第三幕 009話 竜公子ジスラン



 再びウヤルカは、自分の思い上がりを知る。

 上には上がいるものだと、思い知る。


 所々に突起のように突き出す岩山の間を潜りながら、後ろから猛然と追ってくる強烈な迫力に怖れを感じた。



「飛竜っちゅうんは、こんなんか!」


 待ち伏せの場所まで誘導するよう調整するつもりだったが、これでは全力でも追い付かれてしまう。

 ユキリンは敏捷だが、単純なスピードでは飛竜の方が数段上だった。

 見る間にその黒い魔物の姿が大きくなっていく。



「イスフィロセのコロンバ!」


 後ろから声が上がった。


「勇猛さが売りではなかったのか? 名が泣くぞ!」

「知らんのじゃ、あほう!」


 そんな奴の名がどれだけ泣いたところでウヤルカの知ったことではない。



 先ほどの英雄もそうだが、人間の力を侮っていた。これほどの力を有しているとは。

 南部の清廊族が制圧されたのも仕方がない。こんなものが次々に出てくるなど。


 ――歌声が響いた。


 溜腑峠の薄っすらと広がる霧に中に歌声が聞こえた。



「うん?」


 僅かに、追ってくる速度が緩んだ。

 当然だろう。こんな場所で聞こえる歌など不審でしかない。


 警戒を見せた飛竜に目掛けて、放たれた。

 握り拳ほどの大きさの石が、猛烈な勢いで。

 ただの石礫だが、その速度で当たれば岩山でも貫通する。飛竜とてただでは済まない。


 だが、歌声を耳にした飛竜騎士は警戒していた。下に何かいるのではないかと。

 普通なら見ていても反応すら出来なさそうなその石弾を、手にしていた大槍で打ち払う。


「伏兵か!」


 続けて放たれる石弾も、飛行する飛竜を正確に捉える軌道で迫る。それを躱し、打ち払う。



「この程度では!」

「そうね」


 次に飛んできたのは石弾ではなかった。

 黒い髪とマフラーを靡かせて、一陣の黒い風のように。


「それも!」


 金属同士が衝突する音と共に、飛竜騎士が浮いた。

 跳び上がったものの下に叩き落とされるアヴィの姿と、その一撃を受けて飛翔していた方向から押し戻される飛竜と騎士。


「くぅっ」

「なんと、強い!」


 アヴィの一撃を受けてなお、感想を言える程度には余裕があった。

 一方のアヴィは、飛竜騎士を瞳に映したまま泥沼に向けて落ちていく。


「――そこよ」

「凍貫け、皎冽」


 凍てついた鋭い牙が放たれる。

 アヴィがいた場所とは別方向から飛竜騎士の位置を違えず、貫く。



「っ!」

「おっしゃ!」


 大きく揺らぐ人間の姿。その肩に氷の矢が突き刺さったのをウヤルカが確認する。

 続けて放たれる第二、第三の矢。

 どこから矢を放っているのか飛竜からは見えない。にも拘わらず射手はそれを見ているかのように。



「中々やるな」


 肩を撃たれたというのに、男の声音には焦りは感じられなかった。

 涼し気に、楽し気に。そんな雰囲気で呟くと、くいっと飛竜を持ち上げて矢を躱す。


 持ち上げて?


