第三幕 024話 蕩ける謝意



「顔見知りでしたか?」


 セサーカの問いにメメトハは曖昧に頷く。


「ほとんど覚えておらんのじゃ」


 だから、曖昧に。



 砦から人間を一掃し終わる頃にはアヴィ達も辿り着き、人間どもの残した食料で休憩をしている。

 人間どもとの戦いで、これだけの勝利を収めたという話は聞いたことがない。初めてのことではないだろうか。


 戦った皆でその勝利を分かち合い、助け出した仲間を労わる。



 ルゥナとの話が済んだ後、メメトハもティアッテと言葉を交わした。

 とはいえ、何を話したものか。


 当たり障りのない労わりの言葉と、サジュの情報を聞いてみた。既に知っている程度のことしか聞けなかったが。



「妾が幼い頃に、サジュの守りに着く前のティアッテと会ったことがあるのじゃ」


 ティアッテはメメトハよりいくらか上の世代になる。メメトハの母、メディザと共に戦ったこともあったとか。

 オルガーラはもう少し若く、そちらならクジャで暮らしていたこともあるのでよく知っているけれど。


「お辛そうでしたね」

「……知らぬ妾が言うのもおぬしには業腹かもしれんが、そうじゃな。時間が必要なのじゃろう」


 セサーカとこんな話をする日が来るとは、初めてあった時には考えもしなかった。



 人間の虜囚として、苦渋を味合わされたティアッテ。

 当然、話には聞いていただろうが、自身がそのような目に遭うのは全く意味が違う。

 苦痛と屈辱と、恐怖心と。

 足のこともそうだが、何より心が折れていた。

 

