセナは言っていたではないか。このエトセン騎士団を殺す為に時を過ごしてきたのだと。
敗れる為ではない。散るつもりなどない。
「シフィ――」
敵の指揮官が、マルセナの脅威に対抗しようと後方に声を掛けようとしたところで掻き消される。
「マァルセナァァァ!」
遥か後方から爆音と共に飛び込んでくる男がいた。
勇者シフィーク。
いるのはわかっていた。クロエから聞いていたのだから。
だが、その踏み込みの速度が尋常ではない。イリアが知っているそれよりも数段速く、力強い。
「邪魔を――」
「お前はぁ! 僕が! 殺すぅ!」
凄まじい勢いで飛び込み、続けざまの三連撃。
それらを捌くマルセナの力もかつてとは比較にならないが、さすがに剣士と魔法使いとが接近戦ではあまりに分が悪すぎる。
「だんちょー!」
「っ!? あ、ああ……いまだ、全員!」
「させ、ぬよ」
「やらせない!」
イリアもひらりと地上に舞い降りた。
「ディニ、援護!」
イリアは馬上戦闘が得意ではない。地に足を着けて戦う方が性に合っている。
再び混戦となった地上で、マルセナを襲おうとしたボルドの剣を弾く。
少し離れた場所ではガヌーザやクロエ、プリシラも戦いを再開していた。
「イリア! その男はわたくしが!」
「マルセナあぁぁ! ぜぇったいに僕がぁ!」
「どこまでも鬱陶しいボウヤですわね!」
ボルドに標的を向けようとするマルセナだが、シフィークの猛攻に晒され防戦一方になる。
おかしい。
確かにシフィークは強かったが、イリアの記憶とあまりに違いすぎる。
マルセナやイリアも一年前とは桁違いの実力となっているのに、それに追随するかのように。
記憶の中のシフィーク相手なら、今のイリアなら互角かそれ以上の戦いが出来るかと思っていた。
「そうか、魔物を」
こちらが集めた魔物を殺すことで、シフィークも力を増したのか。短期間で急激に。
「考え事とは舐められたものだ」
思い至ったイリアに向けて放たれる冷たい殺気。
それを受け止めたイリアの二刀のうち右手側が高く弾き飛ばされた。
「うおぉぉ!」
武器を失ったイリアの横から、別の騎士が裂帛の気合と共に大剣を振り降ろす。
これも常人の技ではない。上位の冒険者かそれ以上の力量。
「そう、ね」
ボルド自身を強く弾き返しておいて良かったと思う。その為に一本のダガーを空に失ったが。
刹那の間に、イリアの体が半歩ほどだけその大剣の軌道からずれる。
次の瞬間には、踏み込みと同時にイリアの右手のダガーが騎士の腹を横に薙いでいた。
「ば、ぐぶっ」
右手の。
イリアは腰に二刀、背中に二刀。四本のダガーを身に着けていた。
右手のダガーを飛ばされ、敵の剣を避ける間に左腰から抜き払った次の刃で敵を斬る。
「この女も勇者級だ!」
「そっ」
昔ならその評価に浮かれたかもしれないが、今はさほど意味を感じない。
イリアの俊敏さに警戒して他の騎士が距離を取る。ボルドだけは一気に距離を詰めて、
「私が討つ」
「舐められたもんね」
先ほどの言葉を返しながら迎え撃つイリアだが、この男はマルセナが殺したいと願っていた。理由は知らない。
理由は知らないが、
(……私の、マルセナが)
初めて会う相手なのに、憎悪で腹が煮える。
マルセナがこの男になぜ執着するのかと、考えれば考えるほど。
「マルセナ様は私が!」
クロエに好い所を持っていかれてしまう。イリアだって本来ならマルセナの援護をしたい。
けれど、この場でボルド・ガドランを釘付けにすることもマルセナへの支援になるだろう。
「クロエ、お願い!」
「はいっ!」
「全員、その魔女を仕留めろ! この女は私が倒す!」
「ひ、ひひ……むつかし、かろう」
混戦、乱戦になってしまっている中で、ガヌーザやプリシラの存在も敵には大きな脅威になっている。
どれだけボルドが指示をしようとも、全員がマルセナに向かえるわけではない。
それでもマルセナに近付こうとした騎士の一人が、真上からディニの蹄で頭を潰された。
「チューザ、チャナタ! 周りに構うな!」
「わあったぜだんちょー、出来るだけ誰も巻き込まれるなよ!」
ボルドの声に応えたのは女魔法使いだ。味方への被害も気にせずやれという指示だったのだと思うが。
「……魔女、って言ったわね!」
怒りと共に斬りかかるイリアに、ボルドも二刀で打ち払う。
ダガーを二刀のイリアと、大剣と短刀のボルド。スピードではイリアが上回るものの、大剣の力で押されてやや距離を離された。
「よくもマルセナのことを!」
離されたわけではない。位置を調整しただけだ。
イリアの足が、空中から落ちて来たダガーを蹴り放つ。
「っ!」
「許さない!」
先ほど大きく空中に放たれたダガー。落ちてくる場所とタイミングはイリアの感覚通りだ。
「殺す!」
よりによってマルセナを。女神であるマルセナを、魔神の使いなどと呼んだこの男を許すことは出来ない。
殺す。
光り輝く彼女に対して陰惨な蔑称を用いたこの大罪人は殺さねばならない。
