第三幕 032話 欠けた穴、埋める穴_1
思ったよりも被害が大きい。
備えていたとは言え、上空からの魔法というのは慣れないことだったし、また氷雪の威力が思いの外強かった。
影陋族と何か密約があるのであれば、こうした攻撃もあるだろうと予測していた。だが、中位の冒険者に届く水準の魔法を使える影陋族が百ほどとは。
想定を上回る魔法攻撃に怯み、魔物の攻勢に耐え切れなかった。
カナンラダの魔物は氷雪に強いものが多い。逆にこちらは凍てつけば動きが鈍る。
鎧下に防寒を仕込んでいたが、金属そのものが冷えて時間と共に中へと伝わってしまうのはどうにもできない。
体を温めるようにナドニメを中心とした呪術師、呪い士が用意していた薬の効果にも限界があった。
戦いの最中に、数に限りがある治癒の魔法薬も半分ほどは消費してしまった。
混戦になってしまえば治癒の魔法をすぐに受けられるわけではない。高価で数の少ない薬だが、団員の命よりは安い。
団員の命よりは。
「五番隊ルトヘル隊長は……」
「ルトヘルのお陰で戦線を持ち直した。彼の貢献については戻ったら私が奥方に伝えよう」
空襲を受け、崩れかけた防衛線を奮戦して維持してくれたのは、五番隊の隊長ルトヘル。
それがなければ、もっと多くの被害が出ていただろう。
「あいつは独断で命令を聞かないことも多かった。今回もそうだ」
「仲間想いの熱血漢でした。最後まで」
暑苦しい男で、ビムベルクとは割と仲が良かった。どちらも冒険者出身の隊長だったからということもあるだろう。
ビムベルクがいないことで、自分が奮起しなければと思ったのかもしれない。
「二番隊コンラット副隊長も戦線復帰は不可能です。見てしまった一般兵も数名、戦える状態ではありません」
「人間相手の戦場とは違うということか」
巨大な熊の魔物に腕を食い千切られたコンラットは、その状態で戦い続けた。
痛みで狂乱していたのかもしれない。
人間の腕を食らう魔物の姿を見て、一般兵の中には恐怖に囚われてしまった者もいる。
「戦力にならないのなら、コンラットに付き添わせてレカンに戻らせる」
陣内に残して置く方が悪影響だ。重傷を負ったコンラットと共に町に帰らせた方がいい。
「……主力の被害割合が予想より大きいな」
一般兵の死者重傷者は三百を超えている。正騎士の被害もあるが、隊長、副隊長といった主力が抜けるのは穴が大きい。
「身を惜しまぬ立派な騎士であろうと、隊長たちはそれを示しているんですよ」
「時には部下を盾にしても生き延びねばならんのも指揮官だが……いや、愚痴だな。忘れてくれ」
ボルドの顔に苦い表情が見えた。あまり感情を表さない男だが、さすがに疲れている。
上に立つ者が前線で死んでは、より多くの被害を出してしまう。ボルドの言うことは正しい。
だが、騎士として、隊長として。誰よりも危険な場所に立つ者もまた間違ってはいない。
ボルドが団長になってから、我が身を可愛がるような人間を隊長の座に就かせることはなかった。その結果であり、成果と言ってもいい。
ビムベルクだって、自分勝手で我侭ではあるけれど、いざ戦いとなれば一番危険な場所に立つのだから。あれは好きでやっている部分もあるにしても。
「……」
喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
ビムベルクがいれば、と。
わかっている。ツァリセが言うまでもなく、ボルドが誰よりもそんなことはわかっている。
こんなことを口にすれば、それこそ愚痴にしかならない。
「人数だけで言えば想定の範囲内です。むしろ被害は少ないくらいかと」
「予想以上に
愚痴の代わりに好材料を言葉にしたツァリセに、ボルドの返答は皮肉気だった。
あれ。
「勇者、ですか」
「私も勇者級の力量だと言われるが、やはり本物は違うものだな」
本物の、勇者。
冒険者の中で、極めて高い貢献を果たす戦士の称号。多くの人々の賞賛を受ける憧れの存在。
古くは名誉的な呼び名だったが、そのうち強さの基準とされるようになった。
勇者級の力量だと言われる軍人はいくらかいる。人の限界を超えた力を有するだけの戦士として。
その勇者すら上回る力を持つ者を英雄と呼ぶ。
勇者級の力量があっても、冒険者ではない軍人を勇者とは呼ばない。勇者から転籍して軍人になる者もいるが。
民衆にとって勇者というのは、町の脅威となるような魔物を退治したり、未知の魔境を踏破するようなものを呼ぶのだ。
だから、実力的には似通っていたとしても、本物の勇者は違う。
「こと魔物相手なら私よりもずっと上だ。あれほどとは思わなかった」
「ちょっと壊れちゃってますからね、彼は」
勇者と言ってもその実力には差があるだろうし、得手不得手も違う。魔法使いの勇者もいれば剣士もいる。呪術師だっているかもしれない。
死を恐れぬ魔物の群れに対して、心がどこかに飛んでしまっている勇者シフィーク。
戻ってくるとあちこちに浅くはない傷も作っているので、あれも無敵なわけではない。怪我をしても気にしていないだけで。
「遊撃隊として……隊じゃないですけど、案外と機能していますね」
単騎なので隊ではない。あれと肩を並べて戦うのは、実力的な意味と、精神的な部分とで難しいところがあった。
本体の防衛陣から横に逸れていく魔物もいる。敵の作戦なのかただの暴走なのかはわからない。
後ろに回られては厄介なので、左翼にシフィークを、右翼にチャナタとチューザを配置していた。
他にも予備部隊も備えているが、ほとんどは彼らが仕留めてくれている。後方では休息中の部隊がいるのでこうした配置も必要だった。
「思った以上に強い。既に勇者の域を超えているかもしれん」
「そういうのは僕にはわかりませんけど……」
実力が違いすぎてわからない。そのシフィークをビムベルクが捕えたわけで、その時点では明らかにビムベルクが上だったとは思う。
ボロボロだったし、臭かった。あの時は万全の状態ではなかったのかもしれない。
「味方で良かったですよ、とりあえずは」
この状況で予想外の戦力は有難い。言葉にはしないが、仮に命を落としたとしてもあまり気にしなくてもいい。
「味方、とも言い切れんが」
ボルドの言う通り、呪枷で従わせている状況なのだから味方だとは言えない。
「向かってくる魔物を殺してこちらを守れ。まあ妥当な命令ですね」
「命令を拡大解釈されて勝手なことをされても困るからな」
呪枷により、主に逆らうような行動はしない。通常、影陋族の奴隷の場合は、最初に人間に対する敵対行動を禁ずる命令をしておくのだが、シフィークの場合は違う。
曲がりなりにも彼は人間であり、一時的な特別措置として黒い呪枷を着けているだけだ。ルラバダール王国では人間の奴隷は禁止されている。
まさかエトセン騎士団の団長という立場の人間が、公に法を無視するわけにはいかない。あくまで人としての扱い。
一応は魔物を敵と見做して行動するので助かっている。呪枷についても、あまりに無体な命令を強いて恨みを買ってしまうのも後々面倒なので、最低限の命令しかしていない。
まともな思考が働いているのかわからないが、魔物を殺すほかは食って寝るだけ。
凶悪な魔物を使役している気分だ。アトレ・ケノスの飛竜騎士というのはこんな感じなのだろうか。
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