第三幕 031話 戦いの義務と復仇_2



 思ったほどの被害を与えられていない。

 ここまでのことを考えれば良くなったとも言えるが、期待したほどではない。


 夜襲。空襲。

 冬が明けたとは言っても春先の夜だ。当然寒い。

 まして昨夜は小雨だった。百の魔法使いから放たれた氷雪魔法は、一つ一つはそれほど強くなくとも合わされば自然の猛吹雪並の力となったはず。


 魔法が使えるものはそれを、そうでない者は怯んだ敵に向けての投石。上空からある程度の重さの瓦礫を投げるだけで、かなりの威力になる。

 猛吹雪のなか、高い殺意を込めた上空からの攻撃。決して容易く凌げる攻撃ではなかったはずなのだが。



「二十数名、やられました」


 報告を聞いて、ノエミは顔を顰めた。

 別に被害者を悼んだわけではない。思ったよりこちらの被害が大きいと思っただけで。


 集めて来た翔翼馬に騎乗させたこの戦力・・・・は、殺意・・が非常に高い。

 無理やり戦わされているという形でも、戦闘時に手を抜いたり怖気づいたりというわけではなかっただろう。


 戦意ではなく、殺意。

 人間に対して非常に強い殺意を持つ奴隷。影陋族で編成した奇襲部隊だったのだが。



「凄まじい投げ槍でしたもの」

「申し訳ありません、マルセナ様」


 責められたわけではないが、主を危険に晒したと頭を下げる。

 奴隷は全てマルセナに隷従している。指揮の為もあり、マルセナとイリアには共に向かってもらった。



「あのくらいの使い手は当然いると思っていましたわ」

「あれがボルド・ガドランね」


 敵の主力らしい連中から、上空に向けて猛烈な勢いで槍が投げられた。

 反撃を警戒して広く間を空けていたのだが、魔法使いを狙って吹雪を貫く槍が幾筋も。


「こっちの戦力を読まれていたんだと思う」


 イリアが、頭を下げるノエミを気遣うように言ってくれる。


「影陋族を使うことも、氷雪の魔法も」

「夜半の吹雪に備えて何かしら対策をされていたということですわね」



 一般に、氷雪魔法を得意とする人間の魔法使いは少ない。マルセナもそうだが、炎熱系の魔法を使う方がずっと威力が強く、負担の度合いも違う。

 影陋族の奴隷部隊が空から吹雪を吹き付け、怯んだところを魔物の攻勢で崩す。そういう作戦だったのだが。


「相手の方が上手……さすがはエトセン騎士団と言いましょう」


 マルセナも、ノエミを慰撫するように言葉をかけて、そっと頬を撫でてくれた。



「む……」


 イリアの苛立つ表情を受けてマルセナに目を向けるが、


「……?」


 マルセナの瞳は、そこに映っているはずのノエミを見ていない。

 目の前にいるノエミではなく、どこか遠くを。



「マルセナ、様?」

「……あら、ごめんなさい」


 ぼうっとしていたことに気が付いて、謝罪の言葉と共にノエミを抱き寄せた。

 背丈の問題で、マルセナの額がノエミの唇辺りにくる。そのまま少し屈んでノエミの胸元に顔を埋めた。


「マルセナ?」

「ふふっ、少し何かを思い出しただけです」


 くすぐったい。マルセナがノエミの胸元で喋る声に甘えのようなものを感じる。

 イリアがまた怒るかもしれないと思い見てみると、怒りよりも戸惑いの方が強かった。こんなマルセナは珍しい、と。



「ノエミ、柔らかいですわね」

「その……愉しんでいただけるのなら、光栄です」


 イリアよりもノエミの方が柔らかい形をしている。


「ですが、よろしければイリア様に」

「あら、いやですの?」

「とんでもない。ただその……」


 口籠るノエミに笑って、わかってますよと今度はイリアに抱き着いた。


「マルセナ……」


 喜びと共に、やはり戸惑い。

 甘えている。寝台での甘え方とは違って、何というか子供のような。