周囲で爆裂や悲鳴が鳴り響くことも気にせず、ボルドを殺すことだけに視界が染まった。
「絶対に殺す!」
奇しくも、先ほどシフィークもそう言っていたか。
蹴り飛ばしたダガーの後ろからボルドに向かい左右のダガーを連続で薙ぐ。
飛んできた刃をボルドが躱しきれず、肩を掠めた。
「くっ!」
苦悶の声を上げたのはイリアの方だ。
ボルドは躱しきれなかったのではなく、多少の傷を負ってもイリアの動きを止めるための一撃に力を込めていた。
交差した二刀で受け止めた振り下ろしだが、その力強さに足が止まってしまう。
右腕一本で大剣を振るう筋力というだけでも大したものなのだが、それだけではない。
動きを止めたイリアに左の短刀が突き出される。
即座に、交差した二刀の内の右側を抜いて大剣を流した。
イリアから見て右手、ボルドからすれば突き出そうとした左手の短刀を邪魔する形で大剣が地面に刺さる。
「むう」
「お前は殺す!」
「イリア!」
後ろから聞こえたマルセナの声に、怒りで我を失っていたと思い出した。そうだ、この男はマルセナが殺したいのだと。
「マルセナァ! 僕はぁ!」
「気安く呼ぶな痴れ者が!」
クロエの言う通り。愚かな男にマルセナの名を呼ばれるのも腹立たしい。
「でも、殺す!」
マルセナがどう思っているのか知らないが、ボルドはマルセナの敵に違いない。
イリアの意思を蔑ろにするほどマルセナが執着を見せる敵。
なんて不愉快な男だろう。シフィークに比肩する。
「大した強さだが」
イリアの怒気に対して、ボルドの声音は冷静だった。
不気味なほど落ち着いた声で。
「同格以上の対人戦闘の経験は少ないな」
呼吸が読まれた。
イリアの剣撃の速度、タイミングを見切った形で、イリアの左のダガーを横に掬うように思い切り弾かれた。
そのままにすれば体が泳ぐ。
瞬時の判断でダガーを手放したのは間違いではない。
「これで終いだ」
ほんの少しばかり熱の込められた声に、イリアは嗤う。
「あんたは」
もう一本、背中に残った柄を握る。
「手足の多い魔物を知らないのね」
武器を奪ったと、それが隙だと思い込んで。
「いや」
見切られていたのだ。イリアの動きは。
「先ほども見たからな」
ボルドの大剣の柄が、イリアが抜き放ったダガーを打ち落とすように叩きつけられた。
「ぶおっ!?」
炎の刀身に。
最後のダガーは魔法の武具だった。あまり扱いが得意でないので後回しにしていたのが幸いだったか。
鞘から抜き放たれた炎の刀身がボルドの右手を焼き、弾け散った炎がその視界を焼く。
「これは見せてなかったわね」
そのまま振るわれた炎の刀身が鞭のようにボルドの腹を打ち、苦悶の声を上げさせた。
追撃の右のダガーで止めをと思ったが、これは残念ながら大きく退かれて空を切る。
「逸った、か」
「逃がさない!」
「団長!」
別の若い男がボルドを庇うように間に立つが、構っていられない。
今は不意打ちで手傷を負わせたが、イリアの動きは正確にボルドに捉えられていた。息を整えられたら間違いなく不利になる。
この好機に仕留めなければ。
「きゃあぁぁっ!」
後方で大きな悲鳴が響いた。
「マルセナ!」
はっと振り向けば、城壁の篝火の櫓ごと吹き飛ばされているダロスの姿を確認する。
騎乗していたはずのクロエの姿は見えない。落ちたのか。
「これでお前は終わりだ!」
「こんな、ところで……っ」
おそらくダロスを蹴り飛ばしたのだろう姿勢のシフィークが、今度こそという構えでマルセナに目を向けた。
「マルセナ!」
俊敏さなら、イリアはシフィークにも劣らない。今なら勝るとさえ思っている。
その素早さを今ほどありがたく思ったことはない。
今の今まで戦っていたボルドのことなど置き去りに、マルセナの下に駆ける。
シフィークの攻撃よりも速く。
何が出来るのか。
盾になる。それだけでいい。
イリアが盾となれば、マルセナはきっとその間隙で魔法を放てるだろう。シフィークを殺すのに足るだけの魔法を。
マルセナの役に立てる。マルセナを助けられる。
この場の誰よりも素早いイリアだから出来ることだ。他の誰にも出来ない。
「マルセナは私が!」
右手に残ったダガーで、マルセナに斬りかかろろうとするシフィークに相対した。
本当なら最期はマルセナの顔を見ていたかったけれど、それではイリアの体ごとマルセナが斬られてしまうだろう。
受けきれないまでも、少しでもこの剣撃を止めなければ。
イリアなど到底及ばない力と迫力で剣を振るシフィークを瞳に映す。
(そういえば)
――同格以上の対人戦闘の経験は少ないな。
つい先ほど言われた言葉が脳裏を過った。
ふとおかしく思う。
(シフィークに斬りかかられるのは何度目だっけ)
かつて仲間だったはずの勇者に剣を向けられる経験は、なんだか随分と多いような気がしたのだ。
※ ※ ※
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