第三幕 013話 百万の首_2
ジスランを目掛けて女が跳んだ。
先ほどよりも速い。ぬかるんだ足元でよくもそれだけの動きをと感心するが、ジスランには見えている。
上から見るジスランの方が見やすい。実力でもジスランの方が上回っているのだから何も問題はない。
凄まじい剣撃を、飛竜ウイブラの爪で迎撃した。
爪にも専用の装具があり、英雄の一撃を受けても問題ない強度だ。
女の一撃は熟練の勇者のそれに匹敵するが、ウイブラもまた単騎で勇者に匹敵するだけの魔物。
そこに英雄ジスランが騎乗すれば、その戦闘能力は大陸全土を見渡しても最強となる。
女を叩き返しながら、背後から迫った白い魔物に乗った別の戦士を迎え撃つ。
こちらもかなりの強さで、やはり勇者に届くレベルではないだろうか。魔物込みでの話だが。
さすがにジスランの態勢が不十分で捉えきれない。だが力では圧倒的にジスランが強い。
大薙刀を振るうそれを思い切り弾き返したが、ぬるっとしたような感触が残った。
白い魔物は、強度や速度ではウイブラに劣るものの、敏捷さや柔軟性では上のようだ。
クッションのように衝撃を緩和する。空中に浮いた綿を殴るような感覚。
「一人ずつだ」
先ほど叩き返した女戦士を仕留めることに集中する。あれが一番の強さで、どうやらリーダー的な存在らしい。
弾かれた先に突き出した小さな岩の中ほどにへばりつく女戦士。
ほぼ絶壁の岩壁に足を着き、そこから再度ジスランへと飛びかかろうと睨むが。
「甘い!」
ウイブラの手綱を強く引く。飛竜の羽ばたきは、騎乗するものを振り落とすほど強く、攻城弓すら追い抜くほどの速さで女のいる岩場に突き刺さる。
「っ!」
ジスランの槍が、女の腹を突いた。
かろうじて剣で横に逸らしたものの、腹の皮を抉り、その後ろにあった岩山を粉砕する。
「はぁっ!」
まともではない。
掠っただけでも吹き飛ばされるほどの力だったし、彼女の後ろにあった岩場はジスランの一撃で砕け散っている。
勇者並の力を有しているとはいえ、ジスランの一撃を受けてなお、その痛みを無視して反撃してくるとは。
「痛覚がないのか!?」
槍の軌道を変えた剣を今度は横薙ぎに、ジスランでもウイブラでも、どちらでも切れればいいと。
「だがそれも!」
見えている。
手綱を離し、両足で体を固定しながら左の手甲でその剣を払いのけた。
「ぐぅっ!」
再び女を叩き落とすと、彼女の体は大きく飛沫を上げて泥沼に沈んだ。
これで、と。
流れる視界の中に、ジスランの一撃で砕けた岩の残骸が降り注ぐ。
砕けて降る瓦礫と、沼から突き出た別の岩が視界を流れて、その向こうから真っ直ぐにジスランを狙う射手が――
「いけ!」
並の者ではなくとも、この一撃なら倒せただろう。
目の前にいるのが、現在大陸最強のジスランとウイブラの人竜一体でなければ。
魔物の首に巻かれた黒い呪枷は、主の危難を守る為の行動を強いる。
翼を傷めることも厭わぬ挙動で身を捩った飛竜の為に、鋭い氷の矢はジスランの額を掠めていった。
「くっ」
「よくも!」
槍を握る手に力が入った。
ジスランの脳天を狙った射手は、横っ飛びしながらだった。
空中を流れる彼女は姿勢を変えられない。流れながら次の矢をつがえた。
続く二本目を払いのけて、その射手に向けて再びウイブラが羽ばたく。
その氷の矢よりも速い速度で。
泥沼に落ちた女は、体勢が整っていない。
白い魔物に乗った女も、先ほど大きく弾き飛ばした。追い付いてくることはない。
空中を流れる射手はその軌道を変えることもできず、ジスランの槍を受け入れるだけ。
「まず弓手を!」
一瞬だが、影が差した。
ジスランの視界に影が。
運が良かったのだろう。その違和感に気が付けたのは。
先ほど視界を横切った岩山。
その一部が、まさか凍らせた泥の壁だったなどと考えもしなかった。
岩山に偽装したそこに、もう一人の――
「むぅっ!」
「だああぁぁぁ!」
雨のように、両手の槍が数十にも見えるほどの姿でジスランに迫る。
