第二幕 052話 黒華の騎士と鉄面皮_2



 数刻もしないうちに、クロエは見立てが甘かったと臍を噛む。


 強い。

 幾人かの手練れと、二人の異常な強さの敵がいる。


 敵の指揮官は、ダロスとクロエの人馬一体の攻撃を受け止め、反撃さえしてきた。

 正直、クロエだけではとても敵わなかった。ダロスという相棒がいてようやく拮抗する強敵。


 そしてもう一人。



「あははは! いいぞぉ、もっとだ!」


 襲い来る魔物の波の中、狂ったように暴れまわる男。

 連携して魔物の襲撃を食い止める騎士団とは明らかに別の、単騎で戦う異常な強者。冒険者のようだ。

 数十の魔物に囲まれ、それらを次々と薙ぎ払っていく。



「捕虜となるのなら相応の扱い約束しよう」

「黙りなさい!」


 ダロスの滑空と共に振り抜く剣。

 勢いも凄まじいが、予測不能な軌道を描く。


 ダロスはただ滑空するのではなく、敵の直前でその身がブレるように分かれた。

 今は、クロエが逆立ちする形で剣を振り、直前でそれを見極めた敵がその刃を弾く。


「くっ」


 直前で軌道が瞬時に変化する為、いかにこの男が凄腕でも万全な体勢で受けられるわけではない。

 ダロスの重量も加えたクロエの剣閃は重く、体勢が崩れたら反撃までには及ばない。


 クロエには、ダロスの動きがイメージで伝わってくる。

 曲芸じみた挙動だが、クロエとダロスの戦い方は一体の魔物のごとく乱れがない。


 エトセン騎士団もまた見事なもので、多数の魔物の群れの中でもお互いを助け合い防ぎつつ対応していた。

 中々攻勢には出られないものの、彼らが耐えている間に突出した異様な冒険者が魔物を減らしていく。


 決め手を欠いているのは、クロエの方だ。

 互いに消耗していったとしても、このまま長引けば。



「仕方があるまい」


 男が、剣を抜いた。

 今までも抜いていたが、それを右手一本に持ち、左手に別のショートソードを。

 ショートソードというのにもまだ短い。少し歪んだようなダガーと、最初から使っていた直剣。



「二刀……」


 クロエが動揺する番だった。

 噂に聞いたことがある。エトセン騎士団で二刀持ちを得意とする戦士の名を。


「ボルド・ガドラン……っ!」

「指揮官が目立つものではないのだがな」


 持論なのか、大して面白くもなさそうにそう呟いて。

 低く構える姿は、騎士団長というよりも獲物を狙うハンターのようだった。



 ダロスは魔物だ。敵の気配に敏感で不思議はない。

 身を引いたダロスだが、ボルド・ガドランの動きはそれを上回る。

 先ほどまでとレベルが違う動きに、反応が遅れた。


「BUEE!」

「くぁっ!」


 初撃を受けられたのは距離を置いていたからだ。

 続く斬撃を躱しきれず、クロエはダロスを蹴り飛ばした。


 人馬が離れ、その間をボルドの剣戟が抜ける。

 落ちたクロエは地面に膝を着き、ダロスは空を旋回した。

 中間に降り立ち、再び低く構えるボルド。


「今のを避けるとは、良い判断だ」


 部下にほしいな、などと嘯く。


「ふざ、け……」


 手が痺れている。

 最初の一撃は左手の短いダガーの方だったが、重かった。



 強い。

 エトセン騎士団の団長の名は伊達ではない。腕に残る衝撃に文字通り痛感させられる。


 良い判断だったと評されたが、違う。

 判断を間違えた。


 この男がボルド・ガドランだとわかった時点で、即座に逃げるべきだった。その時にはまだダロスに騎乗していたのだから、飛んで逃げればよかったのに。


 地に落ちてしまっては、再び騎乗する暇は与えてくれないだろう。

 ここでクロエが捕えられたら、どうなるのか。


 拷問や、他の手段を用いて、マルセナのことを聞き出されてしまう。

 いかにマルセナが強大な力を持っていても、エトセン騎士団やその増援などにトゴールトを攻められたら、今は対抗しきれない。

 情報を敵に渡すべきではなかった。


 全てクロエの判断ミス。

 この上、生きて虜囚になど――




「むっ!」


 クロエが自決する覚悟を決め、それをボルドが阻止しようとした瞬間だったのだと思う。

 短く息を吐き、ボルドが飛びずさった。


「ほう……ほうほ、う。当たらぬ、か……」

「……何者だ」


 ボルドの頭があった場所を通り過ぎたのは、煤けかけたような灰色の杖。

 それを振るった者は、いつからそこにいたのか、霧が湧いたように黒い澱んだ外套に身を包んでいる。


「ひ、ひゃ……なに、なにがしかと……ひゃ、ひゃ」


 呪術師ガヌーザ。

 問われたが名乗るつもりはないのか。問われたことが面白かったのか。嗤う。


「この娘、は……必要、ゆえ。馬がため……」


 助けに来てくれるならマルセナが良かったけれど、このような薄気味の悪い男よりも。

 だが贅沢を言える立場ではない。



「う、うわぁぁっ!」


 取り乱した声が、奮戦していたエトセン騎士団の精鋭から上がる。


「……」


 ガヌーザから意識を逸らさず、ちらりとそちらを確認するボルド。

 部下たちの間から、赤く煮えるような粘液状のものが噴き出して二人ほど飲み込んでいた。


