第三幕 023話 意志、果てて
魔神――姉神の恩寵。
人間の呪いを打ち払う力。
そんな力を持ち、さらにそれぞれが相当な強者。こんな味方がいてくれたなら、サジュが落ちることもなかっただろう。
呪いを打ち破る方法というのは、過去に聞いたことがある。
捕えた人間の呪術師を尋問して聞き出した。
奇妙な種類の人間で、聞かれたことに対しては素直にというか、不気味なほど饒舌に語る老婆だった。
尋問した翌日には嗤いながら死んでいたので、真偽はわからない。嘘とも誠ともつかない話だが。
いわく、三体の千年級の魔物の魔石が必要だとか。
それとは別に、三名の聖女――女神の恩寵の深い者の汚れない血肉を捧げよと。
そうすれば呪いを解くことが可能なのだと言うが、現実的に考えて不可能だ。
ロッザロンドには聖人と呼ばれる者もいるそうだが、このカナンラダ大陸にはいない。
それに千年級の魔物を三体など、用意できるわけがない。
呪枷の主を殺す方が現実的だが、当然呪枷を受けたものには出来ない。主に逆らうことは許されない。
ティアッテの呪枷の主は、人間の中では最強クラスの大英雄。となれば誰にもティアッテにかけられた呪いを解くことなどできない。
不可能だと思っていた。当の人間ムストーグの方も、不可能だとしか考えていなかっただろう。
ティアッテの呪枷を断ち、自由を取り戻すことなど。
一時的な捕虜への措置として黒い首輪だったことが幸いだった。
呪術師から聞き出した話では、本来の隷従の呪術は首に直接刻み込むのだとか。
虜囚としての応急的な扱いだったから黒い呪枷。それとて本来なら解けるはずもなかったのだけれど。
大地が揺れたのはムストーグの力だろうと直感した。
歩くことが満足に出来なかったので、助けてくれた少女に頼んで表に運んでもらう。
見かけによらず力強い。
快活な様子のミアデという少女に、ついオルガーラを重ねてしまう。
愛用の戦斧を見つけられたのは偶然だったのか、そうではないのか。
ティアッテの武器として有名だったその巨大な戦斧は、砦の正門近くに高々と掲げられていた。
清廊族の戦士ティアッテを捕えたと、士気高揚のためにそうしていたのかもしれない。
ミアデの仲間たちに戦斧を取ってもらい、見張り台に立つ。
憎い敵の姿があった。
あのムストーグ相手に、たった三名で戦おうとしている清廊族の少女たち。
力の差は歴然。勝てるはずがないのに、それでも折れない。
その姿に、ティアッテの胸中にもう一度火が灯った。
あれを討つ。
手元が狂ったのは仕方がない。足代わりになってくれているミアデのせいではない。
バランスがうまく取れずに、少し目標がずれた。足を断つ。
あの男が倒れたティアッテにそうしたように、その足を。因果というものか。
それが助けになったようで、どうにかムストーグを倒すことは出来た。
この時までに既にかなり消耗していたらしい。万全なら、投擲した斧を受けることもなかったかもしれない。
彼女らが、そこまでムストーグを追い詰めてくれていたのか。
「ルゥナ様、メメトハも。大丈夫?」
ティアッテを支えるミアデが、砦に近付いてくる彼女らに声を掛けた。
「そんな聞き方をしても、このお二方が痛いと言うはずがありませんよ」
「それは、そうなんだけど」
ムストーグに止めを刺した少女に言われて、ミアデが嘆息する。
ティアッテに向けて苦笑いを見せた。
そういう性分なのだと、説明するように。
少しでもティアッテを元気づけようというように。あるいは、自分自身を勇気づけたかったのかもしれない。
足を失ったティアッテに、どんな風に話せばいいのかわからない、と。
悲惨な虜囚としての扱いを受けたことについても。
憎い敵を討ったとしても、帰ってくるものなどない。残されるのは痛みばかり。
※ ※ ※
「そん、な……」
「なんと」
ムストーグを倒したことでわずかなり安らいでいた彼女らの表情が、蒼白になる。
ティアッテの姿を見て言葉を失った。
申し訳がない。
期待していたのだろう。ティアッテが共に戦う力になれると。
あの戦斧が、最後の火だった。
今の自分は文字通りの足手纏い。ミアデに支えてもらって立っているだけの。
