第二幕 027話 傷つき、傷つけて_2


「リィラ!」


 呼びかけたのは他の清廊族の戦士。

 ルゥナの目が覚めたのは、その大声が警告のように響いたからだ。

 他の誰かではなく、ルゥナたちに向けて。


「……何か、ありましたか?」


 目を覚ましたルゥナ達の目の前に立つ女。

 メメトハの従者のうちの片割れ。


 赤く腫れた瞼を見れば、何があったのかは察せられる。



「レニャが死んだ」

「……」

「お前たちのせいで、レニャが」

「やめるんだ、リィラ!」


 一昨日の最初の大波で、彼女らは負傷していた。

 メメトハの従者として共に戦う姿はかなりのものだったが、手に負えないほどの魔物の群れに手傷を負った。


 ルゥナ達の支援が遅かったのには理由がある。

 主であるメメトハがルゥナ達を嫌い、離れていたから。

 孤立したメメトハ達に退路を作ったのはルゥナ達だったのだが。


「……彼女の方が、傷は浅かったと思いましたが」


 誰がどんな傷を負ったのかなど、この三日間で覚えきれない。

 ただ、今ルゥナを責めるこのリィラの方が重傷で、死んだレニャという女の方が軽傷だったような記憶がある。


 治癒しようかと申し出たアヴィを拒絶したのは、このリィラだったはず。

 アヴィの手など借りない。治癒ならレニャが出来ると。


「私を治癒した後、高熱を出して……お前たちのせいで」

「リィラ! いい加減にしろ!」


 清廊族の男が、ルゥナを睨みつけて恨み言をぶつけるリィラを叱責するが、その瞳の怒りは消えない。



「……傷口から毒が入った」


 襲い来る中には見たこともない魔物の姿もあった。

 病毒と言われるようなものを持つ魔物がいたとしても不思議はない。


「体力を失い、毒に抗えなかったのよ」

「空々しいことを……お前たちがあの魔物を呼んだのでしょう!」


 淡々としたアヴィに、リィラの語気がさらに強まる。


「リィラ、そんな馬鹿なことを……」

「こいつらが来た途端に魔物が押し寄せた。このクジャに魔物の群れなんて今までなかったのに!」


 大声で喚くリィラに、他の者たちも何の騒ぎかと関心を向けてくる。



「そうだわ。こいつらが魔物を……真白き清廊に何かしたに決まっている」

「何をしたと言うのですか? いい加減なことを……」


 ルゥナも立ち上がり、身勝手な言い分を捲し立てるリィラと睨み合った。

 的外れで、不愉快極まりない。


「大体、私たちは真白き清廊の場所すら知らないのに、何を」

「そんなのわからないわ! 実際、お前たちを追うように魔物が襲ってきたのよ」

「なら、私たちが貴女達を守って戦う理由はなんですか。見ていないとは言わせません」


 傷ついているのは彼女らだけではない。

 アヴィだってルゥナだって、仲間たちだって、傷つきながら必死で戦っている。

 近しい友を失くしたことには同情するが、それとてルゥナ達は守ろうとしたのだ。

 こんな言いがかりで文句を言われる筋合いはない。



「……それよ」


 リィラが、ルゥナの首を指差す。


 首の、傷痕を。



「お前は、人間の奴隷だった」

「……」

「人間の手先になって、このクジャを落とそうと……」


 ざわり、と。

 聞いていた者が色めき立つ。


 事情を知っていた者もいるだろうし、知らなかった者もいるだろう。

 だが、人間と接触したルゥナ達が今この場にいるという事実に、空気が澱む。




「馬鹿なのね」


 アヴィが進み出た。


「それなら、守って戦う理由がないわ」


 ここにいる皆は見ている。ルゥナ達が前線に立ってクジャを守ろうと戦っているのを。

 リィラが何を言おうが、多くの者がルゥナ達の戦いに助けられているのも事実だ。


 見てきた事実と、人間の元奴隷という忌まわしい印象が、戸惑いを産む。

 疲労が蓄積した上に住み慣れた町の惨状。

 それらは、戸惑いを悪い方向に誘導し、猜疑心を植え付けた。



「……そねみ、だわ」


 リィラが答えを見つけたように呟く。

 呟いてから、確信を得たように声を上げた。


「自分たちが不幸だったからって、平和を守っている私たちを……クジャに嫉妬した! 幸せな皆にも不幸を味合わせてやろうって!」


 よくもまあ。

 言うに事欠いて、よくもまあそんな卑劣なことを思いつく。

 愚にもつかないことを、真実であるかのように喧伝して、悪意を煽る。


 まさか、とか、そういえば、とか、やはり、だとか。



(こんなものを守る為に、私たちは……)


