第二幕 032話 死地に謡う



 町の中に戦いの音と悲鳴が響く。

 町の外でも、戦いが終わる気配がない。


「ニーレちゃん! もう矢がない!」

「くっ」


 倒れた清廊族の戦士が持っていた矢筒。ユウラが拾ってきた。

 それも見当たる限りこれが最後だ。


 幸いだったことを挙げるとすれば、空を飛ぶ魔物が少なかったこと。

 群れの中には飛行する種類の魔物が少なく、空からの襲撃は避けられている。

 だが地上では、周囲の山々から集まってきたのか、数えきれないほどの魔物の姿が。

 大地を埋め尽くすというわけではないが、次から次へと。


 倒れていく清廊族の戦士。

 長老の男も、先ほど倒れた。

 最期の魔法でかなりの数の魔物を一掃してくれたが、まだ。


 気持ちが、折れる。

 清廊族の戦士たちの心が、弱くなっていくのがわかる。

 ユウラにはその様子が、目に映る光景とは別に、心に感じる温度のような何かで見えた。



 終わりの見えない襲撃の中、仲間が倒れていく。

 それは絶望を呼ぶ。

 心を暗く深い方へと引き摺り、力を奪う。



「このままじゃ……」


 ユウラには、力が足りない。

 アヴィたちのような戦力にはなれないし、ニーレのように広く援護をすることも。

 せめてニーレの身を守ろうと、近くにいるだけ。


 それだけでは、守れない。

 この暗い絶望の波は、このままだとクジャを飲み込む。

 ユウラとニーレと、他の仲間たちも共に。


「私に、何か……」



  ※   ※   ※ 



「ウヤルカ避けて!」

「だわぁっ」


 ルゥナの声に反応して、ウヤルカが四つ足のような不格好な様で逃げた。


 場所そのものを切り裂くような剣閃が過ぎ去り、空気と共に周囲の大木を断つ。

 斜めに真っ直ぐな切り口は、布でも断つかのように鋭い。


 叫ばなければ、ウヤルカの体が両断されていただろう。

 技も、力も、並外れている。



「カチナ並の剣……何者ですか、あの男は」


 パニケヤの声が苦々しい。


「春先に戦った時には、あのような力はなかったはずです」


 半年も経たぬというのに、人間の成長速度というのはこれほどなのか。

 成長というのなら、ルゥナ達の成長度合いも負けてはいないけれど。


 背筋のぴんと伸びた姿勢は、研ぎ澄まされた剣のようだ。

 立ち姿そのものは、初めて見た時もそうだった。人間の上流階級に属する何者かだろう。



「勇者、という者ですか」

「……あるいは、それ以上かと」


 アヴィと戦った時よりも遥かに強い。

 あの時でさえ、力では圧倒されながらも、アヴィの剣を何度か受け流していた。

 その技量には目を見張るものがある。


「勇者……ははっ、それはまた、この年になって面白い」


 本当に楽しそうに、キフータスが笑う。

 口を歪めて、楽しそうに。



 近くにいた魔物を片付けたエシュメノが、槍を振って血を弾き飛ばす。

 トワも何匹か仕留めて、その手は赤い血で濡れていた。

 濡れて、美しい。


 信じられないと思ったのも本当だが、理解できると思う部分もある。

 トワを求めてというのなら、確かに。

 今まで誰も成し得なかった道でも進もうと、そう決意しても不思議はない。

 その欲望で、勇者の域まで駆け上がったとでも言うのか。



 キフータスは、剣を持たぬ自分の左手を見つめて、愉快そうに体を揺らした。


「素晴らしいですな、ガヌーザ殿」


