第三幕 012話 百万の首_1



「悪い話ではない?」


 長い黒髪の女戦士は不思議そうに呟く。

 心の底から不思議そうに。

 まるで言葉の意味を理解していないかのよう。


「そう」


 微笑んだ。

 多くの美女を見てきたジスランでさえ息を飲むほど、その微笑は神々しいまでに美しい。

 月明かりの下の氷像のような美しさ。その頬には泥が撥ねて汚れているにも関わらず。


 冷たく、遠い。

 ジスランは自分が話している相手が人間ではないということを、背筋に走った悪寒で思い出す。



「……違うか?」


 自分の言葉に間違いがあるか、問いかける。

 相手に。

 自分に。


「君らに勝ち目はない。確かに相当な強者ではあるが、私とウイブラを相手にするには不足だ。その上でまだ十騎の飛竜騎士も迫っているのだぞ」


 事実を並べて、心を落ち着かせる。

 飲まれることはない。相手の力量を測れないほど自分は未熟ではない。

 彼女らにまだ仲間がいるにしても、それで状況が覆るわけではないのだから。


「無意味に死ぬこともあるまい。君らの唯一の希望だった氷乙女、だったか。あれは既に落ちた」

「そうね」

「私は他の人間よりも物分かりがいいつもりだ。君ら清廊族の住む北部は侵さないと宣言を出してもいい」


 ジスランが言葉を重ねるごとに、女の顔がより冷たく透き通っていくようで。



「間違っているわ」


 女が首を振った。横に。


「どうしてお前たち人間が清廊族を生かしてやると、そんな許可を?」

「……強者だからだ」

「傲慢ね。人間らしいけれど」


 この女がどれだけ人間のことを知っているのかわからないが、深く吐く。



 歌声は反響してどこからなのかわからない。薄っすらとした霧の中、所々に突き出した岩山の間を。

 おそらくこの歌が、視界の悪い中でもジスランの位置を捉えている理由なのだろう。


 まだ伏兵はいるのだろうが、羽虫がいくら増えたところでジスランの命を奪うまでの脅威ではない。

 それが千や万を超えるのならともかく、清廊族にそこまでの戦力はないはず。



「生かしてやるから、自治を認めてやるから。だから従えと。仮にそうしたとして、永久にそれが続くとお前に言えるの?」

「私の命がある限りは」

「約束できたとしてそんなところね」


 ジスランがいなくなれば、そんな約束が守られる保証もない。

 生きている間でさえ反故にされるかもしれないのに、そんなものに縋れるかと。



「清廊族は百年以上の間、お前たち人間に蹂躙されてきた。母を、子を、友を殺されて。首輪をつけられ家畜より惨い扱いを」

「わかっている」

「いいえ、知っているだけよ。わかっていない」


 知識として知っているだけで、その現実をわかっていない。

 女が首を振る。


「話をしたいと言うのなら、まずお前たちの過去を理解して、償いの姿勢を見せてからだわ」

「どうしろと?」



「百万の首を並べなさい」


 言うに事欠いて、そのような。



「老父の、親の、子の、愛する者の首を。この大地に並べなさい」

「馬鹿な」

「既にそれを上回る愚行を積み重ねてきたお前たちに、言葉を語る資格などない」


 女の顔は、本気だった。

 それですら許すつもりはないと、そんな赤い目でジスランを見据える。


「ならばここで死ぬか?」

「その二つしか道がないと、それがお前の傲慢なのよ」


 ジスランの提案は飲めない。

 道は切り開く、と。



「……その意気は買おう。いずれ私がこのカナンラダの王となった暁には、君のような愚か者がいたことは書き残してやる」

「王様……? ふふっ」


 鼻で笑われた。



 ジスランは、ロッザロンド大陸での政争に嫌気が差して新大陸に来た。

 それは権力を嫌ってではない。

 方々に配慮しなければ言いたいことも言えない息苦しさを嫌ったのだ。


 王として全権を集めた自分であれば、もっと世の中をすっきりさせられる。

 歴史の長いアトレ・ケノス共和国本土では難しいとしても、このカナンラダなら。

 ジスランの血筋と力量があれば、多くを手中にすることが出来るだろう。


 原住民である清廊族には貧しい北部に居留地でも作ってやって、後は他の勢力を潰してしまえばいい。

 脅威は他の人間勢力なのだから、それらを飲み込む。


 実績を作れば、ムストーグを始めとする軍部もジスランに従い甘い汁を吸おうとするだろう。そんな風に。



「ここで死ぬのはお前よ、名も無い王様」

「ならば散れ!」


 力の差がわからず、生きる道筋も見えない。

 蛮族に物を教えるには、結局は力を示すしかないのだろう。



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