 目を疑うウヤルカだが、まさにそんな風に、空中で巨大な飛竜の体を片手で持ち上げ、反対の肩に突き刺さっていた氷の矢を咥えて抜いた。

 飛竜と人間の位置関係が入れ替わったせいで、氷の矢は空を切る。



「普通の矢など通さぬのだが、良い弓で良い腕だ」


 先ほどのアヴィの攻撃を受けた時と同じように、慌てた様子もなく、まるで子弟の鍛錬を評するように呟いた。



「この地形で、私だけならよもやということもあったな」


 やや落下しかけたところで再び騎乗すると、ばんっと弾かれたように消える。

 消えたような速度で、瞬く間に上空に飛び上がっていた。



「ウイブラがいるのが君らの不幸だ」

「ユキリン!」


 一瞬で上に行ったかと思えば、その次の瞬間にはウヤルカの目の前に迫る。

 反応出来たのは、直前に別の英雄の剣閃を目にしていたから。同等の速度でも、二度目なら多少は慣れる。


 ユキリンの背を蹴り、ウヤルカと離れた間を槍が抜けていった。

 だが飛竜の巨体は細身のユキリンを弾き飛ばし、浮いたウヤルカは帰る場所がない。


「っ!」

「そうくるか!」


 宙に浮きながら叩きつけた鉤薙刀だが、籠手で受けられ払われる。

 そのおかげでウヤルカは飛竜の飛ぶ方向とは逆に弾かれ、距離が離れた。


「あそこから反撃とは、やはり」

「涼しい顔しくさって」


 くるっと、飛竜が向きを変えた。

 ウヤルカの方にではない。

 ぬかるむ地面に落ちたアヴィに向かって。


「まずは一人」


 飛竜の羽ばたき一つで、先ほどアヴィの放った石弾と同じほどの速度だった。

 巨体を、風を切る速度でアヴィに叩きつける。鋭い槍を先頭に。



「ふ!」

「なにっ!?」


 一瞬で、沼にいたアヴィの姿が消えた。


 泥の中でそれほどの動きをするとは思わなかったのだろう。

 足場が悪い。

 だというのに、ステップで瞬く間に位置を変えるなど出来る者かと。


 ただ動いたというだけでもない。この強者を相手にわずかでも見失わせるほどの速度となれば、驚くべき瞬発力だ。



 とはいえ、やはり大きく動くことは出来ていなかった。

 槍の穂先から消え、数歩程度の場所。そこで構えた剣は、迫る飛竜の首を落とそうと一閃される。


「させん!」

「ちっ!」


 剣と槍が音を立てたところは、ほぼ互角だった。

 だが、飛竜騎士には飛竜がいる。

 剣を止められたアヴィの体を、飛竜の体が巨大な質量で跳ね飛ばした。


「ぐぅっ」

「む」


 苦悶の声を上げるアヴィを助けようと、再び氷の矢が降り注いだ。

 それを打ち砕き、少し上昇して態勢を整え直す飛竜騎士。



 ウヤルカは落下する前にユキリンに拾われた。先ほど飛竜とぶつかったダメージは、うまく体をいなして最小限に留めたらしい。


 強い。

 強すぎる。

 飛竜騎士というものが楽な相手だと思っていたわけではないが、想像以上だった。



「……君らは、強いな」


 上から言われた。

 構図的にも、状況的にも。相手にはまだ余裕がある。


「……」

「君ら相手ならいいだろう」


 飛竜騎士の口上など聞きたいわけではないが、今の攻防の後で迂闊に仕掛けることは出来なかった。

 アヴィは口元を拭い、ウヤルカは額の汗を拭う。

 潜んでいるニーレもまた、どこかで冷や汗を浮かべているのではないか。



「私はアトレ・ケノス共和国の飛竜騎士ジスラン」

「……」

「君たちはイスフィロセの兵士ではない。影陋族……失礼、君らは清廊族と呼ぶのだったな」


 何の話を始めるつもりか知らないが、少しでも呼吸を整えたい。



「私は、君たち清廊族と講和の考えがある」


 何を言い出すのか。

 アヴィの眉がぴくり痙攣し、ウヤルカの唇が疑念に歪む。

 圧倒的な強さを見せる飛竜騎士、ジスランと名乗った。それが、清廊族と講和を考えているなどと。


「……何のつもり?」

「悪い話ではないと思うのだが。こうしている間にも私の仲間も近付いている」


 溜腑峠の霧の中、砦の方角から別の飛竜の影が見えてきた。

 こんな連中がさらに増えるなど。



「君らが生きるのに悪い話ではないと思う」


 提案をしようと。この状況で、清廊族とこの飛竜騎士の間で。


「私は、清廊族の北部自治を認めるつもりだ」


 だから、と。

 生かしてやるから、だから。



「手を組まないか?」


 その選択肢は、生きるか、死ぬか。

 二択だと、ジスランの表情が物語っていた。



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