第一幕 92話 希望の子_2



「う、ぐぅ……」

「いけませんね、ミアデさん」


 責めるようなトワの声に、小さく首を振った。

 震えた。


「……トワ、お願い」

「だめ、ですよ」


 ぞわりと、背筋を撫でられるような、快感とも不快感ともつかない感覚が走る。


「や、ぁ……ん、意地悪しない、で……」

「だめですから、ね」


 トワの舌が、ミアデの腹を伝う。


「う、うぅっ……」

「痛いですか?」

「んっ……それも、だけど……」


 目尻に涙が浮かぶ。


「くすぐったい」

「駄目です。我慢してください」


 トワに容赦はなかった。



「ミアデさんったら、こんなにしちゃって、もう……悪い子です」

「わざと、そういう言い方……してるでしょ、うっ」

「さあ、どうでしょうか」


 ふふっと笑うトワの息がかかって、またこそばゆい。


「こういう方が、悦ばれるのでは?」

「……悪い子は君だよ、ほんと」


 うすうす知ってはいたし、セサーカから気をつけなさいとは言われていたけれど。

 トワの接し方はミアデから見ても、心の疚しい部分をくすぐり、熱い感情を湧き起こしてしまう。

 セサーカへの罪悪感が増す一方だ。



「心外です。私はミアデさんを癒そうとしているだけなのに……ん、あふ……」

「そ……そうだけど、んっ……なんだか、ちょっと怖い……」

「そう言われてしまうと、少し傷つきます」

「ごめん」

「……」


 ミアデの言葉にトワは目を伏せて、それから無言で舌を這わせる。

 胸の下、肋骨の辺りに。


 翔翼馬との衝突の後、痛むとは思っていたのだが、落ち着いてみたら随分とひどい打ち身になっていた。

 肋骨に罅など入っているのかもしれない。


 セサーカに心配をさせたくなかったので、トワに頼んで、噛まれた足の治療と言って連れ出してきたのだが。


「……ふぅ、ぁ……」


 打ち身や骨折も多分治せるというトワの能力は有難かった。

 唾液そのものが治癒なのではなくて、舐めるという行為で治療しているらしい。

 そうして舐めて治癒する獣もそうなのだろうか。



「……」


 だが、切り傷よりは時間がかかるようで、その間ミアデは耐えなければならない。

 痛みと、くすぐったさと、それらが薄れていくにつれて強くなる快楽に。


(う、うぅ……セサーカぁ)


 思い出してしまったのはまずかった。

 まるでセサーカにそうされているような錯覚で、じわりと溢れる。汗が。



「……これくらいで、大丈夫でしょうか?」

「ふぅ……は、ぅ……うん、だいぶ。楽になった……」


 必死で耐えていたミアデの息は荒く、温度が高い。

 もう少し続いたら何だかどうにかなってしまいそうだったが、言われてみれば脇腹の痛みが薄れている。気にならないほどに。

 明日からも楽ではない行程が続くはずだ。足手纏いにならなくて良かった。



「ごめん、ね……トワ」

「なんです?」

「いやあの……怖いなんて言ってさ。あたし……」


 ああ、と思い出したように微笑むトワの表情には影がある。


「いいんです、ミアデさん」


 首を振ると、彼女の銀糸の髪が揺れる。

 夜の月明かりを返すトワの銀色の髪は美しい。


「私、ちょっと変みたいで……時々、ニーレにも言われます。何を考えているのかわからなくて、怖いって……」

「そんなこと……」


 トワの造形は、アヴィやルゥナとは異なる美しさだ。

 幻想的で儚い。

 まるで別の世界の生き物のようなそれは、見ていると引き込まれそうで怖い。



「……トワ、違う。ごめん」

「ミアデさん?」

「ごめん、あたしが間違ってた。聞いて」


 寂しそうな微笑みを浮かべるトワに、顔を近づけて囁く。


「トワは、大事な仲間だ。怖くなんてない」

「……ミアデさん」

「キスしてもいい?」

「ん……」


 なんて話したらいいのかわからなくて、口づけをした。

 ミアデは自分があまり喋り上手だとは思っていない。

 どちらかと言えば行動で示す。それが性分に合っている。


「ん、む……」

「トワは怖くなんてない。優しい仲間だよ」

「……セサーカさんに怒られますよ」

「そこは内緒でお願い」


 くすくすと笑う。今度は寂しそうな色は見えなかった。



(よかった、元気になってくれて)


 セサーカを怒らせるのは怖い。きっとミアデは泣かされる。

 不用意な言葉で仲間を傷つけてしまったとしたら、ミアデは自分を許せない。

 親愛を表現するキスで解決するなら、許容してほしいところだが。


(……トワ、綺麗だからなぁ)


 無用な誤解を生むくらいなら内緒にしておいてもらわないと。


「ミアデさん。足、開いて下さい」

「え?」


 唐突な言葉に、一体何が始まるのかとどきりとする。

 いやちょっとまって、今のキスはそういう意味ではなくて……


「ケガしているのは内腿でしょう?」

「あ」


 そうだった。忘れていたけれど。

 あの白い魔物に食いつかれた内腿は、少し肉を食い千切られている。少しだが。

 それを治癒してもらうのも目的だった。

 そうなのだが……


「あ、いや……その、今はちょっと……」

「今しないでいつするんですか? さあ」

「ええっと、その……う、あの……」


 少しだけ都合が悪いような気がするのだ。

 怪我をした場所と、ミアデの今の身体状況が。


「そのままにして化膿したり傷痕が残ったりしたら、セサーカさんも悲しむのでは?」


 ミアデの気持ちがわかっているのかいないのか、トワは優し気な顔で軽くキスを返した。


「大丈夫です。セサーカさんには内緒にしてあげますから」

「……う、はい」


 恥ずかしさを堪えて傷の場所を晒すミアデに、先ほど以上に丹念に治癒をするトワの吐息は、妙に荒く感じられた。



  ※   ※   ※  

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