第二幕 004話 呪術師の高説_2
「これはこれは上官殿。おそらく私の話を覚えておいででしょうが、ご依頼の物はまだ出来ておりませんぞ」
慇懃無礼な物言いで、恭しく手を広げて見せる男。
呪術師ナドニメ。
エトセンの町にいる二人の呪術師の内の一人で、騎士団所属の人物。
60歳を数える。その年齢に応じて熟練した呪術の使い手だとツァリセは聞いているが。
チューザたちが部屋に入るので、ツァリセたちも続くしかない。
窓のない室内は薄暗いカンテラの灯りだけで、案外と部屋自体は広かった。
「……」
広げたナドニメの両手が、黒ずんでいる。
今それまでに目の前の鉢の中に手を入れていたのだろう。
鉢の中には、黒い液体が溜まっていた。
「聞いた話は全部覚えてるぞ、あたしは。今日の晩飯は鴨肉のスープだ」
「ふふ……違う、のだけど」
冗談なのか本気なのかわからないやり取りに、ツァリセもスーリリャも言葉がない。
エトセン騎士団の青グループの面々には独特な人物が多くて、対処に困らされる。
「ツァリセがさー、なぁんでもっと早く呪枷作らねーんだって言うもんだからよ」
「そんな言い方してないですって」
「ほうほう、なるほど。ビムベルク様の副官殿でしたな。なるほど」
二度もなるほどと言って大きく頷くナドニメ。
「主に似て、理知という概念を有していない実に勇猛なお言葉ですな」
「一緒にしないで下さい!」
無視できない侮辱を受けて、あまり関わりたくない雰囲気のナドニメに思わず噛みついてしまうツァリセだった。
「ふむ、呪枷の制作について語るには、まず呪術とは何かというところから」
「長いの、駄目……よ」
「さもありなん」
ツァリセの抗議を無視して話が進んでいく。
ナドニメの指が再び鉢の中の黒い液体に沈んだ。
「失礼。今は大事な所でして。続けながらでも?」
「あ……はい、もちろん」
「まさにこれが呪枷の要となる
指を上げると、液体かと思われたそれが粉のような感じでぱらぱらと鉢に落ちる。
鉢の中には、それと別に何か薄い紙のような物が入っているようだった。
「これの素材は珍しいものでもないのですがな。未分化の胎児を燻して磨り潰した粉を呪粉と呼びまして――」
「未分化の……?」
「おお、知らぬことでしたか。オスともメスともつかぬ状態のことでございますぞ」
何の胎児なのか、とは聞けなかった。
少なくとも、卵生ではなく胎生の生物。
ツァリセがちらりと後ろに目をやれば、スーリリャが口元を押さえている。
聞いていて気持ちの良い話でもないが、気にしてないのか気付いていないのか、ナドニメはそのまま講釈を続けた。
「これに主人となる者の体液……今回は団長の血液ですが、それを呪術により完全に混合させるのです」
それで、その粉とも液体ともつかぬ呪墨の状態になるらしい。
「不純なものがあるとうまくいきませんでな。粒の一つ一つまで混じり合うようにするには、相応の呪力と綿密さが必要なのですぞ」
丁寧な仕事が必要なのだと、そう説明するナドニメはやや得意げだ。
実際、粒の全てをといえば根気のいる作業だろう。
「体液を……その主となる人を知っていた方が作業は早く進みむのですが、それでも10日というところが普通かと」
「知っている人の方が早いんですか?」
「体液にも、その人間の臭いというか、気配と呼ぶか。そういうものがありますからな」
そういう理由があると聞けば理解できる。
まるで知らない人間のそれよりも、知っている間柄の方が選別しやすいのだろう。
「それを依頼から7日で仕上げるこの私をもってしても、ツァリセ殿には愚鈍と言われましょうや」
「いやいや、違いますから。すみません、無知なもので」
ナドニメの嫌味に対して素直に頭を下げた。
呪術師というものと話す機会もないし、その下位にあたる呪い士も多くいるものではない。
まともに話を聞いたのは今回が初めてだった。
「呪術師の方とお話する機会がなかったもので。あらかじめ準備されている魔具のようなものを使うのかと思っていました」
「そんなものがあればその日のうちに作れましょうが。はて」
鉢の中の指を蠢かせながら、ふとナドニメの目線が遠くに泳ぐ。
「何でも、その相手と交われば、より深く知ることも出来るのだとか」
「……」
さっきの、混じるとは違う意味だった。
体液を提供する者と交わっていれば、さらに呪術は円滑に進む。
「かのロッザロンドに名高い
「いいえ、不見識なもので……」
「気になされるな。呪術師でもなければ知りますまい」
だったら聞くなと言いたいところだ。
話していると疲れるなと思って後ろを見れば、チューザとチャナタがスーリリャを挟んで何やらいじっている。