 拳を握り締めた。

 この女の口を、二度とこんな愚かなことを口にできないように、言葉だけではなく息を吐くことさえ許せない。


 殺す。

 大切な仲間の努力を、卑俗で愚劣な言葉で汚したこの女を、殺す。

 ルゥナの瞳が次に開かれた時が最後だ。



「ルゥナ」


 アヴィが、ルゥナの肩を抱いた。


「……アヴィ、止めないで下さい」

「駄目よ、ルゥナ」


 何が駄目だというのか。

 この女は今、貴女の気持ちを踏み躙り、その献身に唾を吐いた。

 絶対に許さない。

 絶対に。絶対に。



「この女を殺したら、貴女が後悔するから」

「だけど――っ!」

「ルゥナ」


 ぎゅっと抱き寄せられ、首に口づけを。

 今ほどリィラが指さした傷痕に、優しい接吻キスを残す。


「……わからない者には、わからない。でも、貴女が本当に望むことはわかる。つもり」


 それは、ここでこの女を殺すことではない。

 だとしても。



「……アヴィ」

「やるなら、私がやるから」


 ぎら、と。

 鋭さを増したアヴィの目が、リィラに突き刺さった。


 二歩、三歩。

 リィラが後ろに歩を進める。

 後ずさる。


「な、にを……下賤な痴れ者が……」


 言葉だけは、前に出ようとするが。


「……」


 足が震えている。

 膝が笑い、腰が引けて。



 それを見たら、ルゥナの心を焦がした感情が、すうっと冷めていく。

 殺す価値などない。

 仲間を失い、その責任を誰かに求めようとしただけの愚か者だ。

 アヴィの一睨みだけで、その弱さが明らかになる。



「……レニャは、負傷と疲労困憊の中でお前を治癒した。だから死んだのです」

「な……」

「お前がアヴィの治癒を受けていればレニャは死ななかった。レニャを死なせたのはお前です」


 事実を突きつけた。

 殴ることは、殺すことはやめても、リィラの発言は許せない。

 だから仕返しとして、彼女が目を逸らそうとしている現実を突きつけた。


「自分の愚かさを、私たちのせいにしないで下さい」

「……」


 がちがちと、歯が当たる音がやけに大きく響く。

 唇をわななかせて、ぶつけられたルゥナの言葉を理解したくないというかのように首を小刻みに振る。




「……」


 大粒の涙が、両方の瞳から零れ落ちるのを見て、目を伏せる。


 言ってから、後悔した。

 ひどくリィラを傷つけた。


 意趣返しとして言ったのだから、それが目的だったけれど。

 だけど、リィラを傷つけた言葉は、ルゥナの心も傷つける。



 人間の手先だとか、クジャの人々を羨み魔物をけしかけただとか。

 ひどい言われようだった。

 侮辱され、傷ついたのはルゥナも同じなのに。

 なのに、仕返しに使った言葉は事実なのに。


 だのに、なのに。

 気が晴れるどころか、ひどくルゥナの心を苛み、傷を抉る。



「……」


 口に出した言葉は戻らない。

 後悔した。


 ああ、だから。

 だからアヴィは止めたのだ。ルゥナが後悔するだろうと。

 この女の心無い言葉にやり返したら、ルゥナが後悔するだろうと。



「……ごめんなさい」


 ルゥナの謝罪の言葉は、アヴィの耳にだけにしか届かぬほどにか細い。

 わかっていなかった。


 アヴィは最初からルゥナを守ろうとしてくれているのだと、わかっていなかった。

 これ以上ルゥナが傷つかぬようにと、その心遣いがわからなかった。

 この場で最も愚かなのは。アヴィの優しさをふいにしたルゥナに違いない。



 ――だってリィラが私たちを侮辱したんだから。だから言い返したの。


 子供の言い分だ。

 情けなくて、悔しくて。

 泣きたい気分のルゥナだとしても、戦いは待ってくれない。




「山から地響きが――!」


 南門から、続く危難を告げる声が響く。


「大長老です! パニケヤ様の御姿があったと!」


 クジャを襲う事態が、ルゥナの心情に斟酌してくれるはずもなかった。



「パニケヤ様の救援に――」

「逃げて‼」


 アヴィの声が、広場に響いた。

 近くにいたリィラを蹴り飛ばして跳ぶアヴィと、別の清廊族を引っぱりながら跳ぶルゥナ。



 重い音は、体の奥まで響く。


 広場の地面に、焦げ茶色の塊が落ちてきて、大地を割った。

 その音の響きに、頭の芯まで揺らされる。

 くらっとするような振動だが、戦いの中だ。

 すぐに切り替えて、その落ちて来たものを確認した。



「……ロックモール?」


 洞窟などに住む、穴を掘って暮らす魔物。

 その毛皮は刃を通しにくく、地面を掘る爪は半端な金属よりも硬い。そして強靭な筋力を持つ魔物。


 だが、おかしい。

 大きさが、大きすぎる。普通の倍はある。ルゥナの身長の三倍ほどの大きさ。

 空から落ちてきたが、ロックモールは洞窟の魔物だ。空を飛ぶはずがない。


 何より、なぜだか知らないが防具を纏っている。

 腹周りを守るように、金属の防具を、黒い帯で体に巻き付けて。

 魔物がこのような防具を纏うなど、聞いたことがない。


 地面を貫き亀裂を走らせたその爪は、巨大ではあるがやはりロックモールの黒い爪に見える。



「……千年級の?」


 ニアミカルム山脈であれば、そんなものがいてもおかしくないが。


「おぼぁぁぁぁぁぁっ!」


 突き刺した爪をそのままに、地面を掻きむしるように太い腕を振り払った。


「っ!」


 砕かれた大地がつぶてとなって、周囲一帯に降り注ぐ。

 打ち払うアヴィだが、武器がない。

 拳で飛んでくる土塊を打ち払うが、他の清廊族は対処しきれずに身を固めるばかりだ。


「うだぁぁぁぁ!」

「あ、がぁ、っげふ……」


 土礫を受け怯んだ清廊族が一名、貫かれた。

 巨大なロックモールの黒い爪で串刺しに。


 貫いた体を掲げ、滴り落ちる血を口に注ぐ魔物。

 その顔は、魔物ではなく。



「……人間?」


「に……んげ、ん……」


 がぶりと肉を食い千切り咀嚼した。



「にん……おらぁ、ろぉぉどぉぉだあああぁぁ」


 かつてロドと呼ばれたその人間は、清廊族の血肉を啜りながら、己の境遇を嘆くように雄叫びを上げた。



  ※   ※   ※ 

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