「……ごめん、なさい」
助けてもらったのに、もう自分は戦えない。
この足に義足をつければ、いくらか歩けるようにはなるだろう。
けれど戦いに十分なほど動けるようになるには、相当な年月が必要になる。
彼女らの力になれない。せめて自分が魔法使いだったのなら、後方から支援をすることくらいは出来たのに。
「……」
それだけではない。
知ってしまった。
怖さを、知ってしまった。
囚われてから三十日足らずのことだけれど、地獄のような毎日だった。
思い出したくもない。
自分の体が他よりも頑丈なことが、ひどく恨めしい。
人間が怖い。
戦斧を投げたのは、戦いの助けにという意味もあったが、もうひとつ。
近付きたくなかった。あの男に。
戦斧も、もう振るえないのなら遠くにやってしまいたくて。
子供が癇癪を起すように、投げた。
戦うことを投げ出した。
「ごめん……なさい」
もう自分は嫌だ。もうたくさん戦った。いっぱい、辛い思いをした。
彼女らに戦える力があるのなら、もういい。
その戦斧を持って、次の戦いに行ってほしい。
「……戦えません」
「でも」
「ミアデ」
口を挟んだミアデに、代表格らしい少女が首を振る。
ルゥナと呼ばれていた。
「……わかりました、ティアッテ。心配は無用です」
優しく、優しく。
姉が妹を甘やかすように囁く。
「私はイザットの生まれのルゥナです」
イザットの村に、これだけの戦士がいただろうか。記憶にない。
「以前に、助けていただいたことがあります。貴女に」
「……」
数年前に人間に滅ぼされてしまった西部の村イザット。
彼女はそこから生き延びて、戦うことを選んだのか。
「謝罪も不要です。私はやっと、あの時の恩をお返し出来ると……けれど、遅くなってすみませんでした」
「そんな……」
「サジュも取り返します。オルガーラもきっと生きているはずです」
ぴくりと、肩が震える。
ルゥナの目を見ていられなくて、俯いた。
怖い。
オルガーラも同じような目に遭っているのではないか。
あるいは逃げ延びて無事だろうか。
そうだといい。そうであれば、それが一番だ。
だけれど、ティアッテはもう、合わせる顔がない。
人間に、言葉に出来ないような扱いをされて。
呪枷のせいで逆らうことも出来なくて。だけどその記憶は頭から離れず、オルガーラに合わせる顔がない。
無事でいてほしい。だけど、もう会うのが怖い。
考えると、手が震える。今までこんな経験はなかった。
力が入らない。
火が、消えていく。心の中の火が。
「私たちが戦いますから」
「ルゥナ様」
トワと呼ばれる少女が声を掛けて、空を示す。
飛竜騎士……ではない。
雪鱗舞だ。珍しい、白く美しい魔物。
それに騎乗しているのは、やや日焼けした肌の女戦士。
ルゥナ達に向けて、何やら拳を掲げて見せている。ルゥナもそれに応えて手を上げた。
「飛竜騎士も討ちました。私たちがやりますから」
まさか、本当にこの子たちは。
ティアッテに出来なかったことを成し遂げたと言う。
飛竜騎士ジスランという戦士はムストーグ以上の難敵だったはずだ。
力はムストーグに比肩するほど、その上で大空を自在に飛び回る。
ティアッテは氷乙女だが、ムストーグと一騎打ちで勝てるだけの力はない。オルガーラと揃えば十分に勝算はあったけれど、その場合は敵の方が退いた。
彼女らは、どれだけの数を揃えているのか知らないが、ティアッテとオルガーラが揃っていても出来ないような戦果を上げた。
そのことがまた、ティアッテの心を戦いから遠ざけてくれる。
役目は終わったのだと。
魔神の恩寵により氷乙女として生まれ、苦しむ清廊族の守りとして戦い続けてきた。
それはきっと、今日までのため。
自分の代わりに戦う力を持つ彼女らが現れる、この時までの役目。
「……お願いします」
だからもう、いいじゃないか。
ティアッテは手放す。
「貴女の今までの戦いは、決して無駄にしません」
投げ捨てられたそれを、ルゥナは寂しそうな微笑みで、受け取ってくれた。
※ ※ ※
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