第三幕 014話 偽りを重ねて



「お前たちを半死にして砦に戻る。そうして向こうの連中も片付ければそれで終いじゃ」


 その順番で問題などないとムストーグが言う。


「向こうに、ぬしらほどの使い手が幾人もいるわけでもあるまい」

「私たちより遥かに手強い者もいますが、お前が心配する必要はありません」


 メメトハはさすがだ。彼女への評価を改める。

 小さな村育ちのルゥナと違い、彼女は幼い頃から他者を導く立場にあった。だからなのかもしれないけれど。


 ルゥナに冷静さを取り戻させつつ、ムストーグの意識を誘導する。

 砦が襲われていることを示して、だからと言ってルゥナ達を見逃すものかと言葉にさせた。


 口に出した以上、この男は自分の発した言葉を撤回はしないだろう。他を構わずルゥナとメメトハを狙い続けるように仕向けた。その方がこちらに都合がいい。

 そうと思わせずにそんなことをさせるメメトハはさすがだ。



「メメトハ!」

「うむっ」


 同時に跳ぶ。

 砦から離れる方向に。

 今度は時間と距離を稼ぎたい。


「今更逃がすわけがなかろうが!」


 ルゥナ達以上の速度でムストーグも跳んだ。

 泥沼の足場だというのに、まるで関係がないように。



 ムストーグの武器は大剣。

 巨大なそれを易々と振り回してルゥナに迫った。


「ふん!」

「くぁっ!」


 強烈な一撃を受け弾き飛ばされるルゥナ。

 片刃の剣で止めて、それに交差するように亡き長老ホバンから受け継いだ魔術杖で支えて。


「折れぬか」


 武器ごとルゥナの腕でも砕こうとしたのだろうが、ルゥナの持つ武器は普通の物ではない。使うルゥナ以上に強靱だ。

 だが力の差は圧倒的で、軽々と吹き飛ばされた。


 受けられたのも、ムストーグの方にルゥナを殺さずに捕えたいという気持ちがあったから。

 戦力差は明らかで、そこに慢心がある。


 付け入る隙かといえば、違う。実力の差が大きい。手を抜かれてなお、メメトハとルゥナ、二対一でもこの男を倒すには足りない。

 仮に手が増えたとして、その分だけムストーグが余力を戦いに回すだけ。

 差は埋まらない。



「ルゥナ!」

「平気、です!」


 飛ばされながら手近な岩場に手を掛けて、それを蹴ってまた飛ぶ。


「片方は死んでも仕方ないかの」

「極冠の叢雲より、降れ玄翁の冽塊!」


 殺気を増したムストーグに、メメトハの魔法が放たれる。

 いつもなら無数の氷の塊をぶつける魔法だが、今回は巨大なひとつを作った。

 沼地に足を着いた瞬間に、その上から巨大な岩石のような氷塊がムストーグを圧し潰そうと迫るが、男は慌てない。


「むぅん」


 氷塊に向けて剣を一突き。

 足首まで沈んでいた泥に、突きの反動で膝まで沈み込む。


「ガキの遊びに付き合っておられるか!」


 大剣を突き刺した氷塊に向けて吠えると、氷は粉々に砕け散った。

 その間にルゥナは剣を鞘に納めている。刃を手にしていると魔法が使えない。



「真白き清廊より来たれ、絶禍の凍嵐。渦巻け!」


 砕け散った氷塊に被せて、ルゥナが吹雪の魔法を重ねた。

 吹き付けるのではなく、ムストーグを中心として渦を巻くように。

 視界を奪いたい。


「じゃかましいわ!」


 切り裂いた。

 唸る氷雪を、大剣の一振りで切り裂き、散らす。

 二つ数えるほどの時間も稼げない。



 思った以上に強い。

 わかってはいた。英雄というのがどれほどの強さなのか、ソーシャが戦った姿を見ていたルゥナは知っていたはず。

 けれど自分が戦ってみて初めて感じるものもある。どれだけの力の差があるのか。

 メメトハと共に戦っていることと、悔しいが相手に加減されていて何とかなっているだけだ。


 さらに下がりながら魔法を紡ぐ。



「冷厳たる大地より、渡れ永劫の白霜」


 最初に使った永刹の氷獄の魔法より下位に当たる魔法。

 集中を多少散らしつつでも使えることと、効果範囲を広くすることが可能だったから選択した。



終宵しゅうしょう脊梁せきりょうより、分かて無窮の耀線ようせん


 ムストーグが煩わしい氷にわずかに気取られた刹那に、メメトハが唱えた。

 無限に続く朝夜の隙間に、稜線を切るように走る一筋の光。

 色のない光が、メメトハの杖から白刃を作りムストーグに斬りつけた。


「むぉっ!?」


 速い。

 メメトハの一閃ももちろん速いのだが、光刃が杖から遥か長くに伸びた為に、先端部分の速度が異常に早かった。


 受けようとしたムストーグだが、光刃は剣で受けることは出来ない。

 大剣を擦り抜けてその体を鋭く切り裂く。



「ぐぅ……小癪な真似を」

「切れんのか!」


 ムストーグの体を薙いだはずの光刃だが、それをまともに受けたはずなのに切り裂くことができない。

 傷はついているが、浅い。致命傷ではない。



「ぬしら程度の魔法などでは!」

「なんと!?」


 完全に捉えた一撃を耐えられるとは思わなかったのだろう。メメトハの対応が一歩遅れる。