 見る間に溶けて、また次へと。

 焼け爛れながら骨になっていく仲間の姿に、歴戦の戦士たちも恐怖を抑えきれない。

 それまで耐えて来た魔物の攻勢にも、その隙間から崩れていく。



「退く! 全員撤退だ!」


 ボルドの判断は素早かった。

 即座に部下に指示を出して、そしてダガーを振るう。


 がん、と。

 重い音を響かせて、上から襲ってきたダロスの鋼の蹄鉄を打ち返した。


「シフィーク! 撤退の援護をしろ!」

「ううぁぁぁぁっ!?」


 魔物の中で暴れていた男が、その命令に不服だというように大きく唸った。

 だが、不満そうな声とは裏腹に、即座に猛烈な速度でガヌーザに切りかかる。


「ひゃっ」


 驚きの声なのか嗤い声なのかわからないが、ガヌーザはその剣を煤けた灰色の杖で受け止めた。

 ただそれだけの攻防で、凄まじい衝撃波が生じてクロエにたたらを踏ませる。



「うぁ?」


 戸惑いの息を漏らすシフィークとやら。受けられるとは思わなかったのだろう。


「おそろ、し……や、ひひゃっ」


 実際に、ボルドの剣閃を超える凄まじい一撃だったが、ガヌーザはそれを受け止めて嗤った。


「ひひゃ、まさに……経験、は大事よ、な……」


 過去にこのレベルの相手と戦ったことがあるのか、それが活きたことが可笑しかったのか。


 枯れ枝のような腕で、煤けた杖で、衝撃波を伴う剛剣を受け止めて嗤う。

 頼もしい一方で恐ろしい。



「じゃまぁ!」



 仕切り直そうと後ろに跳んだシフィークに向けて、ガヌーザは地面を削った。

 杖の下端が地面を削り、どろりとした泥が撥ねてシフィークの顔にかかる。


「女神は禁ず。泥土に棄てし吐露に触れんとする妄畜の姿を。滲漏の涎唾」


 ただの泥。

 かと思ったが、違う。



「う、あ……?」

「理性なき獣、なれば」


 踏みしめようとしたシフィークの足は、泥に取られるようにぐにゃりと崩れた。

 ちゃんと大地を踏めないのか、ぬかるみに嵌まったかのようにバランスを崩す。


「女神の吐き棄てた唾にさえ心囚われ足を奪われる、と」


 ガヌーザがすらりと話すのを、クロエは初めて聞いた。



「呪術師か」

「しか、り……」


 もがくシフィークの首根っこをボルドが掴んだ。


「退くぞ!」


 もはや形振りを構う様子はなく、足をもつれさせているシフィークを引き摺って背中を向けた。


 逃げる。

 エトセン騎士団団長ともあろう者が、敵に背を向けて逃げるというのは、そうそう見られる姿ではない。

 負け戦でも、見られないだろう。


 彼にとってこれは戦争ではない。戦場ではなく、ただ居合わせた場所で起きた正体不明の魔物との戦闘なのか。

 今は被害を最小限に逃げることを最優先に、走り去った。

 部下たちも、追ってくる魔物にそれぞれ応戦しながら逃げていく。


 魔物の追撃は止まない。

 クロエも止めるつもりはなかった。集めた魔物が逃げる人間を追って行くだけのこと。

 自分も一緒になって追撃するほど愚かではなかったが。




「助かりました、ガヌーザ殿」

「ひゃ、ひゃ……おもしろ、し……」


 楽しかったから気にするなとでも言うように嗤うガヌーザと、倒したエトセン騎士団を飲み込む赤い粘液。

 その粘液の一部が、少女の姿を形作る。上半身だけ、何も身に着けていないまま。


「主、食べていい?」

「かまわぬ、よ……かまわぬ、な?」

「ええ、構いません」


 半人半魔の少女プリシラ。

 彼女が人間を食らうことを、マルセナは認めている。マルセナが許すのだからクロエに意見はない。



 死体だけではなく、二人ほどまだ息がある者もいた。

 重傷を負い、残されている。

 魔物の群れはプリシラを怖れて彼女を避けていったので、潰されて死んだりしなかったらしい。それが幸運かどうかはわからないが。


「生きている者は尋問したいのですが」

「これは食べちゃダメ?」

「出来れば、ですが」


 プリシラは、上半身だけの人型になっている姿で小首を傾げてから頷いた。


「わかった」


 そう言って、自分の体の一部である赤い粘液を、どういう事情でか腹から血が溢れている戦士に這わせる。


「う……? うぎゃああぁぁっ!」


 悲鳴。

 焼け焦げる臭いが、その悲鳴の理由を教えてくれた。


「血、止めとく」


 出血で死んでしまわぬように、と。



「ありがとうございます、プリシラ」


 気の利く子だ。

 クロエが感謝を言葉にすると、照れたのかぷくりと粘液の中に沈んでいった。



「……ボルド・ガドラン。それと、シフィークでしたか」


 逃げ去っていったエトセン騎士団の精鋭。

 せっかく集めた魔物を壊滅させられ、残ったものも多くがあれらを追っていってしまった。

 マルセナにどう報告したらいいのか。


「……いずれ、この手で殺す」


 もっと強くならなければ。

 空から戻ってきたダロスの顎を撫でながら、また戦う日が来るだろうことを確信しながら誓った。

 マルセナから授けられた剣を握り締めて、そう誓った。



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