 手首から、服装と噛み合わない風情の赤い腕輪が見えた。



「……あの、呪術師」


 アヴィの力を封じた忌まわしい呪術師。

 あの男なら、何か普通ではない方法で人間の力を増すことが可能かもしれない。


「この力があれば、確かに。私が勇者、英雄と肩を並べ……いや」


 陶酔するように、目が濁る。


「統一帝以来の極み。の位にさえ手が届く……は、ははっはははっ!」


 言いながら、自らの言葉に飲みこまれるように。



「トワよ、今ならお前を傷つけずに迎えてやれますが。お前の仲間も共に、下僕としても良い」

「ふざけて――」

「黙りなさい、人間」


 トワよりもルゥナの声が大きかった。


「お前など、トワに指一本触れさせません」


 剣を捨て、魔術杖を構える。


「それはホバンの……」


 見覚えがあったのだろう魔術杖を気にしたのは一瞬だけだった。


 パニケヤは強い。おそらく彼女は氷乙女に匹敵する実力者だ。

 ただ、真白き清廊からここまでの戦いでかなり消耗している様子。戦いぶりを見て思ったが、本来は剣より魔法が得意なのだと思う。


 体力の問題か、ただ杖を失っただけか。今は剣を手に戦っているけれど。

 それでもルゥナよりも強いことはわかる。


 そのパニケヤと切り結びながら、ウヤルカたちにも対応できる人間。

 剣の腕ではルゥナより数段上で、腕力でも倍以上の差を感じる。

 魔法に集中した方がこの場では役に立てるだろう。



「影陋族とは本当に愚かな種族ですな」


 心底呆れたというように表情を消すキフータス。


「支配者たる私に対して、従属すべき己の立場を弁えぬとは」


 上か、下か。

 勝手に決めたその決まりを知れと、虚誕を放言する。

 聞くに堪えない。



「先ほども言いました。世迷言なら冥府で言えと」


 少し間を取ったのは、パニケヤの息を整える為だった。

 老齢のパニケヤは、表には出さないようにしているが、限界の体力で戦っている。

 近くに立つとそれがわかった。


 反対に、この人間は妙に力に溢れている。

 一体、どういうことなのか。


「世迷言かどうか、私のこの力を見てから後悔するといい」


 ぞわりと、寒気がした。

 キフータスの目が、金色に染まっていた。

 白目が、金色に。

 中心が黒の。


「……黒爪鷲くろづめわし?」


 羽ばたくように、人間の肩が盛り上がった。

 有り得ないことだが、まるで太いふくらはぎの筋肉のように、首から肩の辺りが蠢く。


「ご存じですかな」


 そういえば、町を襲った魔物も、人間と魔物の混合のような奇怪な生き物だった。



「まじり、もの……」

「猛禽の目は人間よりも遥かに優れ、それの羽ばたく力は人の筋力とは比べ物にならぬ、と」


 忌まわしい呪術師がこの男に与えた力は……


「大空の王たる力を得たこのキフータスの力を、よく見るがいいでしょう」


 襲い来るその速さは、かつて見た英雄のそれと変わらぬほどの速度と力強さを兼ね備えていた。

 ニアミカルムの伝説に謡われる、空の王。鷹鴟梟おうしきょうのような。



  ※   ※   ※ 



 轟音と共に、山側で大きな土煙が上がった。

 木々が薙ぎ倒され、そこらにいた魔物も共に大きく弾き飛ばされている。


「な、んだ?」


 ニーレの声は震えていた。

 この状況で、さらに何か大きな脅威が現れて。


(怖いんだ、ニーレちゃん)