 爆ぜるように泥を巻き上げて迫ったムストーグの拳が、メメトハが盾にした杖ごと彼女の体に叩きつけられた。


「ぶばっ」


 自分の杖を腹にめり込ませて吹き飛ばされるメメトハ。



「メメトハ! 極光の斑列より、はし――」

「遅いわ!」


 追撃するのだと思った。

 吹き飛ばしたメメトハに止めを刺させまいと、迂闊に詠唱を唱えようとしたルゥナだったが、逆だ。


 メメトハを殴り飛ばして、今度は逆にルゥナに向けて敵の視線が突き刺さる。

 仕掛けようと構えたルゥナに。



「死ねい!」


 豪傑ムストーグの剣が、爆発的な踏み込みと共に突き立てられた。



 猛烈な勢いで飛び、大剣の切っ先をルゥナの中心に向けて。躱すことも適わぬ速度で。


「――っ」


 ルゥナの腹を貫く大剣。

 そのまま泥の中に突き立てられ。



「んじゃ、と――?」


 通り抜けて。



「墓穴ですよ、あなたの」




 少しでも、視覚と聴覚を誤魔化したかった。

 砕かれた氷も、巻き上げた凍嵐も、煩わしい氷霜も。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。数える程度の隙間でいい。

 泥の中に隠れたトワが作り出した幻影と差し代わる程度の。


 トワが潜むこの場所に呼び込むだけの距離を稼いで。



 そこに、英雄を踏み込ませればよかったのだから。



「のぶぁ!」


 深く、底知れぬ。泥沼に。



 ルゥナの幻影が膝下程度までしか沈んでいなかった為に、足場があると思っていたのだろう。

 泥の下に氷の板を張っていたことに気付かず、思い切り踏み込んだ。


 泥が多く混じっているとはいえ、凍らせた部分は透明度が高くなってしまう。

 普通なら気が付いたかもしれないが、最初に足元を凍らせた魔法があった。その後も氷雪系の魔法を重ねている。

 霜の白さなどにも紛れて、罠の氷部分が偽装される。


 トワが作り出した幻影のルゥナに向かい、凄まじい勢いで踏み込んだ。だから砕けた。


 溜腑峠一帯に広がる沼地は決して平坦ではない。場所により深かったり浅かったり。所により突然に底無しのような場所も。


 急に深くなっている場所を探して罠を張った。極端に深くなったそこに、氷で作った筒状の空気穴を用意してトワを潜ませていて。



 霜を渡らせ、正確な位置を確認しての誘導。

 冬の間にユウラから教わった歌声の魔法も活用して、幻影から声が出ているように偽装しつつ。


 さらにトワが、流れを操作する魔法で引き摺り込む。トワはこういうことが得意なようで、普段も敵の足元をぬかるませるような魔法を習得していた。



 戦力的に劣るのはわかっていたこと。

 氷乙女を倒したほどの戦士を倒すとなれば、ルゥナ達の力だけでは足りない。

 だから様々な偽装を重ねた。


 泥を固めて壁とする偽装も、沼の深さの偽装も、幻影や音声も。

 この溜腑峠という薄霧と泥土の環境で、出来る限りの偽りを使って戦う準備を。



「泥というのは」


 泥塗れで起き上がったトワ。

 その視線の先で、ぶるん、ぶるん、と表面を激しく揺らす泥の水面がある。泥の場合も水面というのか、ルゥナは知らないが。


「もがいても、もがいても。うまく力が伝わらないんですよ」


 砕けた氷の下深くに突っ込んでしまった人間。英雄ムストーグ・キュスタ。

 凄まじい豪腕と強靭な体躯の持ち主。

 だがそれでも、取っ掛かりのない沼の中で腕を振っても、うまく力が伝わらない。


 猛烈な勢いで飛び込んでしまった為に、上も下もわかっていないだろう。下手に動いてさらに沈んでいるのかもしれない。


 もがいても抜け出せない泥沼。

 そこに沈んだ人間に、冷ややかに言葉をかけるトワ。



「お前を沼に沈めて、それから砦の人間を皆殺しにする。その順番ですよ」


 泥塗れなのに美しいと思ってしまうのは、ルゥナの贔屓目だろうか。

 少し離れた所で、腹を押さえながら立ち上がるメメトハの姿を見つけた。


「う、ぶっべっ……」


 泥を吐き棄てている。ダメージは大きいが、とりあえず無事のようだ。



「冷厳たる大地より、奔れ永刹の氷獄」


 さらに上から蓋をする。

 氷獄の蓋を。


 二度とこの人間が地上に現れないように、堅く封をしておいた。

 生き物は、呼吸が出来なければ大した時間もなく死ぬ。それは英雄でも勇者でも同じことだ。


 強固な氷の蓋。

 あれにどれだけの力があっても関係がない。沼の中からこれを砕こうとしても、叩いた反動で下に沈むだけ。


 片付けた。難敵を。


 戦いが終わったわけではない。息を吐いていい状況ではない。

 だがそれでも、最大の敵のひとつと目していた相手を倒せたことに感情が動くのも事実だ。


 高揚というよりは、安堵。

 誰も失わずに済んだ。



「やりましたね、ルゥナ様」

「ありがとう、トワ」


 少しくらいは気が安らいでしまうのは許してほしい。

 トワは、そんなルゥナを許すように微笑んでくれていた。



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