第三幕 010話 戦いに臨む者は皆_1
「ずいぶんと騒がしい砦じゃのう」
少し離れた場所に見える砦からの喚声。
それに対するメメトハの感想は、少々呑気すぎるのではないだろうか。
「貴様ら影陋族にはわからんか。あの小規模の砦だけで二千の兵がおる」
馬鹿にするように鼻を鳴らして、その二千という数が大したものでもないと告げられた。
清廊族の感覚からすれば、普通の集落五つ以上が集まったような数。それも老若男女も合わせての話。
兵士だけでそれだけの数がいて、それでいて小規模。
「あの町の敗残兵か知らんが、貴様らのいう氷乙女とやらを取り戻しにきたという所じゃな」
「氷乙女が……いるのですか?」
人間の言葉に、声が震えた。
ルゥナの顔を見て、皺の刻まれた男の顔が醜く歪む。
「おお、ぬしらにも会わせてやるわい」
厭らしい嗤い顔。
卑俗な欲望を剥き出しに、涎でも垂らしそうな口元で。
「大英雄ムストーグ・キュスタ。この儂の奴隷としてな」
「……」
氷乙女が、この男の奴隷に。
唇を噛むルゥナと、反対に顔から表情が消えるメメトハ。
「あれは普通の女とちごうて簡単には壊れん。おぬしらもそのようじゃな」
「下衆が」
片刃の曲刀を抜いた。
昨夏にクジャを襲った人間の男が使っていた曲刀。
切れ味も鋭いが何より折れないことが良い。敵の武器だが、奪ってしまえばこちらの道具だ。使うことに躊躇いもない。
「なんじゃ、魔法使いではなかったか」
「人間を殺す手段なら千でも用意します」
嗤われた。
大声で、腹から嗤う。
多少の力を持っている小娘が粋がって、と。
このムストーグから見ればそういうことなのだろう。
「がははは、生意気な小娘が。それが泣いて儂に許しを請う姿が見られるというのは、実にそそるのぅ」
「お前なぞに好きにはさせません」
「ルゥナ、熱くなりすぎじゃ」
囚われているのはオルガーラなのかティアッテなのか。どんな目に遭わされているのか。
考えたらつい頭に血が上ってしまったルゥナに、メメトハが声を掛ける。
「生きておるのじゃ。なら、助けられる。わかるな」
「……ええ、メメトハ」
言う通りだ。今は囚われた清廊族のことよりも、目の前の強敵に集中しなければ。
この男を倒せば、助けられる。
「ふん、影陋族というのはどこまでも愚かじゃな」
今度は、心から呆れたような声を吐いた。
「ありもせぬ望みを持ちおって……他にどれだけ仲間がおるか知らんが、砦には二千の兵がいるといったじゃろうが」
「……」
「儂一人どうにかすればなどと、そんな短慮ゆえに滅びるんじゃ。まあ儂が奴隷として生かしてやるがの」
欲望に目を濁らせた人間に短慮だと言われるのも不愉快だが。
実際、希望的な観測で多くの清廊族が敗れたことも事実なので、否定は出来ない。
気持ちだけでは勝てない。
「なにより」
ムストーグという男の姿が、大きくなったような気がした。
その存在感が。
「この儂をどうにかするというのが、まずもって無理な話。その上に数でも劣っているようではな」
勝ち目など最初からないのだと。
稚児に言い聞かせるように、ものの道理を説く。
数に劣り、力に劣り。その上で思慮も浅いのでは。
「……騒がしい砦じゃのう」
再び、メメトハが呟いた。
呑気な感想のように。
「……?」
さすがにこのタイミングで、奇妙なことをと感じたらしい。
英雄ムストーグの視線が、溜腑峠の霧の向こうに薄っすらと見える砦に向けられた。
やや離れた場所から聞こえる喚声。
それは、湧き立つ声というよりは、危急を知らせるような響きで。
「愚か者はおのれじゃ、人間。何の策もなく仕掛けると思うたか」
「小生意気な……」
砦から立つのは、白い霧ではなく、火の手から上がる黒煙だった。
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