 気丈な姉御肌のニーレの唇が色を失っている。

 薄い桃色の唇が白く。



「皆、下がりなさい!」

「ふぁははっ!」


 叫んだのは誰だったのか、爆発と共に吹き飛ばされるように飛んできた老女とルゥナのどちらか。

 その後ろから、人間の形をした見たことのない魔物が追ってくる。



「これが私の力です!」


 大きく振りかぶった剣が、叩きつけられる。

 ルゥナに向けられたそれを、老女が打ち払った。


「ぐ、うっ!」


 軌道を変えた剣が地面を打つと、大きな亀裂を走らせた。


「ふむぅ」


 もう一度、振り下ろされた剣を、今度は逆に打ち払う老女。

 あれが大長老パニケヤなのか。


 左右の大地に、深い亀裂が入り、大地を揺らす。


「いつぞやの逆ですなぁ!」

「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」

「はははっ!」


 嗤いながら、ルゥナの放った猛吹雪を、左手で煽ぐように空へと撥ね退けた。

 羽虫でも払うかのように。


「この程度では私に――」

「極光の斑列より、鳴れ星振の響叉!」


 キィンと、耳鳴りのような音が貫き、人間の魔物の体がぎゅるっと振動した。


「ぐ、むぅ……」

「はあっ!」


 動きの止まったそこを老女の剣が閃くが、それより先に後ろに跳んだ。


「くっ」

「ふはぁ、なるほど。そうでなくては面白く――」


 余裕を見せようとしたその背中に、紫色の短槍が突き刺さる。



 ――刺さらなかった。


 見えていたはずはないが、ひらりとエシュメノの突進を躱す。


「惜しい所でしたが」


 躱しながら、エシュメノを蹴り飛ばした。

 猛烈な勢いで吹き飛ぶエシュメノだったが、


「うぐぅっ!」

「むっ!?」


 反対の手の黒い短槍の切っ先が、蹴り飛ばした足に傷を残している。


「手癖の悪い奴め」


 傷を負い、怒りの表情でエシュメノを追撃しようとしたその頭上から、


「甘い!」


 打ち下ろされた薙刀を、不十分な姿勢から左手で払う。

 薙刀の、柄を。


「っ!?」

「甘いんはおんしじゃけぇ!」


 柄尻を払われたウヤルカだったが、大きく払われた薙刀の勢いをそのまま、遠心力をつけて下段から薙ぎ払った。


「むぅっ!」


 距離を取った人間の魔物だったが、その胸に逆袈裟に刃が掠めた。

 リーチの長い薙刀だったから届いた。



 一連の攻防に、ニーレもユウラも目を奪われる。

 ルゥナ達の連携攻撃も見事だが、この魔物。

 他の魔物とは比べ物にならないほどの力を持ち、尚且つ喋っていた。


「せ、んねん……」


 千年級の魔物。

 そう思わせるだけの存在に、ニーレの言葉は途絶えた。

 震えもない。

 いつも凛々しい表情が、感情を失くして硬まってしまう。



「ニーレちゃん!」

「あ、ああ……」


 ユウラの声に、か細く答えるニーレだが。

 もう矢も尽きた。

 心も、尽きようとしている。


「……確かに、見事なものですが」


 流暢に喋るのを見てわかった。

 魔物ではない。人間の男だと。

 人間がいるなどと考えていなかったユウラたちは魔物だと思い込んでしまったが。


「……無駄な抵抗を。それを愉しむのも一興ですかな」


 胸の血を拭う。

 拭われたその下には、傷がない。

 傷が癒えている。このわずかな時で。


「なんて……」

「このキフータスの力は既に女神にすら届きましょう。このような抵抗、幼子の駄々に過ぎぬこと」


 見ていた清廊族の戦士たちが、力を失う。

 大長老が、ルゥナたちが浴びせた一太刀が、なんの痛痒にもならない。

 そんな化け物が現れて、気持ちが途絶えた。


 ニーレもまた、弓を下ろした。

 もう矢もないけれど、握り締めていた弓を、力なく。



「……っ!」


 違う。


 違う、これは違う。

 あの男は確かに強敵で、状況はひどく悪いけれど。

 ここで終わりだなんてことはない。


 まだ出来ることはある。

 ユウラに出来ることが、まだユウラがやっていないことがあるはず。

 だから。



「我が里の上、星の寝床と。謡えば明けに月上げて。白じむ空に歌うたう」


 謡う。


「雪の帽子と帰る風。伸びる影もいつや戻ろう。我はいつなりここで待つ」



 何でもないような、故郷の唄を。

 幼い頃に、牧場に囚われていた同胞から教わったそれを。


 その同胞も、過去に誰かから教わったのだろう唄。

 揺るがぬニアミカルムの山々を謡った歌だと思う。



 ――ユウラの歌を聞くと元気になる。


 ニーレが言ってくれた。

 トワも言っていた。


 先ほど、ルゥナの魔法は空気を貫き、耳に届いた。

 なら、ユウラの歌声を、皆の耳に届けられないかと。


 折れてしまった心を癒したい。

 絶望に飲まれてしまう意識を掬い上げたい。


 懐かしい唄は、その力になれないだろうか。



  ※   ※   ※ 

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