第二幕 017話 呪いの首輪
「つまり、白い呪枷……色なしを通しても、やはり元の呪墨に混じる血に近い人間の命令が優先されると」
「左様。元々誤認の為に作られたものでございますからな。正しい主に近しい血の言葉が、より上位となるのです」
自分は何をやっているのだろうか。
気が付いたら、ここで。
耳にすれば怖気が立ち、想像すればひどく陰鬱な気持ちになる呪術師の講釈を聞いている。
ビムベルクはスーリリャを連れて町に出て行った。
暇を持て余したというわけでもないが、どうもツァリセは歩いていると面倒事に巻き込まれやすい体質のようだ。
そういう時期なのかもしれない。悪いことに巡り合わせやすい年齢というか。
ふと通りかかっただけなのに。
少し面識が出来ただけなのに。
余人が近寄ることもないだろう部屋に約束もなしに訪れたツァリセを、呪術師ナドニメは嬉しそうに迎えてくれた。
あまりに嬉しそうに、まるで来るのが当然だったかのように招き入れられ、話を聞いている。
「本来なら隷従の呪術は首に刻むから時間がかかる。先に呪枷を用意することで素早く実行できるようにしたのが、黒い呪枷。魔物を捕らえる為ですね」
「先触れ、と申しまして」
ごりごりと、すり鉢で何かを潰しながら話すナドニメ。
もちろん、その中身のことなど聞かない。
「呪術の至高。究極の秘法。着想は先触れからかと」
「先触れ?」
「先に呪術を使うように、なんと言いますかな……思考の一部を、魔術を使う直前の部分で留めおくことで」
ナドニメの手が止まる。
思考の一部。
右目を瞑り、ゆっくりと歩き出した。
色々なもの――あまり素材を知りたくないような物品――が置かれた卓を回る。
何が始まるのだろうか。
「……?」
ツァリセの視界に影が差す。
暗く、地面から黒い靄が溢れ出すように、影が。
がたっと、椅子を撥ねて立ち上がった。
「っ?」
「と、このように」
ナドニメの右目が開かれた。
その時には、ツァリセの足元を覆っていた黒い靄は消え去っている。
「今のは、周囲の視界を遮る呪術ですが」
「あ、はあ……」
「発動させたわけではないので、どうでしたかな。視野の半分程度が覆われたかと」
確かに、ツァリセの目には足元が見えにくくなっていた。
ナドニメはそのツァリセの態度に頷き、元の場所に戻る。
「先触れ、と申しましてな」
もう一度、その言葉を聞いて、理解した。
「呪術を使う前に、その効果が現れると?」
「効果は半分以下になりますが、そういう解釈でよろしい。集中が難しいもので、他のことをしながらとなると、とても高度な呪術は使えませんぞ」
右目を瞑っていたのは、おそらく思考を分けたからなのだろう。
他の作業をしながら実演するのは難しかったので、ただ歩く動作と、その呪術の先触れだけを同時にやってみせた。
「未熟な呪い士が意図せぬところで発現させることもありましてな。当人が死んだ後に事故のごとく術が起きたりする為、残り香や食べ滓などと呼ばれますな。ただの失敗、外法でありますが」
先触れが呪術の至高と呼ばれる反対に、未熟な失敗は残り香。食べ滓。
予期せぬ呪術の発動など、巻き込まれたくもない失敗に違いない。
呪術の道など知らないツァリセに語りながら、ふとナドニメが思い出したように顔を上げた。こんな話もある、と。
「伝説に謡われる呪術師は、近付くだけで死を撒いたとか」
「……致死の呪術を、先触れで使っていた?」
「私もその域に至らぬゆえ、出来るものかとお尋ねいただいても答えを持ちませぬ」
チャナタたちから聞いた話では、ナドニメは呪術師と呼ばれる中でも相当な腕前なのだと言う。
そもそも、呪術師までになる人間が少ない。
英雄級の人間よりも多いが、勇者よりも少ないと。
呪枷などを作っているのは、それよりも下位の呪い士がほとんどらしい。
その呪い士とて多いわけではないが。
「戦いながら無言で呪術を、とはならないのですね」
「まさに伝説の話かと」
そんなことが出来たら便利だと思うのだが、そこまで便利ではないらしい。
「呪術師の戦法とすれば、今ほどのような呪術を先触れとしておくことで先手を取り、有利に運ぶことでしょうな」
近付いた途端に視界が悪くなる。
それだけでも十分な効果は見込める。
「呪術師と戦うことがあれば、不用意に近付かぬことですぞ」
「それは……そういうの、僕に教えちゃっていいんですか?」
「はて、子弟に物を教えるのは先達の役割でありますからな」
弟子入りしたつもりはないのだが。
しかし、役に立つかどうかはともかく、知らないよりは知っておいて良かった。
「ありがとうございます。ナドニメ殿」
「なんの。気になされることはない」
やっていることは不気味で、不穏な雰囲気は拭えないナドニメだが、その人柄は案外と素直というか何というのか。
ツァリセの印象では、正直ボルド団長よりも好人物になりつつある。
「何しろ、ここに自主的に二度も訪れる方は、チューザ殿とチャナタ殿以外おられませんでな」
「あ、はは……」
笑っていいのか、笑うくらいしか返事のしようがない。
ナドニメは気にした様子もなく、大きく頷いた。
「やはりツァリセ殿は呪術の素質がありますぞ」
「そ、そうです?」
褒められているのだろう。喜んでいいのかどうかわからないが。
「呪枷の制作についてご質問であれば、実践を踏まえて覚えるのがよろしかろう」
実践。
ひくりと、頬の筋肉が反応した。
