第三幕 034話 戦死の訳合い_1



 集めて来た魔物の数はかなり減ってしまった。

 それでも戦えているのは、人間と魔物の違い。


 人間の軍であれば、負傷兵を抱えればその分だけ動きが鈍る。

 見捨ててしまうようなら、今戦っている兵士たちも自分が見捨てられることを怖れ、組織が瓦解しかねない。


 魔物の方は関係がない。

 壱角の翔翼馬、漆黒のダロスと純白のディニの意思に従い、あとは本能のまま戦うだけ。死んだ魔物の肉は糧にもなる。


 当初は数で押していた有利を失いつつも、エトセン騎士団側も消耗していることで何とか保っていられた。

 それももう限界か。



「イリア」


 促されたイリアが、少し困った目をしながらも優しく抱いてくれる。

 幸せだ。


「頑張ったノエミにご褒美を。そういう約束でしょう」


 マルセナは優しい。優しくて誠実だ。


 ノエミがイリアに懸想していることを知っていて、許してくれる。

 同時に、マルセナがイリアを深く愛しているのだとも感じていた。わたくしのイリアは可愛いでしょう、と。自慢げに。


 ノエミにイリアを奪い取ろうという気持ちはない。ただこうして温もりを分け与えてもらえるだけで十分。

 薄い肌着越しにイリアの体温を感じる。無駄な脂肪のない引き締まった体を。


 褒美だというのだから遠慮なく全身でそれを感じようと密着して、頬を肩に摺り寄せた。

 見ていたマルセナもイリアの背中側から体を寄せて、二人でイリアを挟み込む。



「マルセナ、ひゃうっ」


 イリアの服の背中は大きく開いていた。やや背の低いマルセナの唇がその背中に触れて声を上げさせる。


「だめですわ、イリア。もっと可愛くしてあげないと」

「イリア様はいつでも可愛らしいですが」


 肌着の隙間から指を這わせて、脇腹の滑らかな肌に直接触れた。


「んぅ……」


 声を我慢するイリアが可愛い。

 逆らわない。マルセナの言葉があるからというのもあるが、最近はノエミのことを受け入れてくれている。


 嬉しい。好きな人に触れるのを許してもらえることが嬉しい。

 二番目でもいい。なんなら三番目でも何でも。

 ただイリアの傍にいられるだけでもいいのに、こうして肌を触れ合わせることを許してもらえるなんて。


 それに、今のノエミはイリアを悦ばせることだって出来る。

 マルセナへの罪悪感を抱きつつ、見られながら素直になってしまうイリアの愛らしさはたまらない。

 それを見ているマルセナも愉しんでいるのだから、誰も不幸になどなっていない。


 ちょっとやり過ぎてイリアが泣きだしてしまうのも可愛い。どうもイリアは緊張したりすると尿意を我慢しづらくなってしまうらしい。

 泣きながら謝るイリアに、また愛おしさを感じるところもある。

 内股気味にもじもじしだす様子に、マルセナと共にまたついやり過ぎてしまうのだった。




「その、ノエミ……」

「明日には敵が町のすぐ近くまで来るでしょうから」


 身支度を整えるノエミにイリアが戸惑うように声をかけてきた。


「今夜のうちに、手筈通りに」


 傾きかけた日差しを感じながら準備をする。

 本当ならもっと早くに逃げてほしかった。自分はともかくマルセナとイリアには。


 意地を張る必要はない。そのはずなのに、マルセナはもう少しとトゴールトに留まっていた。

 彼女自身が前線で戦うわけではないのだが。


 これまで戦っていたのは主に魔物と影陋族の奴隷部隊。

 このまま戦いを終えたとしても、エトセン騎士団がその勝利だけで終わりにはしないだろう。


 裏で操っていたのが誰なのか探ろうとするはず。

 マルセナ達の存在を隠蔽する為に、ここまで表立って戦わせてこなかった。



 目立った指揮官としてはクロエが前線に立つこともあったが、彼女が首謀者だとは見做してはくれないと考えた。

 首謀者というか、責任者としてピュロケスという男がいる。けれど。あれの首には隷従の呪術が刻まれている。


 結局、ただ死体を残してしまってはそこから敵に手繰られてしまう。誰が裏にいたのか、と。

 仮に調査されたとして、喋れる者はもう影陋族の奴隷くらいしかいないとしても。



「この町に人間はもういませんから」


 全て殺した。



 領主ピュロケスを残して、他は影陋族の奴隷と魔物だけ。

 この町にいた十万を超える人間は全て、あの影陋族どもに力を与える為に順番に殺させた。


 都市を封鎖して、全て。

 自分たちが食べていくだけなら影陋族の奴隷連中だけいれば十分だ。残った奴隷どもは強い力を有するようになっていた。


 殺した人間の死体は魔物の食事に。

 いくらかはガヌーザの呪術の素材とするものもあった。


 数百の影陋族の奴隷とマルセナ達。住民の死骸を食らう魔物の気配。

 そんな中、領主の椅子に座りただ怯えるだけのピュロケス。

 傍目に見れば狂気の王と言った風情だろう。それらしい文書も彼自身の手で書かせた。


 あとは攻め寄せたエトセン騎士団の目の前でこれを殺して、狂人がこんなことをしていたのだと見せつけたかったのだが。


