第三幕 016話 蜥蜴と魔女



 おかしい。異常だ。

 こんなに強いはずがない。

 ミアデの胸中に湧いてくる違和感の正体がわからない。


 正直に言えば、怖い。

 恐怖など当に乗り越えたものだと思っていたのに、心というのはそれほど単純なものではないらしい。

 こういう怖さは初めてだった。



 装甲を頼みにその重量で前進しつつ、手近な相手を槍で貫く。

 重装兵の戦い方。


 上質な全身鎧を着こんで出て来た敵の指揮官らしいバシュラールという男と、その側近。

 彼らは強い。冒険者でいえば上位に相当するような猛者。


 それだけの強さの敵の集団を相手にして。



「あははっ! そうです、その顔ですぅ!」

「くそ女が!」


 ラッケルタを突撃させながら、突き刺さりそうな敵の武器を弾き散らす。

 重装歩兵の敵に対して、重装歩兵の戦い方で正面から打ち破るほどの強さがネネランたちにあったとは。ミアデは知らなかった。



 装甲――ラッケルタの鱗は、非常に硬い。

 また滑らかな曲線もあり、まともに突き立てられなければひどい傷は負わない。


 巨大な質量を持つラッケルタの突進と、その上で赤黒い大槍を振り回すネネラン。

 猛者を揃えた敵の主力でさえ、その姿にわずかに恐怖を覚えたようだ。


 怯んだ気持ちでなければ、あるいはラッケルタを突き殺すことも出来ただろう。

 だが、その一歩が踏み出せない。

 会敵早々にネネランが突き刺した兵士が、臓物をぶちまけて死んだのを見てしまって。



 毒々しい槍と哄笑するネネラン。そして彼女らが身に着けている装具は、あちこちの魔物の素材を継ぎ接ぎしたネネラン手製のもの。

 全てが禍々しい。見た目の話だけれど。


 ネネランは前髪が長く、彼女の目が隠れがちになっているのも、より不気味さを際立たせているのかもしれない。


 ミアデが見ていてもちょっと怖い。

 味方で良かったと思いながら、ラッケルタやネネランを傷つけられそうな敵を優先的に叩いていく。



「影陋族風情が、このような!」

「うふふ、そうですねえ」


 罵りの言葉を漏らす敵の指揮官バシュラールにネネランは笑い、大槍を縦に振るった。


 途端に、飛び出す。

 櫓の上からネネランに矢を射かけようとした兵士に、大槍が飛び出した。伸びた。



「ぶぁっ、なん……?」


 疑問の声を上げながら、やはり臓物をまき散らして下半身と上半身を分かつ射手。

 血の雨が降り注ぎ、人間どもの目に混乱の色が深くなる。


 ネネランが再び槍を掲げると、元の長さに戻った。伸び縮みする、そんな仕掛けもしているらしい。



「この子、敵が物を食べるのが大嫌いみたいで。憎くて憎くて、敵のはらわたをずたずたにしちゃいたいみたいなんですよ」


 艶めいた赤黒い槍を撫でるネネラン。

 ネネランが組み上げ、パニケヤに強化してもらった魔槍紅喰。気に入っているらしい。

 顎喪巨蟲の怨魔石を使ったことで、何かそういう意思めいたものを宿しているのだろうか。


 ミアデの足にも、同じ魔物の素材から作った足甲があるけれど。

 敵をどうこうしたいという意思を感じたことはない。勝手にそんな動きをされても困る。



「狂人め……」

「そういうお顔を見たかったんです。人じゃあないんですけど」


 再び魔槍を構えるネネランと、小さく唸るラッケルタ。



 ネネランがここまで強いとは思わなかった。ラッケルタと共に戦う彼女の力は、単独での時とは比較にならない。

 訓練の時の印象と大きく違うのは、人間を血祭りにあげることに陶酔しているからなのかもしれない。

 止めることもない。目立つネネランのお陰でミアデが動きやすい。


 巨体のラッケルタが尻尾を振るい、ネネランが大槍で突き殺す。

 その隙間を掻い潜って隙を見出そうとする敵を、俊敏で小回りの利くミアデが仕留める。役割分担が出来ていた。



「はあぁ!」


 ミアデの拳が人間の肋を砕く。装甲が薄い箇所を狙っての一撃。

 素手ではない。拳の表面を傷つけないよう魔物の皮で作った手袋を装着していた。

 実はこの手袋、伸縮性に優れた膀胱の部位を使っているのだが、作ったネネランはそのことをミアデに伝えていない。



「うん、いい感じ」


 ミアデの拳は鋼のように硬い。

