第二幕 029話 銀嶺に臨む者



 巨体というのはそれだけで武器になる。


 重量で、相手を圧し潰す。

 その体表を覆う体毛は刃を通しにくく、脂肪も厚い。

 戦法などなく、ただ突進するだけで、それは凶悪な破壊力を発揮した。


 ロォドと名乗る巨大な魔物が跳ねまわり、清廊族を巻き込みながら建物を砕く。



「はあぁっ!」


 アヴィの手刀がその首辺りを打ち、地面へと叩きつけた。


「ぶぁぁっ!」


 地面に落ちたロォド。

 勢いに堪えて四つ足で大地を踏みしめると、再び正面へと駆けだして――


「きゃあぁぁっ!」


 女を巻き込み、家の壁を崩した。


「待ちなさい!」

「いやぁだぁぁぁ!」


 泣き喚き、逃げ出しながらまた通りすがりの誰かが悲鳴を上げて潰される。



「なんて……」

「誰かパニケヤ様を!」


 後ろでは伝令が絶叫に近い声で呼んでいる。

 町を破壊しながら逃げ回る魔物と、大長老パニケヤと。どちらを優先すればいいのか。



「ルゥナ、長老をお願い」

「わかりました。アヴィ、あれをお願いします」


 手分けするしかない。


 高速で移動する異常な魔物。

 あれの始末はアヴィに任せて、ルゥナは大長老に向かう。


「どこですか!」

「山の付近です! 雪鱗舞の戦士も向かいましたが、魔物の数が多く」




 伝令と共に向かう途中には、他の魔物も町に入り込んでいた。

 大長老の救援に突出したところで、先ほどの魔物を先頭になだれ込まれたのだと。


 ただ、あのロォドという魔物は他の魔物とも殺し合っていたというから、やはり何か違う。

 人間と魔物の、混じり物。


 ――混じりもの、か。


 どこかで聞いたような気もするが、今はそれどころではない。

 目に付いた魔物を切り払いながら進む。



「ネネラン!」


 ラッケルタに騎乗するネネランの姿は目立つ。

 ネネランが持つのは、ここ数日倒し続けた魔物の角を括りつけた槍だ。

 有り合わせの武具でよく戦っている。


「エシュメノ様たちが向かいました! ルゥナ様、お願いします!」

「わかりました。ネネラン、ここを頼みます!」


 パニケヤの救出に、ウヤルカやエシュメノが魔物の群れに突っ込んでいるということだろう。

 セサーカやミアデは、ネネランと共に城壁周辺に押し寄せる魔物を相手にしている。


 清廊族の戦士たちもまた、クジャを守ろうと必死だ。

 城壁の上からニーレの放った矢が、セサーカに迫ろうとしていた魔物を貫く。

 そのニーレの傍にはユウラの姿があった。

 お互いを守りながら、どうにか持ちこたえているが。



 状況は厳しい。

 皆の疲労もあれば、武具の損傷も激しい。


 どうにもならないことではあるが、清廊族が得意とする氷雪の魔法は山脈の魔物には効果的ではない。

 元々極寒地で暮らす魔物なのだから当然だが、魔法使いの力が存分に発揮できないことが状況をより厳しくしていた。



「どこに……」


 ユキリンの姿が見えない。空を飛ぶ雪鱗舞が一番見つけやすいはずだが。

 襲ってくる熊の魔物の目から脳髄を貫き、飛びかかってきた岩狼の喉を蹴り砕いた。

 刃についた血痕を岩狼の体で拭い、次の魔物を。



「長老!」


 どこかで悲鳴が上がった。

 パニケヤか、と見れば、そうではない。


 混戦の中で、カチナと一緒に話をした男の長老が、腹から血を噴き出しているのが見えた。


「くっ!」


 その長老を食らおうとする魔物。


 ルゥナの踏み足が猛烈な土煙を上げた。

 爆発的な踏み込みで飛び、長老に迫った魔物を斬る。



「ぐ、ぶ……」

「すぐ手当を!」


 さらに寄ってくる魔物を斬りながら、下がるように叫ぶが。


「無駄じゃ……おぬしらには、すまなかった……」


 杖にすがりながら、そんな言葉を。


「パニケヤは、あの向こうに……」


 縋っていた杖を、森の方角へ向けた。


「皆を、頼む」


 静かに、重い呟きの後に。



谿峡けいきょう境間きょうげんより、咬薙かじな亡空ぼうくう哭風こくふう



 詠唱を。

 どこにそんな力が残っていたのか。


 違う、残ってなどいなかった。

 最期に使ったのは、命だ。


 長老の示した杖の先から発せられたのは、荒れ乱れた烈風。

 暴力的な重さを持つ空気の塊と、全く空気のない切れ間とが入り混じった風。

 詠唱の通り、その進行方向にあるものをずたずたに、粉々に噛み砕きながら道を開いた。



「……」


 次に見た時には、もうその息はなかった。

 杖と共に、彼の愛したクジャの大地に伏す清廊族の古き戦士の亡骸。


「……わかりました」


 その杖を取る。



「誰か! 偉大な長老をお願いします!」

「……お任せください」


 道を開いた長老の意志を無駄にはしない。

