第二幕 030話 ロドの不運_1
町が騒がしい。
メメトハの耳にも届いていたが、体は反応しなかった。
レニャが死んだ。
幼い頃からメメトハの従者として、時に姉のように共に暮らしていたレニャが死んだ。
リィラは泣くだけ泣いて飛び出していった。
あいつらのせいだ、と。
動けなかった。
メメトハは動けなかった。
リィラの泣き声が責めているのは、どうしても。
(……妾のせいじゃ)
そうとしか聞こえなかったから。
クジャを魔物の群れが襲うなど、過去になかった。
三日三晩続けて襲い来る魔物ども。
真なる清廊の異変と無関係であるはずがない。
動揺したが、メメトハがそれを表に出すことは許されない。
クジャを守る氷乙女として、誰よりも勇敢に戦わなければならない。
動揺を悟られたくなくて、あの連中と距離を置いた。
自分の力ならこの程度の魔物に遅れを取ることはない。
そう思っていたが、数が多すぎた。
余裕がなくなり、付き従う他の仲間のことまで考えられなくなった。
気が付いたら孤立していて、メメトハを守る為にリィラとレニャが負傷した。
助けられた。
嫌っていた、見下していた余所者に。
連中はこの苦境にも冷静で、粘り強く戦える経験があった。
彼女らは短期間で厳しい状況に晒され続けたということで、肉体的な成長だけでなく感覚が危機に研ぎ澄まされている。
慣れた環境で、安全を確保しながら戦ってきたメメトハたちとは違った強さ。
それがこの異常事態に対して発揮されていた。
礼は言わぬ。
礼など言えぬ。
リィラとレニャを紡紗廟まで送り届けた時、連中のリーダーがいた。
丸一日は戦っていたのだから、水や食事の為に下がることもある。
怪我を治癒しようかと言われた時、メメトハは迷った。
レニャは無理をしている。
恥を忍んで連中に頼む……命じてもいいかと、そういう考えも
リィラが、怪我のせいもあっただろうが、感情的に突き放してしまった。
それが妙手ではないことはわかっていても、今さら彼女らに頼るのも不愉快。
不愉快。
だから、なんだと。
つまらぬ意地を張って、見栄を張って。
リィラとレニャに休息するように言って、メメトハはまた戦いに出た。
次に戻ってきた時には、レニャの容態は手の施しようがなく。
――リィラ、メメトハ様を……お願い。
最期に意識があった時の言葉は、やはりそれはメメトハの姉のようで。
大切な家族を、つまらない虚栄心の為に失った。
「全て、妾のせいじゃ……」
本当ならメメトハも、ルゥナたちのせいだと言いたかった。
押し付けたかった。
けれど、わかってしまう。
隣でリィラが彼女らへの恨み言を漏らすたびに、違うと。
その恨み言は、メメトハが聞かなければならないことだと、耳元で聞かされるそれがメメトハを責めた。
リィラが飛び出していってからしばらくして、外から地響きと共に悲鳴が聞こえてくる。
町の中まで魔物が侵入してきたのか。
メメトハがいなくて、戦力が足りないのかもしれない。
「妾が、いなくとも……」
見ていてわかった。
あのアヴィには、メメトハと同等の力がある。
どうもそれだけではない。アヴィには何か力を抑え込まれているような気配も感じた。
病、かもしれない。。
一緒にいる処女もまた相当な強さだ。絆も強い。
彼女らはお互いを助け合い実力以上に力を発揮できる。
よほどの魔物でも現れなければ、彼女らが対処できないことはないだろう。
よほどの魔物。
異常な魔物。
地響きと悲鳴が、町の中に。
「……」
いるのかもしれない。
そんなものがクジャの町の中に。
「……リィラ」
口に出してみて、目が覚めた。
アヴィ達一行は大丈夫かもしれない。
彼女らはお互いを助け合って戦える。
「リィラ!」
メメトハには、まだ守らねばならないものがあった。
レニャと共にメメトハを見守ってきてくれた家族が。
リィラは……リィラが共に戦えるのは、今はメメトハだけしかいない。
だというのに。
「妾は!」
まだ間に合う。
聞こえた悲鳴は、誰の悲鳴だったか。
それとて本当はメメトハが守らなければならないものだったのに。
メメトハが守ってくれると、そう信じていたクジャの住民だったろうに。
愛用の魔術杖を引っ掴んで駆け出す。
レニャは、リィラにメメトハを頼むと言っていた。
情けない。
メメトハに、クジャを、リィラを頼みはしなかったのだ。
「レニャ、済まぬ」
頼りない、情けないメメトハだった。
頼めるわけがない。託せるはずがない。
このような愚か者に何を任せられるのか。
今更かもしれない。
失ってから気付くなど、遅い。
しかし、今動かなければ、レニャが守りたかったものも全て失われてしまう。
聞こえてくる誰かの悲鳴。それはメメトハに助けを求める声。
他の誰でもない。誰よりもメメトハがそれに応えなければならなかったのに。
あちこちで聞こえる悲鳴と衝撃の音。
紡紗廟は町の南寄りに建っているので、山脈側に近い。
町に入り込んでいる大きな魔物がすぐに目に入った。
「天嶮より下れ、零銀なる垂氷」
鋭く尖った氷の杭が、住民を襲おうとしていた
跳ねながらギザギザの歯で獲物に噛みつき食い千切る。
体毛が白く、吹雪の中では見えにくい魔物。
「メメトハ様! ありがとうございます」
「構わぬ。リィラを見たか?」
礼を聞いている暇はない。
リィラもどこかで戦っているはず。
「巨大な魔物を追ってあちらに」
「そうか、わか――」
どがぁぁっと、天が割れるような音と共に建物の屋根が吹き飛んだ。
砕けた建物の破片が辺りに撒き散らされる中、空を跳ねる魔物の巨体と、それを追って跳ぶ女の姿。
美しい。
戦い続けて、返り血や泥で汚れていても、迷わず戦う姿は美しく思う。
汚れたと、そのように蔑んでおきながら、見惚れた。
「あの女に武器を、なんでもいい! 妾もあの魔物を止める!」
アヴィは素手だった。
身一つで巨大な魔物に挑むのを見て、何か武器を用意しろと指示して自分も走り出す。
クジャを守る戦士。
メメトハは見惚れている場合ではない。
自分こそが、そうあるべきだと思い出して、駆けた。
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