第三幕 022話 斧戦士の幻影



 巨大な戦斧。

 振り回すどころか、持ち上げることにさえ普通なら出来ないと思えるほど絶大な質量。


 両側に備えられたその刃は、数多の敵を裂いてきたのだろう。

 敵の肉を、骨を。容易く断ち切り、命を絶つ。


 それを振り回すほどの力を有するとすれば、それは目の前にいる豪傑と呼ばれる英雄など。


「……」


 足元の大地に突き刺さった自らの体よりも大きな戦斧を見て、ムストーグは嗤った。



「これも幻か、影陋族ども」


 馬鹿にするように嗤いかけてから、ルゥナの表情を見て訝し気にもう一度、自分の足元を見直す。



 断ち切られた自らの左足を。




「ルゥナ、あれは」

「ティアッテ……」


 ルゥナは知っている。その巨大な戦斧を手に、多くの人間を薙ぎ払う姿を見たことがあった。


 憧れた。

 尊敬して、夢見た。

 いつか自分も彼女のように戦いたいと、そう願った。

 叶わないまでも、その隣で戦えたら嬉しいとも。


 氷乙女ティアッテ。

 身の丈の倍半ほどの巨大な戦斧を、自らの体の一部のように振るう天才戦士。

 単騎で敵の一軍を退け、清廊族の要として戦い続けてきた偉大な彼女の武器だ。



「なん……じゃ?」


 振り返るムストーグ。

 その前の攻防でルゥナを弾き飛ばした為に、砦には背を向けていた。

 自分の背中から飛んできた戦斧に、間の抜けた声を上げて。


 砦の門近くの見張り台に、その姿はあった。

 隣にはミアデが、なぜかその腰を抱えている。

 抱き着くような姿勢でティアッテに張り付いているのは、何のつもりなのだろうか。ルゥナにはわからない。


「……ばかな」

「愚かなのはお前です」


 ルゥナの持つ魔術杖が、ムストーグの腹に突きつけられた。



「極光の斑列より、鳴れ星振の響叉」


「ぬぐぅぅぅ!」



 内臓を直接揺らす魔法。

 遠くから放っても、おそらくこの英雄ムストーグの強靱な体躯に阻まれ、効果がほとんど及ばなかっただろう。

 だが直近で放てば、その振動は中に伝わる。体内に。


「ぶ、ばぁっ、こんなものでぇ」

「極光の斑列より、鳴れ星振の響叉」


 続けて、背中からメメトハが放った。

 ルゥナに手を伸ばそうとしたムストーグの背中に張り付き、その背中側から。



「ぶふぁっ」


 本来なら、こんな距離でこの英雄に魔法を放てるはずはなかった。

 不意打ちのティアッテの戦斧が足を斬り落とし、バランスを保つことに気を取られていたせいもある。



(何か、他の疑問もあったようですが)


