第二幕 051話 黒華の騎士と鉄面皮_1



 クロエは自分の境遇に感謝をしている。


 平坦ではない。

 他人から見れば、不幸と言う者もいるだろう。だがクロエは自身の過去と現在に感謝をしている。

 少し前までの自分なら考えられないことだと思うけれど。


 幸せか、そうでないか。それは受け止め方次第だという考え方をするようになった。

 ひもじい時に一切れの食べ物を手にして、それを充分と思うか不足とみるか。

 全てが満たされることなど、人の身ではそうそう享受することが叶わない至福だろう。

 それを追い求めていては、いつまでも幸せなど得ることは出来ない。



 クロエは自らの過去を顧みる。


 恵まれた家に生まれ、多くの人が憧れる翔翼馬に騎乗する権利を得た。

 それは幸運なことに違いない。


 だが、そこにクロエの努力があったのかと問われれば、そうではない。

 与えられた幸運、その蜜をただ啜っていただけ。


 そんな自分が家族を失ったことは、悲しいことではあるけれど、自らの努力不足と言われれば完全に否定はできない。

 甘ったれたクロエには、自分の大事なものを守る力がなかった。



 だというのに、幸運は尽きなかった。果てなかった。

 仕えるべき本当の主に出会えた。


 美しく、強く、愛おしい。

 愛おしくて、愛おしい。



 時にクロエが震えるほどに恐ろしい顔を見せることさえ、無性に嬉しいのだ。

 敬愛するマルセナに踏み敷かれることも、その命令を受けられることも。


 必要とされるのは、クロエ個人のことではなく、天翔騎士としての姿なのかもしれない。

 それでも必要としてもらえることを喜ぶ。



 クロエは己の過去にも現在にも、深い感謝を抱いていた。

 未来がある。

 マルセナと共に在る未来は、どれほど血塗られていようともクロエにとっては花道だ。


 港町マステスを落としたこと。その際に民間人をいくらか……数え切れぬほど殺したことに擦り傷のような痛みは感じても、恥じるところはないと思えた。



 幸せだ。

 女神に仕え、あまつさえその身に触れ己が身を焦がす熱情を擦り合わせることなど、誰が叶えることが出来ただろうか。


 歴史上、誰もいない。

 おそらく伝説の統一帝でさえ得られなかっただろう悦楽を、幸せと言わずになんと言うか。



 舌と鼻孔に残る甘い匂いを思い出して、また下腹にむず痒い熱が灯る。

 けれど、今はそういう場合ではない。

 クロエの股にあるのは黒い翔翼馬ダロスの鞍であって、女神の指や足ではない。


 ここは戦場。

 酔うのなら甘美な芳香ではなく、血と痛みに。嘆きと狂気に。

 敵の血をもってして、女神に笑顔を賜ろう。

 そう考えれば収穫に似たもの。



 クロエには知識がある。

 トゴールトの軍人の家で育ったクロエには、その集団の出で立ちがルラバダール王国エトセン騎士団の精鋭であることがわかった。


 山から溢れた魔物への対応の為に出ていたクロエが、敵国の軍を見つけてどうするべきか。


 敵国とは言っても、それはコクスウェル連合から見ての話で、トゴールトは既にマルセナのものだ。コクスウェル連合からは離反している。


 そのようなこと、相手にはわからぬだろう。

 今日、ここで敵対するかどうかは別としても、味方ではない。

 マルセナがこの世界の神として在る以上、いずれ戦いは避けられないはず。



(大人しく従うのなら良いのですけど)