 クロエに任せようかとも考えたが、戦いの中で彼女がどうなるともわからない。

 そうなった場合、誰がピュロケスを殺すか。


 影陋族にやらせようかと思ったのだが、それではおかしい。奴隷がピュロケスを殺せるはずがない。

 ならば自死させることにしたが、それでは呪枷の痕が残ってしまう。城壁から投身させてうまく首回りがひどく損壊してくれたらいいけれど。


 自刃させた後、その死骸を魔物に食わせるということにしたが、魔物は細かな命令を聞くわけではない。誰かが残って最悪でも首の呪枷だけは削り取なければ。

 ノエミがその役割を引き受けた。


 残された影陋族はどうするか。

 彼女らは死ぬまで戦い続けることを命じているが、それでも捕えられ、尋問されるかもしれない。


 主に逆らえるわけではないのだが、主がピュロケスだとしたらそれもおかしい。

 影陋族を奴隷としていたピュロケスが死んだのに、全員が生前の主の命令に従い続けるなど不自然と映る。


 ピュロケスに書かせた文書の中に、死して尚残る呪いとしてそれらしい記述もしておいた。

 エトセン騎士団が信じるかどうかは別として、とりあえず理由があればいったんはそれでいい。


 戦後の混乱に紛れてマルセナ達が身を潜めるだけの時間を稼げれば。

 ほとぼりが冷めたら、どこかの町で暮らせるといいのだが。名を変える必要はあるかもしれない。




「ガヌーザ様はどこに潜んでいるのか」

「あれは放っておいて構いませんわ。十分に働いてくれましたし、後は好きになさいと言いました」


 マルセナに従っていた呪術師ではあるが、戦争にまで付き合うような契約はしていないのだとか。

 いつも通り、何を考えているのかわからない嗤い声を上げながらどこかに消えた。敵対的な様子ではなかったし、マルセナも気にしている様子はない。


「極めて優秀な呪術師でした」

「あれは異常と言った方がいいですわね。おそらく呪術師の歴史の中でも特異な者なのかと」


 ノエミが知っている話では、呪術というのはとても繊細なものなのだとか。

 ほんの少しの間違いで効果を失ったり、意図と逆に作用したり。


 集めて来た影陋族の奴隷の色なしの呪枷を外し、首に刻まれた隷従の呪墨をマルセナのものと入れ替えた。

 数百のそれをあっさりとこなしていたが、尋常な技量ではない。


 他人の掛けた呪術を解くというのも難しいと言う話だし、他の呪いと重なるのもうまくいかないのだとか。呪術を深く知っているわけではないので詳細はわからない、


「変に命ずるより、好きにさせた方が面白そうですし」


 こういうマルセナの性分が、あの呪術師にうまく噛み合っていたのかもしれない。



「クロエ様は、最後までマルセナ様の為に戦うと」

「それが幸せだと言われてしまえば、わたくしにはどうにも出来ませんわ」


 仕方がない。

 漆黒の翔翼馬、壱角のダロスに騎乗するクロエには、魔物の軍を率いたという役割で戦ってもらわなければならない。

 自らの死さえマルセナの為になるのならと喜ぶ彼女は、やはり狂っているのだろう。愛に。


 やや悲劇に酔っている部分もある少女だ。こんな形で愛に殉ずるというシナリオもクロエには甘い蜜のようなもの。

 さすがのイリアもそんなクロエの覚悟に何も言えず、マルセナと二人の時間を許していた。


 出ていく際のクロエの頬は薔薇に染まり、死地に赴くにしてはあまりに幸せそうだったけれど。



「後のことはお任せください。クロエ様が残った魔物を率いて総攻撃をしている間に、お二人は反対へ逃れていただきますよう」


 純白の翔翼馬ディニがいれば、イリアとマルセナがここを離れるのは難しくない。

 そういう事情もあり、この限界まで残ったのだろうか。



「ノエミ……」


 イリアが躊躇いがちに声を掛けてくる。その想いが何よりも嬉しい。

 クロエのことを、悲劇に酔っている、愛に狂っているなどと思うけれど。自分も大差ないか。


「そんなに心配なさらないで下さい、イリア様」


 ノエミはクロエとは違う。



「ピュロケスを処理したら私も逃げるつもりです。その隙を作る為に奴隷の部隊も用意しています」


 生き延びる算段も考えている。

 狂った領主に最後の演説をさせて、敵の眼前で自刃。その死体から呪枷を削り取ったらすぐに逃げる。


 残っている魔物を暴れさせ、マルセナから預かった奴隷たちを散り散りに走らせる。その混乱と夜陰に紛れてトゴールトを離れる予定。



「死ぬつもりはありません。生きてお二人の下に戻ったら、またご寵愛をいただけますか?」

「……ばか」


 承諾をもらえたようだ。

 そうとなれば、ますます死ぬわけにはいかない。


 敗戦は確定で、死ぬべき理由はない。

 無論、マルセナとイリアを守る為になら命を惜しむつもりもないけれど。



「生きる喜びを教えて下さいました。感謝しております」


 それは死ぬ理由にもなるのだと、ノエミは愛する二人に微笑んだ。



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