第二幕 028話 港町に災禍訪れ
ロドという男は、よく言えば純朴、悪く言えば愚鈍な男だっただろう。
その人となりなど呪術師ガヌーザにはどうでもいいことだが。
たまたま、近くにいた。
ゼッテスという男が所有していた牧場で雇われていた男。
崩壊した屋敷に戻ってきた男。
小間使いとしてゼッテス本宅への連絡をして、応援を連れて戻ってきたことが彼の不幸だった。
戻らなければ、歴史に名を刻むことはなくとも、ただ平凡な日々を過ごすことは出来たかもしれない。
ガヌーザに声を掛けなければ。
師から聞いた話を頼りに作り上げてみたものの、使うことはなかった。
使う理由もなかったし、適時もなかった。
制御できるかというのもわからない。
ガヌーザでさえ手を焼く影陋族の女。
それを目の当たりにしたことが、朱環のことを思い出させた。
必要になるかもしれぬ、と。
そこに、ロドが声を掛けた。
――呪術師様。お屋敷から人さ呼んできましただ。
ガヌーザはロドの顔など覚えていなかったが、自分のことを知っているのなら過去に話した相手なのだろうと。
だから、最初の実験台とした。
狂無の朱環は、屑魔石を利用して作る。
魔石の中から稀に発生する、加工も活用も出来ない魔石。
それは、生きて行けば千年を超えるだけの素質を有する魔物が、怨嗟の念を残して死んだ時に生まれる魔石。
そして、影陋族の処女の血。童貞でもいいらしい。
影陋族は、魔神の祝福を受けた人間の成れの果て。魔物との
未だ他と交わらぬその血を介して、魔物の性質と人間のそれを混じり合わせる呪術。
その成果は、今ガヌーザの目に映っていた。
「ひ、ひゃ……おもし、ろし」
赤い粘液に飲み込まれ、絶望の色でガヌーザを見る騎士。
胸から上だけは、まだ空気に触れている。
半透明の粘液の中で、腹から臓物がゆらゆらと泳ぐのが見えた。
痛みを、感じていないのだろう。
柔らかい腹を食い破られ、食われているのに、痛くない。
意識だけははっきりと、自分が食われている事実を認識して。
コクスウェル連合国領の港町マステスで軍官として勤めるバニルという騎士だが、ガヌーザは知らない。
相当な力を有する男で、自分の実験体の餌になっていることしか知らない。
「ばか、な……なぜ、こんな……」
がちがちと歯を震わせながら、途切れ途切れに。
信じられない、と。
食われている自分のことなのか。
崩壊するマステスの町のことだったのか。
マステスの港は、壊滅した。
先頭に立っていたのは、黒い翔翼馬に跨った女騎士。
それが率いる数百を超える野生の翔翼馬。
翔翼馬だけではない。
他にも無数の魔物が群れをなしてマステスを襲った。
城壁は、巨大な炎の蛇のような魔法で砕かれた。
空高くから鞭のように振るわれたそれで、マステスの城壁は破られ、町に魔物がなだれ込んだ。
青天の霹靂というのはこのことだろう。
仮に魔物が襲ってくるとしても、大群を作り町に向かうなど有り得ない。
そんなことをするのは普通は人間で、人間がそういうことをする場合には準備が必要だ。
前触れもなく突然に、など。
バニルにはわかっている。
黒い翔翼馬に跨っていたのは、トゴールトの天翔騎士クロエだと。
この襲撃がトゴールトから
だが、有り得ない。
トゴールトの視察に行ったバニルには、あの町にまともな戦力が残っていないことを見ている。
戦う準備など出来るはずがない、と。
一人二人の話ではないのだから。
まともな戦力、ではない。
魔物をまとめ上げて戦力として町にぶつけるなど、歴史上誰にも成し得た記録がない。
出来るとすれば、それは――
「主、食べてもいい?」
「ひゃ、ひゃ……かまわぬ、が……まだそやつ、は……理解しておらぬ、ぞ……」
赤い粘液から浮かび上がる少女の上半身に、ガヌーザは枯れ枝のような指で男を差して見せた。
「この町の人間、みな、が……われらに食われ、ておると……知らぬ」
町のあちこちから聞こえる悲鳴、泣き声、呻き声。
襲い来る魔物に食われる者たち。
また、翔翼馬で空を駆ける戦士により命を落としていく者も。
「民間人、まで……」
魔物にとっては、軍人も民間人も区別はない。
食える場所にある食い物というだけ。
「な、ぜ……」
結局、絶命するまでバニルは理解できなかった。
目に映る光景を、現実だと認識することないままその目から光が失われた。
「食らえば、ちから、となる……だから、よ」
バニルの死骸も、他の住民も。
マステスの港町は滅び、そこにあった命は糧となった。
数万の命が、全て。
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