 クロエとて最初は反発した。今となっては愚かなことだったと思う。

 ルラバダール王国はロッザロンド最大勢力であり、エトセン騎士団もこのカナンラダでは最大の武力を持つ。戦いもせずに降るなど有り得ない。

 今見えている集団の人数はそれほど多くはないが。



 溢れた魔物への対応。二通りだ。

 角を持つ翔翼馬であるダロスと、イリアが騎乗するディニには、魔物を従える能力があるらしい。

 恭順する魔物は戦力として加える。


 どういう理屈かわからないが従わない魔物もいる。それらは討伐して、糧としてきた。

 従う魔物どももまた、倒した魔物を食らっているので飢えてはいない。



 クロエは、自分がわずかな間にかなり強くなった実感がある。

 マルセナの剣として戦う為には力が必要だ。いつまでもイリアに一番の下僕のような顔はさせておけない。


 漆黒の翔翼馬ダロスもまた、クロエ以上にこの短期間で強くなっている。

 白い魔石を糧として。


 マルセナや、マルセナと通じたイリア、クロエらが人間を殺すと、人間からも魔石が生まれる。

 過去に聞いたことがない話だが、女神マルセナの力だとすれば何があろうと納得だ。


 その白い魔石は、魔物にとって糧としやすい性質があるらしい。

 ダロスもディニも、ガヌーザの下働きをしているプリシラという少女も、白い魔石により力を増していた。


 千を超える魔物の群れと、ダロスに騎乗するクロエ。

 この戦力なら、百程度の軍を蹴散らすことも可能ではないか。

 エトセン騎士団だというのなら弱くはないだろうが、それもまたダロスには良い餌になる。




「下賤な侵略者ども!」


 クロエは叫んだ。

 高らかに剣――マルセナから賜った名剣――を掲げて、ダロスと共に上空から。


「ルラバダールの者と見るが、何の故あって我が君の所領に足を踏み入れるか!」


 言ってみたかった。我が君、とか。

 敬愛するマルセナを思い浮かべながら、主君の支配すべき大地を侵す愚か者どもを見下ろして。



「……トゴールトの天翔騎士と見受ける」


 エトセン騎士団は歴戦の戦士が揃うと言うが、それでも動揺は隠せない。

 魔物の軍勢を率い、威風堂々とした漆黒の翔翼馬に騎乗するクロエを見て。

 余計な動きを見せないのはさすが最強を自負する集団だが、あまりに微動だにしないのは緊張しているからだろう。


 進み出て応じた男は一行の責任者なのか。驚いてはいても、動じた様子はなかった。

 声を大きく張り上げるわけではないのに、低く響いてクロエの耳にも届く。



「ここはトゴールト勢力下ではないかと思うが」


 ひどく落ち着いた声で、愚かなことを。


 男の言葉は、間違ってはいない。

 ルラバダール王国所領のレカンと、トゴールトの中間地点。どちらの土地ということもない緩衝地帯。


「この地は……いえ、この世界は、全て我が主のものです。弁えなさい」


 無知であることは仕方がないとはいえ、つい呆れた声で応じてしまった。


 どうせ説明してもわからぬだろう。マルセナがここにいれば知ることも出来たかもしれないけれど。

 残念ながらマルセナは反対方面に向かってしまった。イリアと共に。それがまたクロエを攻撃的な気持ちにさせている所もある。



「大きく出たものだ。主と言うのは……コクスウェルに国王はいなかったはずだが」

「お前がそれを知る必要はない。大人しく去るか、武器を捨て従うか。あるいは……」


 掲げた剣を、男に向ける。


「死ぬか、です」


 クロエが指し示した切っ先を見て、ぴくりと男の表情が動いた。

 それまで無表情を取り繕っていた男が、わずかばかりに感情を見せる。


「……力づくで、聞かせてもらう必要があるか」

「愚かな」




「出来ればその女は殺すな!」


 動揺はあったものの、戦うと指示があればそこに迷いはない。

 指揮官の指示に従って戦闘態勢になるエトセン騎士団。


「殺し、食らいなさい!」


 クロエの命が、ダロスを通じて魔物の群れに伝わった。

 一斉に解き放たれた魔物の群れが、大波のように大地を駆けて戦士どもに牙を剥く。


 女神マルセナに勝利を捧げることが出来るのなら、魔物の命などどれほど使っても構わなかった。



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