 魔法は苦手なミアデだが、その代わりになのか、自身の拳を鋼鉄のようにすることが出来るようになっていた。

 人間でも、闘僧侶と呼ばれる戦士が得意とする無手の戦闘術らしい。


 なぜ使えるのかと考えてみたら、奴隷時代に主の商人が雇っていた冒険者がそういう戦い方をしていたのを思い出した。その記憶があったからなのか。


 鋼の拳と、異常個体の魔物から作り出した牙付きの足甲。

 自らの体を武器として、ネネランに近付こうとする敵を次々に葬り去っていく。


 指揮官級の連中はともかく、他の兵士どもの表情は明らかに恐怖に飲まれていた。



「魔女め!」


 大層な呼び名で罵られた。

 魔女――魔神の娘と。

 時折人間は、迫害する女をそんな風に蔑むのだとか。



「そんな、滅相もないです」


 清廊族にとっては蔑みの言葉にはならない。神の子だと呼ばれて。

 照れたように言葉を返し、ついでに礼のように魔槍を突く。


 忌々しそうにその槍を打ち払い、反撃しようとした男にラッケルタの尾が叩きつけられた。

 頑強な鎧の為にダメージは少ないが、鎧で動きが鈍いために避けられない。



「ネネラン! 魔法だ!」


 ロベル・バシュラールと名乗った男。

 自ら仕掛けるという戦い方ではない。どちらかと言えば守勢に回り、周囲を使うタイプ。


 彼がこちらの注意を引いている間に、敵は布陣を終えていた。最初に自分が相手をすると言ったのは嘘だったのだろう。駆け引きというのか。



「祝焦の炎篝より、立て焼尽の赤塔」


 左右から放たれた炎の塊。

 これをまともに食らえばミアデでも命はない。


「だあっ!」


 まともに食らえば。


 左から撃ち込まれた炎塊を、蹴りで一閃した。

 散らす。


 散り散りになった火の粉がミアデの頬にちりちりと熱さを残すが、問題はない。

 もう一方を、ラッケルタの短い前足が踏みつぶした。



「次!」

「原初の海より、来たれ始まりの劫炎」


 指揮官の指示に従い、続けて放たれる業火の魔法。

 ミアデとラッケルタの間辺りの地面が赤く輝き、そこから爆発するかのように炎が噴き出した。


「く、のっ!」


 自分たちの砦の中で、味方も巻き込みかねない爆炎の魔法。

 やや意表を突かれてしまい、腕を交差させながら飛びずさるミアデを熱波が焼いた。

 人間にしたって炎の魔法が近くで炸裂したら熱いだろうに、構わずに。


「そういう、こと!」


 彼らの装備品には炎熱に対する何かがしてあったのだろう。爆風に構わずに後ろからミアデに迫る兵士がいた。

 集団戦闘を主眼にした軍隊なのだから、爆炎を放つ係りと、そこに生じる相手の隙を突く役割とがあって当たり前。役割分担だ。



「死ね!」

「うぁっ」


 敵の攻撃が素早く、躱せなかった。指揮官の直下なのだとしたら一流の戦士に違いない。

 飛びずさった後ろから殴りつけてきた敵の戦槌を咄嗟に腕で受け止め、その重さに押し飛ばされた。

 片手で扱える小戦槌でなければ、受けた腕が砕けていたかもしれない。


「お、あ……」


 ミアデの頭を殴り潰そうと意識しすぎだ。足元が疎かに。

 腕で攻撃を受けたミアデは、押し飛ばされながらも足を振り抜いていた。その兵士の足元から、上に。

 足甲から突き出した牙が、兵士の股間に突き刺さっている。


「あ、きったな」


 汚物のぶら下がった袋に突き刺さり、それを半ばほど断ち切ってしまった。

 腕を殴られた痛みは残るが、つい笑みが零れる。


 男にとっては大事なモノだろう。それを奪われる痛みはどれほどのものか、ミアデが知ったことではないけれど。



 戦槌持ちが崩れるのを横目に、爆炎の反対側にいたはずのラッケルタを確認する。

 ラッケルタは、どうやらミアデとは逆のことを選んだらしい。爆炎の中心に自らの腹を被せていた。


「グィタードラゴンに炎は効きません!」


 ミアデを焼いた熱風は、ラッケルタが圧し潰した横から漏れたものだ。その上にいるネネランにはほとんど届いていない。

 効かないとはいえ、思い切ったことをするものだと感心するが。



「影陋族は耐えられん! 続けろ!」

「させません」


 視認しにくい位置取りの魔法使いがいるだろう場所に当たりをつけて、ネネランが叫んだ。