首に指をなぞらせ、双子の豊かな胸を押し付けて。
スーリリャも困っている様子ではあるが、ひどく無体な扱いを受けているわけではない。
ちょっと面倒な女先輩に絡まれている新人、といった程度。まあいいだろう。
「仕上がりましたこの呪墨、奴隷となるものの首筋に紋と共に刻めばそれでよろしい」
「? あの……呪枷、というか首輪は?」
「しかり」
ナドニメが何かを摘まみ上げると、いつの間にか鉢の中の呪墨はなくなっていて、薄い黒い布切れがその手にあった。
黒い呪枷だ。
「首筋と言うのは大概の生き物の弱点だもので、おいそれと触れて悠長に紋を刻むなど難しいのでございますぞ」
「でしょう、ね」
「胎盤です」
布切れを摘まみ上げるナドニメが簡潔に言う。
「胎盤より作ったこれに紋を刻み、呪墨を吸わせる。そうして出来るのがこの呪枷ですな」
先ほどの情報とつなげて、何の胎盤なのかは聞かない。
聞くのが怖い。
呪術と言うものに通ずる人間が少ないのは、その手間暇のこともあるだろうが、得体の知れない忌避感が拭えないからだ。
怪しげな素材から作り出した黒い布切れを掲げて嗤うナドニメは、エトセン騎士団所属ではあるが、ツァリセには味方だとは思えなかった。
「丁寧な説明、ありがとうございます」
「なんの。別に秘術というわけでもなし、気になされるな」
町にいる呪術師や呪い士に仕事があるのは、カナンラダでは特に呪枷の需要が大きい。
秘匿している技術というわけではないのだと。
しかし、説明を聞けばまた疑問も出てくる。
この呪術師との会話はあまり長くしたいものではなかったが、気になってしまった。
「それだと、あの……白い呪枷、は……?」
今の話の中では、白い呪枷に関してはわからない。
影陋族の首に着けられるのは白い呪枷。
人間で、特に悪行を働いたものに着けられるのは黒い呪枷だ。
卑奴隷と呼ばれる。黒い呪枷の主は基本的にその町の有力者に近い若者で、誰ということは言われない。
人々に尽くして生涯罪を償えと命じられ外に放り出されて、迫害を受けてそのうち死ぬ刑罰。
呪枷を外せる主の素性もわからぬまま、卑奴隷は命じられた通り他者に尽くすしかない。
「白い呪枷とは、知らぬこととはいえ嘆かわしいものですな」
「はあ、すみません」
「色なし。あれは隷従の呪術とは本来関係がないものですぞ」
ツァリセをこき下ろしてからでなければそれを言えなかったのかと思うところもあるが。
(?)
隷従の道具ではない、と。
ならばなぜ、という疑問が浮かんだツァリセに、嬉しそうにナドニメが続ける。
「あれは、全てを受け入れるよう身に刻み込むものですので。処女童貞の皮で出来ておりますな」
人間だ。
素材が何か聞かなかったツァリセにも、いい加減わかる。人間だ。
「お察しいただけましたかな。そう、人の言葉を受け入れるよう、人間の皮で出来ております。無論、呪術の技を経てですが」
「……」
「隷従の紋は、その身に刻むものなれば」
これは別の形ですが、と出来上がった黒い呪枷を鉢に戻す。
「ただ一人の命しか聞かぬのでは不便と、そういうわけでして。他の人の言葉も聞くよう白い呪枷をつけるのですぞ」
「つまり……黒い呪枷ではなく、首筋に?」
「さよう。それを他の言葉も聞くよう誤認させるというのが、白い呪枷と呼ばれる色なしの呪環の役割になるかと」
なるほど。白い首輪そのものは隷従の呪術ではないというわけだ。
奴隷の呪術は、先ほど鉢にあった呪いの墨で首に直接刻むのが本来だと。
「呪墨の主が死せば、再び呪墨を入れ替えることも出来ますが、そこまでされる方も少ないと言われておりますな」
「そういうものですか」
だいたい呪枷に関する疑問は晴れた。
そこまでする人間が少ないというのは、きっと知らないからだ。
呪術師とかそういう手の人間は、あまり多くを余人に語らない。
ナドニメが特殊なタイプだというのか、チューザたちが説明しろと言ったからなのかもしれない。
説明しろと言われれば喜んで自分の分野のことを語りたがる。
そういう人間はどこにでもいるものだ。
特に無知なツァリセのような人間に上から教えるというのは、悪い気分ではないのだろう。
「ありがとうございました」
「なんのなんの。またなんぞあればいつでも聞きにきて下さってよい」
そんな機会は二度となくていい、と思うツァリセだったが。
ツァリセの気持ちとは逆に、ナドニメはくつくつと嗤いながら続けた。
「ツァリセ殿は、呪術の才能がおありのようだ」
とても嬉しくない高評価を。
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