 イリアでも、こんなマルセナを見るのは初めてだったらしく、その体をためらいながら抱き包む。



「どうかしたの?」

「昔のことを思い出したような……そんな気分になっただけですわ。わたくしにも幼い頃があったのでしょう?」

「それはそうだけど……」


 木の股から生まれたわけではあるまい。

 子供時代もあり、何かしらそれらを想起させることがあって幼子のように甘える。

 そんなこともあるだろう。



「もし戦況が思わしくない場合には」

「その場合は私がマルセナを連れて逃げる。それでいいでしょ、マルセナ?」


 別にこの町と運命を共にする理由などない。

 エトセン騎士団など、このカナンラダで正面から戦いたがるようなバカはいないのだから。

 アトレ・ケノスやイスフィロセの英雄とかいう異常者は別として。



「あの子たちは……」


 ふと呟くマルセナの言うあの子たちとは。


「戦うのでしょうね。勝ち目がなくとも、死ぬまで」


 影陋族の奴隷部隊のことだろう。



 命令がなくとも、あれらの殺意は強い。

 一人でも多くの人間を殺す。マルセナから命を受けて戦う奴隷少女たちは、奴隷とは思えないほど生き生きとしていた。


 目を輝かせ、人間を殺す。

 彼女らがやっているのは戦争ではなく、復讐だ。


 トゴールトやマステスにいた影陋族をマルセナの奴隷として仕上げたのは正解だったと思う。

 マルセナの好みで若い雌の奴隷ばかりだけど、特に問題はなかった。

 中には氷雪魔法に才を見せる者もいたし、そうでなくとも人間との戦いには進んで向かうのだから。


 翔翼馬との相性も良いようだ。魔神に従う影陋族は人間よりも魔物との距離が近いらしい。

 空を舞う馬上から人間の頭を目掛けて瓦礫を投げつける目には、悦びがあったのではないか。ノエミは同行していないが、帰ってきた奴隷の目にはそんな名残が見えた。


 狂気。復讐心。

 それがこちらに向けられないという保証は、マルセナの呪枷が請け負っている。



「あいつらが戦っている間に逃げたっていい。エトセン騎士団なんて最初から勝てっこないんだし」


 イリアの言葉は正しいはず。

 故郷を守るだとか忠義だとか、そんな理由もないのだから、勝てない敵を相手に討ち死にする必要はない。


「影陋族どもだって、少しでも復讐出来て良かったんじゃないの」


 マルセナが奴隷を気にしている様子に、イリアは見切りをつけるようにそんな言葉を足した。

 復讐が出来て救われただろう、と。


 影陋族は当然のことながら人間に恨みを抱いている。負け戦だとしても、一人でも多くの人間を殺して死ぬのなら、ただ奴隷として死ぬよりもマシなはず。

 マルセナが気にすることはない。



「それとも」


 イリアの声音が、ひどく冷たくなった。


「……私よりも」

「違いますわ、イリア」


 言いかけたイリアの唇に、マルセナの人差し指が触れる。



「わたくし、そんな風に思われていますの?」

「だって」

「わたくしはイリアを愛する。そう約束したでしょう」


 不安と不満のイリアの顔を見上げて、マルセナが囁く言葉は誓うように響く。

 少しだけ、イリアの不安の色が薄れる。


「ただ」


 ふっと、イリアの胸から離れて、イリアとノエミの間に立ち、やはりまた遠くを見やって呟いた。


「叶わぬ復讐が叶うというのなら、それも悪くはないかと。そう思っただけですわ」



 まるで叶わぬ願いがあるかのようなマルセナの背中に、ノエミはイリアと顔を見合わせる。


 出来ることなら、愛する主の願いを叶えたい。

 けれど、それが何なのか。

 付き合いの浅いノエミには聞けず、付き合いの長いイリアには聞けなかった。



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