第二幕 016話 女傑・豪傑_2
「また県令殿の所に苦情が行きますかな」
鼻で笑いながら言う男に、初老に差し掛かるが巨躯の男が眉を上げた。
「あの小僧の親父殿とは同じ戦場で戦った仲じゃ。あれの初陣も儂がお守りをしてやった」
「存じております。何も言っては来ぬでしょう」
わかっている。
アトレ・ケノス共和国軍では有名な話だ。
それにロベル・バシュラールはその初陣の時もそこにいた。
豪傑ムストーグ・キュスタの幕僚として。
ロッザロンド大陸でのことだが。
アトレ・ケノス共和国の歴史は少し複雑だが、簡単に言えば、二つの国家が王権を排して合併したという経緯がある。
専制君主ではなく民主制の国家として、再誕したという形式で。
国民の一割弱が参政権を持つ。
王という君主はいないものの、貴族などの階級は残っているし、参政権のない国民も多い。
民主制というのはロッザロンドでは珍しく、かろうじてコクスウェル連合がそれらしい政治形態をとっている程度だ。
地域を治めるのは世襲によらず、参政権のある市民による投票によって。
という、建前がある。
カナンラダのヘズの町周辺を治める県令が、長い任期を終えた所で、別の派閥からという順番になった。
そこでロッザロンドから新たな県令を選出したのだが、カナンラダの情勢は不安定だ。
知己でもあり英雄でもあったムストーグ・キュスタに、息子の守護を頼んだ父親の気持ちもわからなくはない。
また、アトレ・ケノス軍部でも、やや持て余していた。
ムストーグ・キュスタの行動……横暴で、暴力的な振る舞いを。
かくして、ムストーグと共に幕僚だったロベル・バシュラールもカナンラダに渡ることになったのだが。
「あの奥方は、商人の妻だというのになかなか強情でしたな」
「ふん、英雄の子を孕むのだ。喜びこそすれ泣くこともあるまい」
「ははっ、確かに」
身勝手な言い分だと思ってもロベルがそれを口にすることはない。
「しかし、途中からはムストーグ様。あれでは孕むのではなく、腹を下すだけでしたぞ」
「ふむ、そうだったか?」
思い返そうとして、がははと笑うムストーグ。
ロベルも笑い返す。
「それに先日の、影陋族ですがな。あれは孕みませんぞ」
「ふむぅ」
「あれは人間ではありませんので、いかに将軍が孕めと注いだとしても残念ながら」
常識だと思うのだが、その時のムストーグの様子が本気で言っているようだったので、一応付け加えておいた。
「英雄たる儂の子を産めぬとは、つくづく不幸な生き物じゃな。あれは」
「全くですな」
豪傑の振る舞いのお陰で、近習するロベルが悪事を働いても、まとめて豪傑の所業となる。
持ちつ持たれつという関係だ。
今回も、どさくさに紛れて居合わせた娘をかどわかし、共に楽しませてもらった。
ロッザロンドにいた時よりも後の面倒も少ない。
あちらだと、やれ法がどうだとか公平な裁きをだとか、そんな話も出てくるので。
「県令殿はともかく、モッドザクス卿とはまた。急なお越しで」
「奴は飛竜並の頭の固さじゃ。ネードラハに駐留しろと言われば百年でもそうしとるはずじゃが」
ヘズの町は内陸の主要都市だが、もっと大きな町が南にある。
アトレ・ケノス共和国が海の玄関として構えるネードラハは、当然海岸沿いにあった。
飛竜騎士モッドザクスこと、モズ・モッドザクスは港周辺の警護が主な任務のはずだが。
本日、突然にヘズに現れたのだ。
通常、それなりに身分のある人間が自身の管轄外に向かう場合には、先行して通達するものだ。
相手側にも迎える準備が必要なのだから。
通達なく訪れるのは、よほど気心の知れた相手でなければ、非礼に当たる。
場合によっては敵対行動と取られても仕方がない。
ただ、報せを先行するとなると、だ。
飛竜より早い移動手段というのは思い当たらない。
馬よりも遥かに速い。
ハヤブサのような鳥を連絡手段に使うという話も聞くが、一般的ではない。
先触れよりも早く到着してしまったのか。
あるいは、何かの自己で通達が届かなかった可能性もある。
さすがに飛竜が町に迫れば騒ぎになるし、それだけ目立てば何者なのかはわかる。
ネードラハに駐留する飛竜は三体。
その中でも、モッドザクスの飛竜は最も大きく、頭に特徴的な兜を着けていた。
モズ・モッドザクスが訪れたということで、ムストーグたちにも召集があった。
軍の施設ではなく、ヘズの町の中心にある県庁に。
何事だろうかと、ムストーグとロベルも向かったのだが。
「なんと……」
「竜公子、ピローネ卿が……?」
直立する騎士の像のように真っ直ぐに立つモッドザクスの報告に、居合わせた一同がどよめく。
県令だけは先に聞いていたらしく、大きく息を吐いた。
「所領を返上することになりますので、ピローネ卿ではあらせられませんが」
「ジスラン公子が、カナンラダに……」
豪放磊落といった性格のムストーグでさえ呻く。
アトレ・ケノス共和国には王家がある。
王政を廃止したというのに奇妙なものだが、旧王家というべき家格が。
血の革命で王家を粛清したわけではないので、残っていること自体は不思議ではない。
ジスラン・アトレイ。
竜公子と呼ばれる、飛竜騎士であり王子様という絵に描いたような人物だ。
「ジスラン様は大公家が割れることを懸念し、このカナンラダへと渡られました」
今はネードラハに、と。
「ジスラン様に続く者も、今後こちらに渡るとのことです」
先触れに来た。
何のことはない。このモッドザクスが先行の使い走りをしているのだ。
由緒ある大公家の公子が来るから、相応に準備しなさい、と。
家は捨てた形になるのかもしれないが、侮っていい相手ではない。
血筋も、力量も。
アトレ・ケノス共和国が今の政治形態になった一つの理由は、王家の方が統治を放棄したからだ。
貴族との均衡であったり民衆とのやり取り。
歪な関係に疲弊し、このままでは国も自分たちも持たないと。
戦う力と経済力を残して、政治的な立場から身を引いた。
とはいえ完全に政治の舞台から消えたわけではないが、最高責任者ではなくなった。
そこからのアトレ・ケノス共和国の再興を見れば、その判断が正しかったというのは学者の言い分だ。
「むう……ジスラン様が来るとなれば、どういうお立場で?」
ムストーグも言葉に迷う。
その相手は、家格だけでなく実力でもムストーグを唸らせるだけのものを有しているのだから。
ムストーグの質問に、モッドザクスは表情を曇らせた。
二人はあまり相性が良くない。そういう理由ではなく。
「一介の兵士で構わないと。冒険者も面白いと仰るのですが」
言いにくい内容だった。
「無論、そのようなことは許されません」
周囲の困惑した空気に、モッドザクスはそれを振り払うように否定する。
いかに当人がそんなことを言っても、他の事情が許さない。
高貴な立場の人が侮られることを許せば、また別の者もそれに引きずられるかもしれない。
それは社会を混乱させてしまう。
「そこで、提案なのです。これについてはネードラハからも協力は惜しまぬとお約束します」
モッドザクスが指し示す。
全員が集まる広間で、その壁に掛けられたこの近隣の地図を。
「
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