 振り向いたムストーグは、ティアッテが自分に攻撃してきたことを不思議と感じたようだ。

 戦斧を幻かと疑ったように、決して有り得ないことだと。


 砦を襲った仲間がいたのだから、囚われていたティアッテを助け出すことだって考えられるだろうに。

 そんなことは不可能だと決めつけていたのか、違うのか。



「こ、の……儂が、貴様らなんぞにい!」


 大したものだと思う。

 内臓を直接何度も殴打されたような衝撃のはずだが、それでも吠える。

 そして、血走った目でルゥナを睨む。


「貴様など……」

「私のルゥナ様を」


 トワの包丁が刺さった。



 背丈の問題だったのかどうなのかわからないが、ムストーグの背後から、その尻の穴に向けて差し込まれた。

 背中の方にはメメトハの杖があったから避けたのかもしれないし、狙ったのかも。


「む、ぐぉぉぉっ!?」


 苦悶の声を上げて空を仰いだムストーグを、今度は上から。


「汚い目で見ないで下さい」


 跳び上がったトワが両手で持つもう一つの包丁が、ムストーグの目玉から脳髄に突き立てられた。



「べ……」


 残っていた右足が、膝から力を失い、その身を地面に倒す。

 尻に刃物を突き立てられ、目を抉られて。無残な躯から、だらりと血や脳髄が大地に流れた。

 豪傑ムストーグの最期。




「……トワ、えぐいのう」

「私、小さいんですよ」


 何でもないように言いながら、尻に刺さった包丁を引き抜くトワ。

 血なのかなんなのか、とにかく汚れた包丁をムストーグの衣服で拭う。それも泥塗れの衣服なのだが、とにかく拭う。



「ティアッテ……」

「あの方、ご存じなんでしたか」


 大地に立った戦斧の柄に触れながら、砦にいるティアッテを見ながら呟くルゥナ。

 トワの声はやや冷たく、つまらなそう。


 乱雑に、うつぶせに倒れたムストーグの死体を、足で転がして表を向かせる。

 トワとて既に一流の戦士並みの力がある。巨漢の死体でも持ち運ぶ程度の力は十分にあった。転がす程度なら造作もない。


 先ほど拭ったはずの包丁で胸を切り開いて、その心臓あたりから命石を拾い出す。英雄のものなのだから相当な力を秘めているはず。



 ティアッテはいまだ、ミアデを横に添えながらこちらを見ているだけ。

 遠目に、その表情は決して明るくはない。

 仇敵を倒したというのに。


(……悲惨な目に遭ったのですね)


 美しい彼女が、虜囚としてどのような扱いをされたのか。

 ムストーグもそのようなことを言っていた。たとえこの男を殺したところで、その事実が消え去るわけではない。


 明るい顔など出来るはずがない。



 それでも、助けられた。

 想定外の敵の強さに心が折れそうだったけれど、ティアッテを助けて、その力も借りて強大な敵を倒すことが出来た。


 勝利だ。

 ミアデたちがあの場所にいるということは、砦の方は大方片付いたということなのだろう。


 最大の敵の一つであるムストーグを殺した。

 残るは飛竜騎士になるが、アヴィは無事だろうか。



「アヴィを……」

「無理です、ルゥナ様」


 まだ戦っているのなら手助けにいかなければと動こうとしたルゥナだが、トワに止められる。


「先ほど叩きつけられた時にひどく打ち付けています。これ以上は無理です」

「平気です」

「無理です」


 無視して行こうとしたルゥナだったが、


「うくぁっ」


 トワに肩を掴まれて、悲鳴を漏らしてしまう。



「……離して、ください」

「このまま行っても足手纏いにしかなりません」


 トワが、今度はそっと労わるように肩を撫でる。

 ムストーグとの戦いで、肩から肘の辺りに強い衝撃を受けた。

 戦いが終わり、気が付いてみれば身動きするのもつらいほどの痛み。



「トワの言う通りじゃ、ルゥナ」


 メメトハも腹を押さえながら、苦しそうに首を振る。

 彼女も痛みを振り切って魔法を使った。生きるか死ぬかという場面で咄嗟に動いたが、それも限界。


「……トワ、お願いを」

「駄目ですルゥナ様。今はトワがお守りしますから、ミアデさんたちの所に」


 聞いてもらえない。

 溜腑峠の中心部にいるはずのアヴィ達を助けに行きたいけれど、トワやメメトハの方が冷静だ。

 助けに行くにも、満足に戦える状態ではない。

 今、戦っている正確な場所もわからない。無闇に仲間と離れる方がよくない。



「……わかりました」


 ティアッテがいる。

 彼女なら単独でも英雄級の敵とも戦えるのだから、戦力としてはこれ以上ない味方になる。

 今はつらいかもしれないが、アヴィ達を助けに行ってもらえるように頼もう。



「これ……見かけ通り、けっこう重いです。ね」

「すみません、トワ」


 大地に刺さったままだった戦斧をトワが担ぐ。

 トワでさえ持て余す重量の戦斧を、遠くから正確にムストーグに投げた。見事なものだ。



(アヴィはきっと無事です。氷乙女とも合流出来て、これで……)


 色々と算段は狂ったけれど、当初の目的の一つは果たした。

 人間の最大級の戦力を討ち、こちらの強力な味方を得て。

 ルゥナの願う道筋に光が見えてくる。


 砦へと歩を進めるルゥナ達を見つめるティアッテの瞳は、近付くにつれ暗い色を濃くしていくようだった。



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