第三幕 020話 死に沈む沼_2



 重なり合って落ちる魔物たちから離れ、アヴィが膝を泥に着いた。


「アヴィ様、大丈夫?」

「平気」

「お腹、ひどいよ」


 降り立ったアヴィにニーレとユウラが声を掛ける。



 残っていた飛竜騎士は、既にウヤルカとエシュメノが片付けていた。

 泥撃の混乱と、ジスランが討たれたことに動揺している人間どもは力を発揮できない。


 エシュメノは、敵を片付けるついでに飛竜につけられていた鞍と黒い首輪を切っている。

 あれは魔物を操る呪枷だ。自由になった魔物に危険がないわけではないのだが、エシュメノがそうしたいのならそれでいい。



 アヴィの腹は、最初にジスランの大槍を受けた際に、受けきれずに傷を負っていた。痛みはあるだろうに、あれだけ動けるというのはやはり大したものだとニーレは思う。

 そもそも最初の一撃だって、他の誰かだったら受けられなかった。


「平気」


 もう一度答えてから、泥の中にいくらか沈んでいる殻蝲蛄たちの所に歩きだした。

 まだ飛竜の息はある。危険かもしれないので、ニーレ達も続く。




「……まだ生きているのね」

「ぎ、さま……ぐぶっ……」


 四方から斬られ、貫かれ、空から落ちて。尚も息があるというのも英雄ゆえだろうか。

 だが既に死にゆくだけ。体を動かすこともできず、落ちた際に殻蝲蛄や飛竜により傷口からさらに潰されている。



「……私を、倒したからと言って……別の人間が来るだけ、だ……」

「皆殺しにする手間が省ける」

「ばか、が……」


 憎々し気に罵りの言葉を発してから、馬鹿々々しいというように嗤った。


「……人間が、どれほどいると……本国には、私ほどのものがどれだけ……」

「それでもやる。出来るの」


 アヴィの目線が促すと、ユウラが近くで泥に沈みかけていた別の飛竜騎士の死体に腕を突っ込む。



「……蛮族、が」

「見なさい」


 死体を辱めるのが目的ではない。

 人間の胸の中をまさぐったユウラが、その手を引き抜く。そこには。


「あったよ、アヴィ様」

「ええ」


 ユウラが血を払ってアヴィに手渡すものを、その手の平の上でジスランにも見えるように転がした。



「なん、だと……」

「魔石……私は命石と呼ぶけれど」


 本来なら、魔物からしか取れないはずの魔石。

 それを手にして、アヴィはそっと頷いた。



「これの意味が、わかる?」



 ジスランの目に、アヴィの後ろに並ぶ清廊族の戦士たちが映された。

 戸惑いの色が、次第に変わっていく。怖れに。


「まさか……そんな、ばかな」


 アヴィが剣を手にして、切っ先をジスランに向けて、


よ」


 囁くように、呟いた。



「人間を殺しただけ、私たちは強くなる」


 本来なら、人間同士の殺し合いでは生じないはずの魔石が。無色のエネルギーが。

 魔物を殺せば、それに応じて強さを増していく。

 その理屈が人間を相手にも通じるとなれば、それは彼らの常識を超える。


「お前の命も、私たちの力になる」

「う、そだ……」

「奪われた全てを、お前たち人間から奪う」


 切っ先に、力が込められた。



「だから、そうね」


 ニーレの場所からアヴィの表情は見えなかったが、どうだろうか。その口元には笑みが浮かんでいるのではないかと。

 アヴィの剣が、ジスランの目から頭を貫いた。


「いただきます、かしら」

「が、ひゅ……」



 英雄と言えども、その死に様は他の人間と変わりはなかった。

 死体に違いなどない。

 ウヤルカがその腹を裂き、体内から命石を抉り出す。




「じ、すら……」


 喋るのか、と。

 驚いた。それまで力を失っていた飛竜ウイブラが、死んだ男の名を呼んだ。

 意識を失っていたが、呪枷の主が死んだことで何か感じたのかもしれない。


「お前、喋れる?」

「……」


 エシュメノが問うが、ウイブラはそれに対して返事はしない。


 千年を超える魔物は言葉を喋ることがある。ソーシャがそうだった。

 殻蝲蛄も、あまり得意そうではなかったが喋っていた。


 千年を超えなくとも、長く生きた魔物――アウロワルリスで見た顎喪巨蟲も、言葉を発していたのを知っている。

 この飛竜もそういうものか。



「……お前は、もう奴隷じゃない」


 エシュメノが鞍を千切り、ユウラが黒い首輪を切る。

 人間に使役されていただけの魔物だ。この飛竜に恨みがあるわけではない。


 言葉が通じて理性があるのなら、何も殺す必要はない。

 エシュメノが解放した他の飛竜は、既に遠くの空へと飛び去っている。自由を取り戻して。



「自由にしていい。生きていられるなら」

「……ながく、にんげんと、ともに……ありすぎ、た」


 呪いの首輪を外しても、ウイブラが動き出すことはなかった。

 死んだジスランを包むように、その巨体を丸めたまま。


「いまさら、ただそらをゆくのは、わからない」


 おそらく人間と長く暮らしていたからという理由もあるのだろう。言葉はわかりやすかった。



 長い年月を、人間に使役されて生きて来た。

 野生に戻る意味がわからない。


 本当にわからないのか、あるいは違うのかもしれない。共に戦った男と死ぬことを受け入れているのか。

 それを聞くのも無粋だ。



「……いづのの、むすめ」

「エシュメノ」

「そなた……わがこを、はなってくれた。かんしゃ、する」


 自らは死ぬ。

 けれど、このウイブラの子は、エシュメノによって解き放たれた、と。

 別の飛竜騎士が乗っていた飛竜のことか。首輪を切ってくれて空に放ったことへの感謝を。



「……つばさも、おれた」

「……」

「たのむ」


 癒せば、長らえたかもしれない。

 それでも死に場所を選んだこのウイブラを、これ以上どうするのもまた違うのだろう。


 エシュメノの短槍がその胸に打たれると、ウイブラはその長い戦いの生涯に幕を下ろした。



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