実践というと、あの悍ましい黒い粉なんだか液体だったかに触れることになる。
「あ、あの……呪枷は、白と黒だけなんですかね?」
誤魔化すように、いや実際に誤魔化すために訊ねてみた。
何を聞いているのか。
他の色など見たことがないのに。
子供の質問のようだ。どうして空は青いのかとか、夕焼けはなぜ赤いのかとか。
「た、たとえば赤いのとか」
「ほうほう、さすが博識でいらっしゃいますな」
褒められた。
が、笑えない。
ツァリセを見るナドニメの目が、ぎょろりと睨むように止まったので。
「どこで、それを?」
「え、あ……」
赤黒く血走ったナドニメの瞳に映るツァリセも、静止する。
蛇に睨まれたらこんな風になるのかと、その瞳に反射する自分がやけに小さくはっきりと見えた。
「……なんとなく、そんなのもあるのかなぁって」
「ふぅむ……どうやらツァリセ殿」
矮小なツァリセを飲み込むように、ナドニメの瞼が閉じられた。
もう一度開かれた時には、また澱んだようなぼんやりとした色に戻っている。
「呪術の才能が、おありのようだ」
よくわからない。わからないが、やはり褒められているようだ。
言葉は出てこなかったが、何となく頷く。
「赤い……
「狂無の?」
「成功したという話は聞きませぬが、これもまた伝説なれば」
適当に口にしただけのことだったのだが、呪術を知るナドニメにとっては思い当たることがあるらしい。
赤い呪枷に相当するものに。
「魔物と人の魂を繋ぐと言われますが、誰もそれを成した呪術師はおりませぬ。絵空事とも」
「はあ……」
「しかしツァリセ殿。知識も技もなくそれを思い描くとは、もしやツァリセ殿こそがその先駆者なのかもしれませんぞ」
やや興奮気味に、根拠も曖昧な高評価を付け加えて言うナドニメ。
その手にすり鉢を持ち、ツァリセに一歩迫る。
「共に進むと参りましょう。まだ見ぬ呪術の深淵を」
「あ、いや、あの……」
一歩引くツァリセに、ナドニメが二歩迫る。
怖い。
ナドニメの様子も怖いが、なんだかなし崩しにその道へ踏み込んでしまいそうな自分が。
「おー、ここにいたか」
ドアが廊下側に開かれたのは幸いだった。
部屋の内側に開かれたら、仰け反っているツァリセの後頭部に勢いよくぶつけられただろうから。
「あ、チューザ様」
「だんちょーが探してたぜ」
勢いよくドアを開けたのはチューザだった。
ナドニメの部屋だが、探していたのはツァリセだったらしい。
「僕を、ですか?」
「いんや、ビムベルクを。見つけて連れてこいってさ」
じゃあな、と言って去っていくチューザの後ろ姿を見送る。
ドアは開け放たれたままだ。
ツァリセにとっては都合が良い。
「あ、じゃあ……」
そういうことで、と。
そのまま廊下に出て、ドアを閉める際に見えるナドニメの寂しそうな顔に、やけに罪悪感を覚えるツァリセだった。
そんなつもりはなかったが、つい呪術の話に聞き入ってしまった。
ナドニメとすれば、呪術に興味を示してくれる数少ない相手だったのかもしれない。
友情的な何かを覚えていたのか。
だとしても、仕事は仕事だ。
ボルド団長がビムベルクを連れてこいというのなら、ツァリセはその命令を遂行しなければならない。
だがまあ、どうだろうか。
ビムベルクと話している時よりも、どこかしら期待や興味がなかったわけでもない。
不気味で陰惨な呪術のイメージは消えないが、関心はやや強まったと言えるような。
そんなことを考えながら騎士団詰め所を出て町を歩いていたからだろうか。
ふと、通行人にぶつかってしまった。
「あっと、ごめん」
「BUA……」
ツァリセがぶつかった相手は、ああ、とも、ばあ、ともつかない声を上げて、じろりと濁った眼を向けてからよろよろと歩いていった。
薄汚い恰好をした白髪交じりの男。
両腕にに包帯を巻いている。その包帯も古ぼけて汚れ切っていて、まるで衛生的ではないが。
はらりとめくれた下には、ひどい火傷のような痕が見えた。
かつての傷病兵や、落伍した冒険者の成れの果てというところか。
エトセンにも色々な人間がいる。浮浪者も珍しくはない。
ツァリセとて、まともに癒せないような怪我で働けなくなれば、ああして落ちぶれることもあり得る。
「呪術、か……」
ツァリセは小器用なタイプの人間だと自負している。
剣の腕はそこそこに達者で、魔法もある程度使えた。
その他の雑事も得意な自分なら、確かに呪術も使えるかもしれない。
一芸に特化して他者より優れるというのは、自分には難しい。
だから多芸であり、多くの手を用意する。
他国では、奇手のツァリセだとか呼ばれているのだとか。良い意味なのかわからないが、二つ名で知られるなど滅多なことではない。
「呪術か」
今度の呟きは、先ほどよりもはっきりと、明るい。
それも一つの手かもしれないと。
こんな形ででも、手が増やせるのならそれもいい。
実戦で使えないまでも、知識は何かの役に立つかもしれない。
それが自分の身を守ることにも。
ドアの向こうに隠れたナドニメの寂しそうな顔を思い出した。
罪悪感もある。
話を聞くくらいなら、また訪ねてみよう。
「もしかしたら、本当に才能があったりして」
気軽な気持ちで踏み込んでいい世界なのかはわからないが、まあいいだろう。
むしろ、重い気持ちで呪術の世界に踏み込むような事態になれば、その方がきっと悪い巡り合わせなのだろうから。
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