第三幕 017話 悲嘆の虜囚_1



 ネネランは、まだ多くの清廊族たちが戦う混戦の中に。

 ラッケルタとネネランの戦いは非常に目を集めて、味方には勇気を、敵には恐怖を与える。


 ミアデは逃げたバシュラールを追う。

 英雄には劣るがかなりの使い手で、この砦では上位の指揮官。逃がすわけにはいかない。

 群がる敵を文字通り蹴散らしながらその背中を追う。


 人間の兵士には、既に逃げ腰の者もいた。

 武器ではない何かしらの荷物を手にして、砦の外へと駆けていく姿も見える。逃げられて人間の町に情報が伝わるのも良くないが、そこまで手が回らない。



 とにかくバシュラールという男をまず片付けようと追って行くと、立派な中央の建物ではなく、別のかなり粗末な小屋へと入っていった。


 何か武器でもあるのだろうか。あるいは罠か。

 中で多数の敵が待ち構えている可能性も、と。


 わずかに逡巡したその間に、バシュラールが再び建物から出てくる。

 その手に若い女性を引き摺って。



「く、ぅっ!」

「貴様らの仲間を殺す!」


 強引に引き釣り出された女性が苦悶の声を上げ、その襟首を掴んだバシュラールが恫喝した。


「こいつを助けに来たのだろう! 貴様らは」


 建物の中から、さらに複数の清廊族が出て来た。

 まるで重い病に苦しむかのような頼りない足取りで、その顔を苦渋に歪めながら。


 首には、黒い首輪を。それに――


残念だった・・・・・な、影陋族の娘」

「……」



 隷従の呪い。呪枷。

 ミアデやセサーカが首に巻かれていたものと色は違うけれど、用途は同じなのだろう。人間の命令に従わされる忌まわしい呪術の装具。


「あんた……」


 ぎ、と。

 握り込んだ爪が手の平に刺さる。

 震える。


「恥知らず……」

「何とでも言え。貴様ら影陋族など相手に、作法もクソもあるか!」


 別の生き物なのだから。

 守るべき最低限の礼節も、獣相手になら必要ない。


 わかってはいた。分かり合えない種族なのだと、わかっていた。

 だが、一軍の指揮官がこれほど見境のないことをするのを目の当たりにして、怒りに震える。



「そんなこと……無駄だよ。どうせあたしらが戦わなきゃ皆死ぬんだから」


 見捨てると、伝えた。


 この卑劣な男に対してではない。

 今、ミアデの目の前に並べられた清廊族の女たちに。


 見殺しにすると宣言した。本当にこの男が捕虜を殺すとしても、ミアデが戦うことを止めることはない。

 そう伝えた。



「……」


 引き摺られていた女が、ミアデを見つめる。

 言葉にはならない。余計なことを言う許可がないのかもしれない。

 ミアデもその呪いを受けて生きていた時期があったからわかる。自分の意思を捻じ曲げられてしまうのだから。


 ただその瞳には、彼女の意志があった。

 それでいい、と。



「ちぃ、お前たち! この女を殺せ!」


 命令が下された。

 黒い首枷を着けられた清廊族の虜囚――サジュの町の戦士だった者たちに、ミアデを殺せと。

 命令に逆らうことは出来ない。彼女らは、憎い敵の命令で、清廊族の為に戦うミアデに襲い掛かってくる。


 涙を零しながら。

 殺してくれと、目で訴えて。

 それでも彼女らは、持てる力を駆使して、全力でミアデを殺そうと襲ってきた。



「くっ、のおぉ!」


 躊躇った。

 わかってしまうのだから。

 彼女らと同じ呪いを受けたことがあったから、わかってしまう。どれだけ悔しい気持ちなのかと。


 最も嫌悪する人間の意のままに、望まぬことを強いられる。

 その心中を思えば、躊躇わずにいられるはずがない。



「っ!」

「ふっ!」


 だが、彼女らはサジュの戦士なのだ。

 氷乙女と共に、長く西部で人間の侵攻を食い止め戦ってきた熟練の戦士。

 ミアデとて手加減をして戦えるような相手ではないのに、それが複数。


 見捨てるだけではなく、殺さなければならない。

 ミアデの手で清廊族を。



「絶対に」


 歯を食いしばり、涙を堪える。


「あの男を」


 まずひとつ、掌底で弾き飛ばした。

 手加減をしていないから、内臓がひっくり返るような痛みだっただろう。


「人間どもを!」


 次を、足甲の牙で相手の太腿裏側を深く切り裂いた。大量の血が溢れる。すぐに止血しなければ助からない。



「皆殺しにするから!」


 約束して、振り抜く。

 体勢の問題もあり、最後は心の臓を拳で突くしかなかった。

 装甲もない薄布の胸部をミアデの拳で突けば、それは致命傷になってしまう。



 仕方がない、とは言わない。

 ミアデの手に残る感触は、ミアデが救えなかった命だ。もっと自分が強ければ、彼女らをまとめて相手にしても手加減出来るくらいに強ければ。


 悔恨と、憤怒と。



「終わりだ!」


 三名の戦士を相手にしていた隙に、バシュラールはミアデの死角に回り込んでいた。



 本来ならこの男、正面から戦ってもミアデに劣らぬ戦士だったのだろう。

 躊躇いながら、悔みながら、襲い来る清廊族の虜囚と戦っていたミアデにとって、圧倒的に不利な状況で。


 躱せない。


 バシュラールが振り下ろすのは小振りな棍棒のようなもの。魔術杖であり、鈍器としても使える。

 魔術杖は、刃の形状では役目を果たさないという。魔法は物語を紡ぐが、刃を手にしていては糸を紡げないから。

 棍棒のような形なら問題ない。



(相打ちでも)


 それでも、この男は絶対に殺す。

 ミアデはその一撃を躱すことをやめて、拳に全ての力を込めることだけに集中した。


「セサーカ、ごめんね」


 後方で、他の清廊族の戦士たちを支援しているはずの顔を思い出して。


 大切な彼女を泣かせてしまう。それは心残りだけれど、きっとセサーカだってわかってくれるはずだ。

 呪いの首輪をつけられた清廊族を道具として使ったこの男に対する怒りを。



 ――ガガアアアァァッッ!



 激震が、ミアデを襲った。



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