第一幕 69話 壱角の双角
飛び掛かってきた敵を串刺しにしたらどうなるか。
「……」
血塗れのエシュメノは、その水色の髪を赤く染めて、何一つ感情らしいものを示さずに右手を振るった。
左手は使えない。
今突き刺した敵が刺さったままだ。
右手が抉ったのは、
「た、たす……ぐぇ、で……」
人間の兵士だった。
エシュメノの左手には、黒く滑らかな曲面の短槍がある。
襲ってきた犬型の魔物グワンを貫き、絶命させていた。
「……」
グワンには黒い呪枷があり、その背中には人間が乗っていた。
騎乗していた男は、グワンを殺され地面に落ちた所を抉られた。
エシュメノの右手に、捻じれた螺旋を描く深紫の短槍がある。
それで兵士の眼孔を貫いた。
螺旋の槍は太く、顔の半分ほどを抉りながら砕き、その命を絶つ。
廃村で泣き明かした翌朝、エシュメノは自分の髪を切った。
長く伸び放題だった水色の髪は、今は短く切り揃えられている。適当に切ったエシュメノの髪を、ユウラが切り揃えた。
特に言葉はなかったが、惜別と決意だったのだろう。
彼女の両腕には黒と紫のソーシャの形見が、その姿を変えてエシュメノを守ろうとしていた。
黒い角は左腕に。滑らかな籠手の形で。
深紫の角は右腕に。うねる波のような
エシュメノが意識をすると、それらは槍に形状を変化させて、左右の短槍として彼女の武器となる。
守る力と戦う力。両方を兼ね備えたエシュメノだけの武具だ。
ソーシャから受け継いだ双角を手にした彼女は、共に戦う仲間になった。
「全部倒したでしょうか?」
「いや」
セサーカの言葉に首を振ったのはニーレだった。
犬型魔物グワンに騎乗した兵士の小隊は、おそらくこちらの戦力を過小評価したのだろう。
荷車を引き幼児を連れているような集団だ。多少は武装していたところで、魔物を活用している自分たちの敵ではないと。
返り討ちにしたのだが。
「少し手こずってる間に、二匹逃げていった」
十名ほどの連中だったが、それぞれがグワンに騎乗した兵士だ。
ルゥナも多少の戸惑いとやりづらさがあった。その間に逃げられた者がいる。
山林でグワンの足に追い付くのは不可能だろう。
「ごめん、矢が届かなかった」
「気にすることはありません、ニーレ。拾った武器でよくやってくれています」
簡易な木の弓矢だというのに、ニーレの射撃精度は日に日に上達して獲物を仕留めている。
ニーレが射た敵にまだ息があれば、トワの包丁とユウラの手斧で始末する連携も出来ていた。
今以上の成果を望むのは贅沢だ。
もっと上質な弓がほしいが、残念ながら難しい。
弓の場合は当然合わせて矢が必要になる。荷物が増えることになるので、あまり冒険者は使わない。
それなら魔法使いを仲間にするか魔法の習得を目指すだろう。
村の狩猟で使われる弓は今使っているものになる。
軍隊なら、数を揃えて弓部隊を運用する為に用意するものがあるだろうが、今のところ手に入る見通しがない。
「ニーレは昔から堅物なのです」
包丁にべっとりとついた血を、敵が着ていただろう服の布地で拭いながらトワが言った。
それからふと思いついたように、小首を傾げる。
元の顔立ちの造形が非常に整っているので、内面を知らなければその仕種はただただ可愛らしい。
「ルゥナ様も、お堅いですよね?」
「……どうでしょうか」
「そういう方がお好みでしたら、私もそうしますけど」
何をどうするつもりなのか、トワの言うことがルゥナには意味がわからない。
付き合いの長いニーレにはわかるのだろうか。
「トワ……ルゥナ様が困っている」
「ニーレちゃん、はい」
トワを窘めようとしたニーレの横から矢が数本差し出された。
「二本、折れちゃってた」
ユウラだった。無駄話をしている間に、使った矢を回収していてくれた。
「あ、うん。ありがとう、ユウラ」
「えへへ」
笑いながらニーレの矢筒に矢をしまうユウラが、去り際にニーレの尻を触っていった。
「ちょっ、ユウラ」
「ニーレちゃん堅いんだもん」
少し気を抜きすぎではないか、と思わないでもないルゥナだが。
(彼女たちなりに気遣っているのでしょうね)
張りつめすぎた空気を和らげたいと。
視線を別にやって、溜息しか出てこない。
返り血に塗れたエシュメノを、やはり敵から奪った布で拭っているのはアヴィだ。
エシュメノはされるがままの様子。両手の槍は既に籠手形状に変化している。
廃村を出てから七日ほど経った。
その間ずっと、エシュメノは今のような感じで、アヴィが率先して彼女の面倒を見ている。
(私を放って……)
唇を噛む。
そんな
正直なところ、ルゥナはアヴィに依存されていると思っていた。
戦いのことではなく、女として。
伴侶とは少し違うけれど、アヴィに特別に扱われて、たまに独占欲を示されることもあったから。
アヴィはルゥナがいなければ立ち上がれない。
そんな風に思っていた。
そこにエシュメノが入り込んだ。
アヴィと同じ境遇で、目の前で深く傷ついたエシュメノ。
それこそ自分で立つことも出来ない彼女を前に、アヴィはその助けになろうとしている。
もちろん悪いことではない。
アヴィが自立するのはアヴィ自身にとって良いことだろう。
(ただ、私が寂しいだけで)
アヴィに頼ってもらえないことが寂しい。
人間との戦いの最中にそんな自分の卑俗な不満を自覚して、ルゥナは溜息を堪えられなかった。
「この近くにはトゴールトという町があるはずです」
一行の責任者は――アヴィは別として――ルゥナだ。
色恋ですらないことに葛藤している暇はない。私的なことよりも、今は全員の命を預かっている。
「話ではまだ少し遠いはずですが……おそらくこの兵士どもも、部隊を鍛える為に遠出して魔物狩りなどをしていたのでしょう」
今戦った人間どもは、魔物に騎乗する練度もあり普通の兵士よりも手強く感じた。
鍛錬を積み、それなりに戦い慣れている。
東部の人間の町では、魔物を使役する部隊があるという噂を耳にしたことがあった。。
町周辺の魔物は駆除が進んでしまった為に、遠征で経験を積んでいたのか。
魔石などを集めることも出来るし、魔物を狩れば無色のエネルギーも得られる。
そういう部隊は、今回遭遇したものだけではないはず。逃げた敵から報告が届けば増援がくるだろう。
「敵の戦力が集まる前に、アウロワルリスへ向かいましょう」
越えられぬ断崖を越えてしまえば、そこは清廊族の領域だ。
その方策はいまだよくわからないが、ソーシャの言葉が嘘だったとは思わない。
信じて進む。
今できることはそれだけしかない。
雑念を払って道を示すルゥナを、トワの灰色の瞳が映している。その唇から熱い息が漏れて。
恍惚としたトワを不安げに見守るニーレは、気付いていなかった。
自分に向けられている、トワと似た調べの吐息に、気づくことはなかった。
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