第二幕 053話 英雄の嫌疑_1
「っと、わりぃな」
急いでいたせいで路地からふらりと出て来た男にぶつかってしまい、詫びの言葉を漏らす。
言ってから浮浪者だったと気が付くが、だからと言って詫びない理由にはならない。希薄な気配にビムベルクが気付くのが遅れた。
浮浪者の方は、あぁ、とも、うぅともつかない声で呻いて、古びた包帯を巻いた手でうるさそうに払う。鬱陶しい、と。
「これでなんか食ってくれや」
小銭をその手に握らせる。その下の肌は乾ききっているような感触だった。包帯と同じく古い傷なのだろう。
詫びということもあるが、別に思うところもある。
この浮浪者はおそらく冒険者の成れの果て。
ビムベルクとて、運が悪ければ似たような境遇になっていたのかもしれない。
道角でぶつかっただけだが、そのまま放置するには後味が悪いと思った。
相手の返事は聞かずに足早にその場を去る。焦っていたし、急いでいた。
先日、エトセン周辺に溢れてきた魔物の群れを片付け、ボルドもいないということで気を抜いていたというのに。
詰所から駆けて来たツァリセの報告に耳を疑う。
ボルド麾下の精鋭が十数人死亡。ボルド・ガドランも負傷したという。
すぐに騎士団本部へと言われ、言われるまでもなく飛び出した。
ビムベルクにとって団長ボルドは、苦手ではあるが嫌いな相手ではない。
ボルドの指揮下だから窮屈な勤め人をやっている、という気持ちさえある。
単純な戦闘力だけならビムベルクが上でも、その人柄は信頼に値するし、母国ルラバダールの支えとしては他にない人物だと思っていた。
剣の腕でも決して侮れる相手ではない。それが部下を死なせ、己も負傷するなど考えもしなかった。
魔物の掃討作戦なのだから、命を落とす者もいてもおかしくない。
だが、連れて行った少数精鋭の部下の一割から二割を失い、指揮官まで負傷して戻るなど。敗走に等しい。
それほどの魔物が現れたというのか。
身支度もろくにせず飛び出したビムベルクに、スーリリャが後からツァリセと共に行くと言っていた。
だらしない恰好のまま騎士団本部に行けば、またボルドから小言があるかもしれない。
着替えをする時間さえ惜しんだビムベルクは、意外と自分の肝も小さいと自嘲した。
共に戦った仲間の死はもちろん初めてではないが、慣れるものでもない。
ボルドもまた、鉄面皮の下で自責しているだろう。そう思うとゆっくりしていられなかっただけだ。
※ ※ ※
「ああ、執務室だ?」
ボルドの居場所を入り口で聞いて呆れる。
怪我をして戻った時まで仕事が優先とは、ボルドらしいとも言えるが。
「いったい何があったって……」
団長の執務室に、ノックもせずに乗り込むビムベルク。
いつものことで――いや、いつもならあまり入ろうとしないが、礼節を欠くのはいつものことだ。
無作法なビムベルクの入室に、待ち構えていたような鉄面皮と同僚たち。
「あー……なんだぁ?」
ボルドを中心に、左右にチャナタ、チューザと、他の主要な騎士団幹部の顔が並ぶ。
待ち構えていたよう、ではない。待っていたのだ。
ビムベルクの到着を待っていた。雁首揃えて。
ボルドの執務室は、狭いわけではないが不必要に広いわけでもない。
十人近い人間が入室すれば窮屈に感じる。かといって最後に来たビムベルクが引いたのでは、雰囲気にビビったようで面白くない。
ふてぶてしい態度で部屋に入り、後ろ手でドアを閉めた。
「元気そうじゃねえか。すぐ来いって言う割にゃ」
負傷したと聞いたが、顔色は悪くないしどこかを痛めているようにも見えない。
ここに来るまでに他の団員の嘆き声を聞いていたので、犠牲者が出たのは嘘ではないだろうが、ボルドの負傷は大した話ではなさそうだ。
「呼び出したのは、お前に用があったからだ」
ビムベルクを呼びつけて、その間に幹部を揃えて待っている。
碌な用件ではなさそうだ。
「……厄介な魔物か?」
ボルドの手に負えないレベルの魔物が現れ、全員で向かわねばならない。そういうことか。
怠けるのが好きなビムベルクだが、怠けていてもいい状況だからそれを甘受しているだけのこと。
いざ手強い魔物が現れ町を脅かすというのであれば、その戦いに向かうことに後ろ向きなところはない。血が騒ぐという部分もある。
「いや……いや、そうだな。厄介な魔物だ」
「ぁん?」
ボルドの歯切れが悪い。
否定なのか肯定なのか。実際に何かいたのは事実だと見えるが。
「問題は、それを使役していた者だ」
「使役……」
ビムベルクの記憶に思い当たるものがあった。
これだけの警戒を必要とする事態となってしまったのだとすれば、やはり。
「壱角、か」
あの時、ビムベルクが果たせなかったツケがここで。
壱角の娘が、あの千年級の魔物に匹敵するような何かを従えて牙を剥いてきたのか。
この短期間で、という疑問もある。しかしこの近日の異常な魔物の発生の原因もそこにあるとすれば、辻褄は合う。
山脈中の魔物を動かせるような力を持つ魔物を使役している、ということになれば。
とてつもない脅威。カナンラダ大陸に生きる人間全てにとっての。
「俺の手落ちだな」
「……そういう見方もあるが、聞きたいのは別のことだ」
ボルドの声に疲れが見えるのは、やはり怪我のせいだろうか。
傷は癒したのだとしても、深い傷はかなりの体力を奪う。一日二日で回復するようなものではない。
「……ん?」
いつの間にか、ビムベルクの斜め後ろ両脇に騎士団幹部が控えていた。
壱角のことで考え込んでしまって、その動きに気付かなかった。
騎士団本部ということで警戒もしていない。ここは戦場でもないのだから。
「ビムベルク、お前を拘束する」
「……なん、だと?」
言われた意味を理解する前に、両腕を同僚に取られた。
「抵抗は、だめ……ですよ」
ビムベルクの腕を取る者とは別に、チャナタが杖を片手に諭すように囁く。
「本当に、反逆になって、しまう……ので」
「反逆……俺が、馬鹿じゃねえかお前ら。何を」
「あー、黙ってろってバカベルク。ちぃと状況がお前に不利なんだよ」
不利な状況。
確かに、ビムベルクには劣るとはいえ確かな実力の同僚に腕を取られ、チューザとチャナタが杖を構える状況。
下手なことをすれば命がないことくらいわかる。
「あの壱角の娘のことなら、確かに俺がぬかった。だけどな、それが……」
「壱角の影陋族というものは見ていない。見たのは角を持つ異常個体の翔翼馬だ」
やはり壱角の魔物が絡んでいる。
「そして、それに騎乗していた者が」
ボルドはそこで一度溜息を吐いた。
本当に珍しく、部下の前で疲れ切ったような溜息を。
鉄面皮と揶揄されるように、この騎士団長が自身の負の感情を隠し切れないことなど滅多になかった。
意図的に示すのではなく、漏れ出す感情。
肩がわずかに上がって、ビムベルクの腰の辺りを指差す。
着の身着のままできたので、そこには何もない。武器も携行していないビムベルクの腰に。
「影剣ブラスヘレヴを持つトゴールトの天翔騎士が、魔物を率いていた」
※ ※ ※
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます