第三幕 021話 死に沈む沼_3



 飛竜が死に方を選ぶ。

 死ぬ理由には共感することはないが、残した言葉の想いには共感する。

 己の子が巣立っていったのを見届けられて、その謝意を。




 戦った。

 溜腑峠に踏み込んできた人間どもと戦った。

 今まで殻蝲蛄が戦ったどのようなものよりも強い人間ども。

 飛竜に跨るものと、泥土を吹き飛ばしながら戦うものと。


 左腕を失い、体を砕かれ、沼底に沈んだ。

 沈みながら耳にする。沼地に生きる自らの一族が、人間どもに狩られる断末魔を。

 動く力も失い、ただ沼の底深くに沈み、死に向けて消えかけていく意識の中で。子の、孫の、曾孫たちの死の嘆きを聞かされた。


 絶望した。

 悲嘆の中で死んだ。一度は。


 まだかろうじて命の火が、くすぶるように残っていたのだろう。

 激しい大地の揺れを受けて、目が覚めた。


 沼の底で、怒りを含んだ大地の揺れを感じて息を吹き返した。



 蟲などの類は、体を裂かれてもしばらくは生きていることがあるという。殻蝲蛄もまた、絶望と悲嘆の沼に飲まれていたが、まだ命は残っていたのか。


 鼻先の触覚に感じるのは、この体を砕いた槍の気配。飛竜に乗った戦士の気配。

 既に死に体の身を、最後の力に変えた。

 苦痛も何も切り捨てて、ただその怨敵を討つ。



 清廊族が戦っていたらしい。

 人間と清廊族が争っていることは、姉神の知識の源泉で知っている。知っているからといって手を貸すわけでもないが。


 ただ今この時だけは都合が良い。

 自分や、自分の一族に殺戮をもたらした人間に一矢を報いることが出来る。



 最後の力を使い、また清廊族の手もあって目的は果たした。

 既にこの体は死に体。

 この溜腑峠から巣立っていった曾孫や遥か先の子孫たちは、きっとどこかで生きているのだろう。

 いずれこの沼に戻ってくるものもあるかもしれない。この世界のどこかで生きているのなら。



「マジリモノ……」


 清廊族かと思ったが、少し違う。

 魔物の子だ。


 これは……そう、濁塑滔。

 なるほど、清廊族というよりは魔物寄りの気質だ。濁塑滔の強い想いを残した娘。


 だからなのか。我が子の死を嘆く殻蝲蛄の言葉を人間が蔑んだ時、彼女は激しい怒気を発した。

 共感して、怒りを覚えた。化け物でも母の気持ちを蔑ろにするような人間に。


 優しい娘だ。

 このような娘を得られた濁塑滔は、幸せに違いない。

 その想いがこのマジリモノの力になっているのだから。



「ワガ、イノチ……ツカエ」

「……」

「オマエタチニ……」


 濁塑滔の娘の手が触れた。

 殻蝲蛄の鼻先に。


 本来ならそこは触れられるのを嫌う敏感な部位なのだが、死にかけた体はもうほとんど感覚がなかった。むしろその熱をかろうじて感じられて、心地よい。


「アヴィ様」


 別の清廊族から、簡易な魔術杖を受け取ると。



「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」


 冷たさを感じることもなく、ただ静かで涼やかな流れの中で、殻蝲蛄の意識は消えていった。

 深く沈むように、消えていった。



  ※   ※   ※ 

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