「ラッケルタ!」

「GAA!」


 突進するラッケルタを、バシュラールの側近の二人が大楯を構えて阻んだ

 巨体のラッケルタとはいえ、軍の主力らしい重装歩兵二人が踏ん張れば容易くは抜けない。

 止められ、その上からネネランが魔槍で敵を貫こうとするが。



「ネネランだめ!」


 遅い。


「始樹の底より、穿て灼熔の輝槍!」


 ミアデの声とほぼ同時に、詠唱が響いた。



 赤熱に輝く溶岩の槍。

 やはり意表を突かれた。意外性。

 重い鎧を着こんだ指揮官が、まさか魔法使いだったとは。


 見た目から武器を主として戦う戦士だと思い込んでしまったミアデは、それが高位の魔法を操る魔法使いだとは思わなかった。

 先ほどまでは守備重視の鈍重な戦い方を見せていたそれが、注意を逸らした瞬間に必殺の一撃を放つ。



 高く掲げられた手の上から、赤熱の槍がネネランに向けて撃たれた。

 力強いが小回りの利かないラッケルタと、そのラッケルタの正面を塞いだ敵を貫こうとしていたネネラン。

 横から迫る敵の魔法を避けることが出来ない。



「残念です」


 本当に諦めたように、ネネランは左手を頭に上げた。

 彼女の細腕で、横から迫る灼熱の魔法を防げるはずがないのだけれど。


「こんな所で使うのは」


 するりと、ネネランの頭を結っていた何かを引き抜いて。



 引き抜かれた柔らかな布状のものが、ふわりと広がった。

 ネネランを包むように、大きく、白い風呂敷のように。


「なに?」

「もったいないですけど」


 燃え広がった。



 敵の指揮官ロベル・バシュラールから放たれた赤熱の槍を受けて、その白い布地があっという間に消し炭になる。

 消し炭になり、その強烈な灼熱の力と共に消え去った。


「なんだと!?」

「ラッケルタの皮」


 解かれたネネランの髪も、乱れ広がる。


 左手は消え去ってしまった布――ラッケルタの外皮らしい――を惜しむように空を撫で、右腕の魔槍で行く手を食い止めていた二人のうちの一人を貫いて。



「炎の魔法をよく使うのはわかっていましたから」


 貫かれた人間をそのまま槍を掲げると、その口から血が溢れる。


「ラッケルタの脱皮した皮は、すごく熱を吸い取るんですよ」


 だからお守り代わりに、自分の髪を束ねていた。それを守りの為に使ったのだと。

 種明かしをしながら、魔槍に貫かれた部下を、指揮官の上にかざす。



「日持ちしないもので、あまり時間が経つとボロボロになっちゃうんですけどね」


 冬眠から目覚めた際に、大きく育ったラッケルタが脱皮した皮が残された。


 ネネランは色々な魔物の素材を有効活用する。彼女の強さは、単なる戦闘技術とは違う。

 手に入るものの特徴を活かして、何かに役立てる。彼女の暮らしてきた時間の中で必要なことだったのだろう。



「まあ、ここで役に立ったのでいいでしょう」


 ぼん、と。

 魔槍紅喰に貫かれた人間が、弾けた。



「あが、べっ」


 思わず見入ってしまっていたバシュラールは、その血飛沫を顔に受ける。

 目に、口に。部下だった者から巻き散らかされた血と臓物を受けて、顔を背けた。



「おしま――」


 どうにも、このロベル・バシュラールという男は、見かけと違う性質を備えている。

 貫こうとしたネネランの大槍を、その状態から躱すとは。


 かなりの重量のある鎧を着こみながら、視界を奪われながら。


 勘なのか経験なのか知らないが、ロベル・バシュラールはネネランの槍を避けるように後ろに飛び退き、さらに追った穂先を籠手で払う。

 見かけによらず小器用な、かなりの使い手だった。



「あたしが!」


 横から獲物を掻っ攫うようで悪い気もするが、ここは戦場だ。

 敵の指揮官なら早く倒してしまいたいし、手柄を争って仲違いをするような間柄でもない。


「残ってる鎧兵と魔法使いをお願い!」

「わかりました」


 ネネランもわかっているし、意外と機敏な相手を追うのならミアデの方が適している。

 多数を相手にするのならネネランとラッケルタの方が有効だ。

 それぞれ得意なことを認めて、別方向に向かった。



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