第三幕 008話 霧中の初陣_2



 左右から大地を凍らせる魔法を放った。ムストーグの足を止める為に。

 強力な魔法を使う複数の伏兵の存在に、ムストーグが唸る。


「影陋族、じゃと?」


 氷雪系の魔法は、人間よりも清廊族の方が得意だというのは周知の事実だった。


「あの小娘も……影陋族か!」

「知ったところで、死にゆくお前には関係ないことです」

「そうじゃの」


 左右から聞こえた女の声に、ムストーグの眉が上がる。

 ウヤルカは既に飛び去っている。

 砦からは、ムストーグだけが飛び出してきた形で後続がいない。

 英雄をおびき出して、尚且つ沼地に氷漬けにした状況。



「メメトハ!」

「わかっておるわ」


 そこに姿を現したのは、ルゥナとメメトハだった。


谿峡けいきょう境間きょうかんより、咬薙かじなげ亡空の哭風」

「谿峡の境間より、咬薙げ亡空の哭風」


 再び、同じ魔法を使った。極めて殺傷能力の高い魔法を左右から。

 油断などしない。敵は英雄級の力を持つ人間で、絶好の機会に最大の攻撃を。

 人間側の最大戦力を討つ好機を見逃すほどルゥナは愚かではない。



 この位置に落ちてくれたのは幸いだった。

 ウヤルカの逃走ルートはある程度は決めていたが、敵の追手がどう動くのかわからない。

 いくらかの地点に待ち伏せとして配置していた。その中でもルゥナが思う最も良い位置取りで最大の敵が来てくれた。僥倖だ。


 強敵が相手であればまず足を止める。メメトハと打ち合わせていたこともうまく嵌まって。

 その上での必殺の魔法。いかに英雄とはいえ――



「ぬるいわ!」


 手順に間違いなどない。

 ルゥナの取った行動にも、メメトハの魔法も、最善の手だったはず。

 想定外だったのは、ウヤルカの誤算と同様に。

 この英雄の力が、想像を大きく超えていたこと。英雄の力を測りかねたことが間違い。


 対象を擂り潰す凶悪な圧縮空気の塊を、右手の剣と、左腕で薙ぎ払うなど。

 可能なのかどうかと共に、そんな行動をすると想像していなかった。


「なっ……」

「ぐぅぅっ」


 痛みで顔を歪めながらも、ムストーグもまたそれが最善の手だとして躊躇なく行った。

 裂傷と、破壊の力で指を数本あらぬ方向にひしゃげさせても構わず。

 左右から襲う凶悪な魔法を強引に打ち破った。



「……ば、化け物め」


 クジャでも、そんな魔物がいたとルゥナも聞いている。

 異様な回復力と強靭さを備えた魔物。人間とロックモールの混じりもの。

 だが、それは魔物だからの話だ。


 人間や清廊族なら、というかまともな生き物なら、自分の身が傷つくのを平気で判断することなど出来ない。

 動きを奪われた状態で、左右から同時に襲う魔法に対して、自分の身のいくらかを犠牲にする最善の手で対処するなど。



「なめた、真似を……しくさって」

「メメトハ、もう一度!」


 下半身は凍らせているのだ。ならば何度でも撃てばいい。この人間が死ぬまで。

 呼吸を整えようとしたルゥナたちの目の前で、希望が砕かれた。


「小娘どもがぁ!」


 折れた指をそのまま、血塗れの腕をそのままに。凍った泥沼に叩きつけた。



 砕かれる、氷の戒め。

 それとてルゥナとメメトハが全力を込めて作り上げたものだったのに。


「悪戯が過ぎたようじゃな、影陋族が」

「……」


 じゃくりと、砕けた氷を踏み鳴らす人間。

 右に、左に。

 ルゥナとメメトハを見て、鼻を鳴らす。


。手足を圧し折って可愛がってやろうぞ」



 美しい娘だと、思われたのだろう。

 その目の濁りに肌が怖気だつ。歯を噛み締めていなければ震えてしまいそうだ。

 ルゥナとメメトハだけでは倒しきれないかもしれない。けれど、別の場所にいる他の仲間が来てくれれば。



「ふん……」


 釣られて、空を見てしまった。

 砦の上空から、矢のように迫る黒い影を。不快そうに呻いた人間に釣られて見た空に、その存在を確認する。


 飛竜に乗った戦士が、既に影も僅かにしか見えないウヤルカの飛び去った方角に向けて、凄まじい速度で飛んでいく。



「飛竜、騎士……」

「他にいくら仲間がいるのか知らぬが、貴様らに勝ち目などなさそうじゃな」


 最初に飛び去った者よりは遅れて、続けて飛竜が飛んでくるのが見えた。


「まあ儂は、貴様らで我慢してやるとしよう」


 舐め回すような視線に、吐き気を覚える。

 腕を損壊しているのにこの男は、その状態でもメメトハとルゥナを相手に十分な勝算があるのだ。

 攻撃を受け、その上で言っている。欲望の捌け口にちょうどいい、と。


 飛竜が飛び立った砦からは、尚も多くの声が上がっている。

 その数がルゥナ達よりもずっと多いことだけは、離れた場所でも嫌というほど伝わってきた。



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