 己の戦斧に触れようとしなかった。

 武器を手にすることを拒絶している。もういいと、それを誰かに渡してしまいたい。そんな気持ちが見える。


 責められるはずがない。




「そのう……」

「?」


 言い淀んだメメトハに、隣に座るセサーカが小首を傾げた。

 言葉を探して、迷って。そして改めてセサーカに向き直り頭を下げる。



「すまなかった」

「え、と」

「妾が愚かじゃった。何も知らぬ妾が、初めておぬしらに会った時にどれだけ愚かなことを言ったか。本当に情けない」


 きちんと謝罪をしてこなかったと、改めて。



「いえ、それは」

「駄目じゃ、セサーカ。妾を甘やかすでない」


 メメトハは蔑んだ。人間の虜囚として陰惨な日々を過ごしてきたセサーカ達を。

 その苦汁の日々を蔑み、揶揄した。


「妾の愚かさじゃ。恥ずかしく思う。今思えば、あの時の妾を殴りつけても飽き足りぬ」

「……」

「おぬしは、その妾を殴らなんだ。出来たじゃろうに」


 力試しと決闘を仕掛けて、セサーカはメメトハをやり込めた。

 憎たらしかったはずなのに、けれど最後の所で止めた。殴りはしなかった。



「……妾は、自分が恥ずかしい」

「もういいんですよ、メメトハ」


 下げられるメメトハの頭を、セサーカの手がそっと撫でる。優しく。


「もう十分、わかってくれました。貴女は私たちの仲間です」


 涙が零れる。

 優しさが、刺さる。

 いっそ恨み言の一つでも聞かせてもらえたほうがまだ、メメトハの心を慰めただろう。

 あの日の自分は、こんなに優しいセサーカ達に対してバカなことを言ってしまった。



「アヴィ様の力になって下さる貴女のことは、もうみんな認めていますから」

「それは」

「生まれた場所も、育った環境も違うんです。最初から分かり合うことなんて出来ません」


 頭を上げて、セサーカを見つめる。

 けれど見ていられなくて、抱き着いてしまった。


「すまぬ。妾は、本当に……」

「もう……わかりましたから。ありがとう、メメトハ」


 逆に慰められてしまい、立場がない。

 いや、立場など最初からないのか。メメトハの考えていた立場など、クジャで祖母や大叔母が作ってくれていた場所と言うだけで。


 こんな風に心を晒しての言葉など初めてだったかもしれない。

 溢れる涙を、セサーカはただ優しく受け止めてくれた。



「……おぬしは、強いな」

「そうですね、私はあのメメトハ様にも勝ったことがあるんですよ」


 冗談なのか意地悪なのか、そんなことをおどけて言う。


「それもじゃが……ティアッテは、戦えなくなってしまったというのに」

「それは……やっぱり、時間が必要なんでしょうね」


 どうにもならない。

 戦意を失った戦士が再び戦場に立つには、きっと時間が必要なのだろう。



「私は、幼い頃からひどい環境でしたから。トワたちもそうですが」

「……」

「ティアッテとは事情が違います。その……言い方が悪いかもしれませんが、足を失ったことも理由になってしまうのでしょう」


 戦えない理由も出来て、戦う意志を失った。

 彼女の力があれば、以前ほどではなくとも戦いの助けになれるだろうけれど。


 戦いたくないと思う気持ちと、戦えない明確な理由がある。揃えば、誰も彼女を立ち直らせることは出来ない。



 正直に言えば、当てにしていた。

 氷乙女の力とアヴィの恩寵が揃えば、十分な戦力になるはず。


 逆に、今のままでは英雄級の人間どもに対する十分な戦力がない。

 今回の戦いだって、聞けば溜腑峠の伝説の魔物と、ティアッテの最後の一撃という助けがあっての結果。


 薄氷を踏むような勝利。

 あのままでは勝てなかった。あそこまで敵を追い込めたから、最後の勝利につながったとも言えるけれど。


 しかし、戦力不足は否めない。

 英雄級の敵に対抗する決定的な力がほしい。ティアッテはそれに成り得る存在だったのに。



「泥沼の底よりまだ酷い場所で暮らしていた私が、今ではメメトハに泣いて縋られるくらいになりました」

「セサーカ……」

「戦えないティアッテを責められません。その分は私たちが強くなっていけばいいんですから」


 今までだって、持っているだけの力で戦ってきた。だからこれからも、ないものを頼りにはしない。



 出来るだけのことを駆使して英雄を追い詰めた。泥沼の底で、あの男が大地を震撼させるほどの力をぶつけるとは思わなかったが。


 その大地の揺れが、危機だったミアデを救った。

 ティアッテに、仇敵の存在を知らせてくれた。

 あの殻蝲蛄かららっこも、どうやら沼底で死にかけていたらしい。震動を受けて目を覚ましたのだろう。


 ルゥナ達と考え、全力を尽くした。それだけでは足りなかったにしろ、それでも結果を出した。

 幸運を引き寄せたのも、あらゆる力を尽くしたから。

 ならばこの先も変わらない。手に入らない氷乙女の力を当てにするのではなく、自らが強くなろうと。



「……やはり、おぬしは強いな。セサーカ」

「どうでしょうね」


 やや自嘲的な笑みで首を小さく振る。


「ちょっとだけ不満もあるんですよ」

「わかっておる。まあ、許してやれ」


 ミアデがいないことだろう。最初に手を取ったからなのか、ティアッテがミアデから離れたがらなかった。

 戦いを終えて休息の時に、愛しい者がいない。不満にもなる。



「許して……そう、ですね。メメトハ」

「うん……?」


 セサーカの笑みが、より深い優しさを印象付ける。

 どこまでもどこまでも深い、情愛を。


「や……セサーカ、その……」

「謝罪はいりませんが、そうですよね。何も報いがないときっとメメトハも気が済まないでしょうし」

「ま、待つのじゃセサーカ。妾は決して……」


 しまった。

 先ほど縋り抱き着いていたメメトハの位置はセサーカにやたらと近く、逃げられない。


 背中に回されようとした腕を逃れようとして、逆に後ろから捕まる。

 まるで網に捕らわれるように。



「本気で嫌がったらやめますから」

「ちょ、待てというに、その……」

「待てばいいんですか?」

「そういう意味ではなくて」


 傷はトワに癒してもらったが、まだ完全ではない。一晩は休まなければ痛みが消えないだろう。


 そんなメメトハの腹を、セサーカの指がなぞる。ぞくりとする冷たさ。


「ちゃんと可愛がりますから、いいですよね」

「そのようなことを」


 誰がこんなことをセサーカに教えたのだろうか。

 日焼けした女丈夫が脳裏をかすめるが、今はそれを追求している場合ではない。



 嫌いではない。セサーカのことは嫌いではないけれど、だからと言ってミアデの代わりのように扱われるのは嫌だ。

 本気で抵抗するならやめると言っているのだから、ここは毅然と――


「大好きですよ、メメトハ」

「っ! や、ぅ……」


 耳元で囁かれた吐息に、体から力が抜けてしまって、メメトハの心はそれだけですっかりとろかされてしまった。



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