第一幕 93話 花の香り_1
夢が叶った。
唐突で押しつけがましかったとは思う。
自分でも、奴隷として希望のない日々を過ごしていた自分の中に、こんな行動力があったのかと驚くほど。
だけど、二度はないかもしれない。
チャンスというものが何度も巡ってくるなどとは考えられない。
これは一度きりの機会で、決して手放してはいけないのだと。
後悔したくなかった。
こんな幸せな夢が叶う日が来るなんて思わなかった。
壱角の子が成長して私を助けに来てくれた。
私を……では、なかったような気がしなくもないけれど、そういう小さいことは別にいい。
彼女を見た瞬間に、私の中で薄れていた夢の世界が一気に帰って来た。
壱角の子が美しく強く成長して、私の手を取ってくれる。
優しく囁くのだ。
――助けに来たよ、ネネラン。
「はい、エステノ様……」
私はそう答えて、彼(妄想)の厚い胸板に顔を埋める。
そして誓うのだ。
「これからはずっと、ネネランはエステノ様にお仕えします」
――ああ、愛しているよ。ネネラン。
そんな妄想を抱いていた日々があった。
人間の奴隷として生きる毎日はつらくて、悲しくて、苦いことばかり。
そんな中で忘れかけていた夢を、彼女を見た瞬間に全て思い出した。
この幸せをもう絶対に手放さない。
だから、少々押しつけがましくても仕方がない。
エステノ様は、私の想像のエステノ様とはちょっと違って、可愛らしい容姿と可愛らしいお胸のエシュメノ様だったけれど。
そういう小さなことは別にいいのだ。
壱角の子が成長して私を助けてくれた。
だから私はこう言う。
「ネネランがお仕えしますから、末永くよろしくお願いします」
私の生涯を、貴女に捧げますと。
手の中に包まれた小さな彼女の手は、とても暖かくて、幸せだった。
※ ※ ※
滝から少し東に行くと、崖沿いに降りられるような取っ掛かりがある。覗き込まないと見えない場所に。
それを降りると、今度は滝の裏側に歩けるような窪みが続いているのだと。
ソーシャから聞いたそれは、確かにあった。
白い魔物を避ける為に針木の枝を松明にして複数掲げている。
予備も持っているし、一部は濡れないように荷物の内側に包むようにもした。
どこまでの効果かはわからないが、今日はあの白い魔物の群れは見えなかった。
「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」
アヴィの詠唱により滝が凍り付く。
全てではない。崖の窪み側だけだが。
「……しばらくは、大丈夫」
流れている水を凍らせるのはとても難しい。とてつもなく強烈な冷気が必要だ。
川の流れでも精一杯のルゥナには無理だったが、アヴィの魔法はそれよりずっと強い。
「今のうちに抜けます」
滝が流れていると、水がその窪みにも強く当たり、とても通れなかった。
道があることさえわからない。
仮に知っていても、滝の水流もあって簡単に通れるような場所ではなかった。人間には不可能だろう。
崖の岩肌に衝突した飛沫のせいで視界も悪いし、この断崖に霧のように立ち込めている。
「あまり崖に寄らないように。崩れるかもしれません」
崖の上から幼児や妊婦をそっと運び、崖の裏に隠れるような道に進ませる。
ラッケルタは、わずかな時間であれば壁に張り付いて歩くことも出来るようだった。
背中に子供を乗せることも可能かもしれないが、この崖では落ちてしまう。
隠し道。
知らなければ崖の上からは見えない。
降りて進んでいくと、途中からは広い洞窟になっていた。
幸い清廊族は夜目が利くし、針木の松明が明りにもなる。
アヴィは暗い洞窟を進みながら唇を噛んでいた。
思い出すことがあるのだろう。他の者に、特に用事がなければ声をかけないように身振りで示す。
「どんな魔物がいるともわかりません。気を付けて」
※ ※ ※
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