 魔術杖も、長老の物だが借り受ける。

 長老の亡骸を預けて、彼の最後の魔法が作った道を駆けた。




 方向さえわかれば、そちらにウヤルカの姿が視認出来た。

 山から続く森の木々の梢から、ユキリンの白い尾が跳ねるのが見える。

 その方向に向かうと、エシュメノとトワの姿もあった。


「ルゥナ!」


 エシュメノが叫びながら短槍で魔物を貫き、蹴り飛ばす。


「エシュメノ、パニケヤ様は?」

「あれ!」


 木々の間から湧くように溢れる魔物と戦いながら、エシュメノが差した先。

 ウヤルカと共に剣を振るって戦う姿は、まるで老いを感じさせない。

 凛とした姿で、凄まじい剣速で流れるように戦う老女。

 それが大長老パニケヤで間違いないだろうが、しかし――



「人間……あの男は……っ!」


 そのパニケヤの剣を受け流し、後ろから振るわれたウヤルカの薙刀を打ち払う。

 それもまた、初老ながら見事な佇まいの男。

 戦いの場にはやや不釣り合いに思える、黒と白を基調とした服は、飾り気はないものの高級な仕立てに見えた。



「あれは……」


 打ち払われたウヤルカは、かなりの勢いで後ろに飛ばされ、ユキリンに拾われた。

 ウヤルカはルゥナより体格が良く、筋力も相当なもの。

 手にした薙刀の重量も決して軽くはないのに。



「っ」


 パニケヤが距離を取った。

 エシュメノの声を聞き、増援が来たことを察知したのだろう。

 強敵から一端離れて息を整える。


「あの男は危険です、貴女達は周りの魔物を――」


 パニケヤを追う男の目がこちらを見て。


「おお! 探しましたぞ!」


 見知らぬルゥナ達に注意を促そうとしたパニケヤの言葉を、歓喜の声が掻き消した。


「ようやく見つけられましたな。はは、はははっ!」

「貴様は……」


 ルゥナの記憶にある人間。

 顔よりもむしろ、その剣裁きに記憶が。



「トワ!」


 男が呼んだのは、エシュメノの横に立つ銀糸の少女だった。

 愛しい伴侶でも呼ぶかのように、喜びの表情で。



「……馴れ馴れしい」


 吐き捨てる。

 トワの声は凍てつくほど冷たい。


 名を知っていても不思議はない。トワのいた牧場にいた男なのだから。

 それだけにしては、確かに馴れ馴れしすぎる気がするけれど。


「トワよ、このキフータスが迎えに来たのです。お前を!」


 その名は、そういえばそんな風に呼ばれていたか。

 力を奪われる前のアヴィと戦い、圧倒的に劣勢ながら凌いでいた男だ。

 半壊した屋敷で死んだかと思ったが、生き延びていたか。



「虫唾が走ります、汚らしい人間が」

「ふはは、ふはははっ! そんな顔もまた美しいものですが」


 ぎん、と、音を立てるように、真っ直ぐに向けられた男の剣が光を反射した。

 真夏の日差しが、木々の隙間から差し込み、人間の剣をぎらりと光らせる。


「もう逃がさぬ。ゼッテスのいない今、お前は私のものになる」



「パニケヤ様、すみませんが」


 初対面で不躾かもしれないが、パニケヤもこの状況は理解できないだろう。

 目にしているルゥナも、認識は出来ても信じられない。

 まさかニアミカルム山脈を越えて追ってくるとは。


「この人間は、私どもの敵です」

「……共に戦いましょう」


 エシュメノも反対側のウヤルカも、それぞれ武器を構えた。

 ユキリンはウヤルカ周辺に近寄る魔物を牽制している。



「私は……」


 突き付けられたキフータスの切っ先に対して、トワが手にした包丁を真っ直ぐに向けた。

 灰色の瞳も、静かな怒りを湛えて真っ直ぐに。


「トワは、ルゥナ様のものです」

「……」


 ここでそんなことを言わなくても。

 パニケヤは何も言わないが、一瞬だけルゥナに目を走らせた。


「ルゥナ?」

「エシュメノ、気を付けて下さい。あれはアヴィと戦い、生き抜いた人間です」


 あの男を知らないはずのエシュメノに注意を促すと、短槍を握る手に力が込められた。



「ならばトワ、全て私のものとするまで」


 その目は血走り、丁寧な物腰の中にどこか獣のような荒々しさを感じさせる。

 牧場で見た時とは、雰囲気が違う。


「ふざけたことは冥府で言いなさい」


 何がどうであれ、ルゥナの意志は変わらない。


「私たちは、全てを取り戻します。人間に奪われた全てを」

「ふはははっ! 貴女のような影陋族を従えるのは、さぞ気分がいいでしょうな」



 清廊族を従属させようとする人間。

 それこそがルゥナが何よりも優先して殺すべき敵だ。


「人間などに与えるものは死と苦痛だけです!」


 もう他に、清廊族から人間に渡せるものなどない。



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