両手に短槍を持った伏兵が、偽装した岩壁から飛び出してきた。
「このぉ!」
「ちぃっ!」
後手になったジスランに襲うそれは、ただ一人の少女で作られる槍衾。
それでも防ぐ。それが出来るからこその英雄だ。
「っ!」
信じられなかった。
ジスランの手甲は非常に強固な煌銀で作られている。
それを砕くような力と、その武器に。
「しかし!」
不意を打たれても、見てしまえば対応できる。
次の左に合わせて弾き返して、体勢の崩れた所に一撃を。
両手槍の少女の攻勢に合わせて、泥に落ちた女も、白い魔物に乗った女も、氷の弓の女も。それぞれがジスランに狙いを定めた。
必殺のタイミングだと。
確かにそうだろう、普通の強敵ならそれでいい。
だがジスランにはウイブラがいる。最強の一対の英雄にはそれでも――
「だぁめ!」
歌声が途切れた。
どこから聞こえていたのかわからない歌声が途切れ、代わりに聞こえた声はまるでジスランのすぐ耳元で。
「っ!?」
いない。
それはそうだ。ジスランの耳元ということならウイブラの背中ということになる。
聞こえたのは声だけ。
「しまっ」
歌声で何かをする魔法使いだったとしたら、声をすぐ耳元に届けるような技もあったのだろう。
誰でも、不意に耳元で声を聞かされたら驚くし反応せざるを得ない。
「ウイブラ、上昇!」
反撃を諦め、一度仕切り直そうと指示した。
ぐいと上に行く力。
それが、引き戻された。
「逃がさないよぉ」
ウイブラの足に一本の縄が絡みついていた。
別の岩山に括り付けられた縄は、どうやらかなりの強度を持っていたらしく簡単に引き千切れない。
「く!」
二手、遅れた。
致命的な二手。
襲ってくる攻撃のどれかは受け止めなければならない。可能な限り傷を少なく、そして敵のうちのどれかは返り討ちに。
ジスランが覚悟を決めたのとほぼ同時に。
「うぉぉぉ!」
「ジスラン様!」
間に合ったと言うべきか。
話していた時間と、この攻防の時間と。
砦を飛び出すジスランが早すぎたのと、ウイブラの速度が速すぎたのと。そのせいで遅れていた飛竜部隊が追い付いた。
襲い来る氷の矢の盾となる者。
泥沼からジスランを斬ろうと構えていた女に突貫する者。
白い魔物に騎乗した大薙刀女と切り結ぶ者。
そして、繋がれた縄を斬る者も。
「済まぬ!」
手傷を負うことを覚悟したジスランだったが、部下の献身により窮地を脱した。
両手槍の少女を槍で薙ぎ払い、切れた縄から逃れて上空へと。
「ううぅ!」
「もうちっとじゃったに!」
危うかった。
ジスランが死ぬことはなくとも、悪ければウイブラが死んでいたかもしれない。
「……何度でも」
泥まみれの女の横に、両断された飛竜と騎士がその身を沼に沈めかけている。
ジスランを慕い、このカナンラダまでついてきてくれた直近の部下。
「私が、甘かったか……」
矢を受けた飛竜も落ちている。騎士の姿は見えない。
話し合いなど考えずに殲滅するべきだったか。
いや、そうしていたら、この不意打ちで深手を負わされていたかもしれない。
部下を失ったが、ジスランもウイブラも大した傷はない。
そして敵の手は晒させた。ジスランを討つ絶好の機会を逃したのだから、もう他に手は残っていないだろう。
肝を冷やしたが、ジスラン健在で飛竜騎士が揃った。
死ぬか、降るか。その二つしか彼女らには残っていない。
「やはり……貴様らは滅びるしかないか。影陋族」
「最初からそうよ」
泥を拭い、毅然と言い放つ女。それでもなお美しい。
「人間を滅ぼすか、清廊族が滅びるか。その二つしかない」
「ならば貴様らの命運は決まったな」
勝利が確定した状況でも手は抜かない。彼女らはジスランの貴重な部下を殺した敵だ。
「死ぬがいい、名も無い女よ!」
溜腑峠に、世の終わりを告げるかのような轟音が鳴り響いた。
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