第一幕 66話 啜り泣く声_2
コクスウェル連合は、カナンラダへの入植に最も出遅れた形で入ってきた勢力になる。
ロッザロンド大陸は大海を挟んで西南西に位置する。
カナンラダ西海岸に最初に辿り着いたイスフィロセは、西の海岸端から勢力を広げていった。
ルラバダール王国は南部から。アトレ・ケノス共和国はその間あたりに港を作り、それぞれカナンラダからの利益を得ていく。
最も出遅れたコクスウェル連合は、ロッザロンドからみて遠くに位置する東部の南端に拠点を構えた。
距離は離れたが、まだ他の勢力の手が伸びていなかった東南地域を自分たちの領土にしようと。
調査不足だったこともある。
東側に構えたマステスという港町から北上していくと、大きな断崖に遮られた。
ニアミカルム山脈まで割っていく大きな亀裂。
南北を分かつ大きな地割れになっていて、南側の崖の端から見ると、北の崖は高く切り立った絶壁が進行を拒む。
間の崖の下は海水が流入していて、地形の為か激しい水の流れがあった。
この裂け目は大陸東の海底にも伸びているらしく、東の海はあちこちで激しい渦を伴う荒れた海になっている。
地形、湿度の問題もあるのか、上を見上げても大体いつも雲や霧がかかっていてよく見えない。
断層のような地殻とともに海底火山などもあちこちにあるようで、暗礁も多い。
断崖を迂回して北東に海路で向かった者は、途中で引き返した以外では誰も戻らなかった。
東南の港町マステスと、影陋族がアウロワルリスと呼ぶ断崖の間には、トゴールトという町がある。
コクスウェル連合がカナンラダ入植の為に作った都市、トゴールト。
進むことが許されぬ大断崖を前に、指を咥えて見ているだけ――ではなかった。
当然、その崖を超える手段を画策してきた。
橋の建設。
南端と北端の高低差は、見上げて首が痛くなるほどに高い。
雲まで届くとまでは言わないが、丘と呼ぶよりまだ上だ。成人男性を千人弱ほど積み上げたほどの高さか。
南側をまず盛り上げないことには橋自体が作れない。その労力は、数千人の人夫を使って十数年必要だろう。
故郷のロッザロンドに存在する古い遺跡で、そんな風に大動員して建造された古墳や長大な要害もあるにはあるのだが。
ロッザロンドでも困難な事業であり、まして入植してきた人間の数では現実的ではなかった。
それだけやっていればいいということでもない。
では、南側をこのままで、強靭な材質の何かで梯子のような形の橋をかけたらどうか。
崖の間も非常に長い距離だ。ただ鋼鉄で長い棒を作ったとしても、今度はその金属の重みで途中で折れてしまう。
実現不可能か、と言われたらそうではなかった。
高品質の魔石を使った特殊な金属を用いれば可能だと、幾人かの学者が提唱する。
それは強大なルラバダール王国をしても国家を傾けるような費用の概算だったし、そもそもそれだけの量の高品質な魔石を用意するのに途方もない時間も必要になるだろう。
理論上は可能。
よくある学者の論調だった。
その間に使われた研究費が、腐れ学者どもの私財に多く充てられていたことも発覚し、研究はそのまま立ち消えになってしまう。
もし正しく研究が続けられていたなら、より少ない費用で強靭な材質の何かが開発され、断崖を渡ることが可能になっていたかもしれない。
そんなもしもの話は世界のどこにでもあるだろうが。
コクスウェル連合によるアウロワルリス越えは諦観にあった――わけではない。
別の、もう少し目に見える形でわかりやすい方策が採られていた。
魔物を利用する。
空を飛ぶ魔物がいる。
それを利用してこの崖を越えられないかと、単純だがわかりやすい手法。
費用がかからないわけではないが、呪枷という道具が存在する以上、実現が可能な手段だと思われた。
問題なのは、空を飛ぶ魔物の中でも人間を乗せられるようなものを捕えるのは非常に難しいということ。
故郷のロッザロンドでも、人間が騎乗できるタイプの魔物を使役している者は限られる。
馬などの飼い馴らされたものではなく、空飛ぶ魔物を捕える為に、また多くの犠牲があった。
八十年の歳月を経て、ようやく形になってきたのが、トゴールト天翔部隊。
カナンラダに生息する翔翼馬を捕え、その繁殖に成功するまでの道のりが長かったが、その苦労も結実しつつある。
トゴールト近くに広がる牧草地。
簡易ではないかなり頑強な柵と、三か所に建てられた見張り小屋。
中央に位置する厩舎と併設された詰め所の窓から、柵の中を散策する馬型の魔物を眺める男がいた。
「アトレ・ケノスから飛竜を買った方が安かったかもしれんな」
誰もが遠慮をして口にしないことを言うのは、天翔勇士団のリーダーを務める男、サフゼン。
壮年の男で、親の代からの天翔騎士になる。
正確に言えば、サフゼンの父親が運よく翔翼馬の群れの長を捕えたことで、今の地位がある。
翔翼馬はハーレムを形成する。その長を捕えたことで、それに従う群れや子供も手に入れることが出来た。
当時のトゴールトでは、羽はあるが人間を乗せられない魔物や、そもそも空を飛ぶことができない魔物などの使役は数を増やしていた。
そこに翔翼馬を手に入れたことで、トゴールトの町の重要性は急速に増す。
目的に近付いた。
一つ問題は、どうも翔翼馬にとって大断崖アウロワルリスは危険を感じる場所らしく、中々近付こうとしない。
無理に進めると狂ったように暴れてしまって、それで命を落とした戦士や翔翼馬もいた。
大断崖の下に消えた仲間を、まだ幼かったサフゼンも見たことがある。
そんな失敗もあったにしろ空を飛ぶ戦力というのは非常に有用で、アウロワルリスのこととは別に本国からもこの功績に好意的な反応が強かった。
「この町で産まれた世代だと、あの崖に過剰な反応はないようですな」
詰所の窓の外から、サフゼンの呟きを聞きつけた白髪の目立つ男が返事をする。
「ああ、あれは野生の翔翼馬の習性なんだろう」
「飛竜なんかよりよほどこいつらの方がいいでしょう。可愛げがある」
翔翼馬の茶色の毛並みを撫でながら言うのは、世話を担当しているトクロイという男だ。
サフゼンの親の代から長く翔翼馬を見てきた彼は、先ほどのサフゼンの言葉を責めるように言う。
彼とすれば、自分が生涯の半分以上をかけてきた翔翼馬への愛着は強い。
「もちろん俺もそう思っているさ。飛竜なんて気味の悪い生き物なんかに乗りたいなんて思っていない」
本気で言ったわけではなかったが、トクロイのプライドを傷つけたかもしれないとサフゼンは言葉を繕った。
コクスウェル連合とは別に、アトレ・ケノス共和国には飛竜を操る部隊がある。
覇天騎士団と呼ばれる精鋭だ。
数が少なく、その多くはロッザロンドにいるはずだが、多少はカナンラダにも来ていると聞く。
大陸の西部と南部の境辺りの湾にあるネードラハという港町あたりにいるのだとか。
コクスウェル連合が新たに手に入れた飛翔戦力について天翔勇士団などと名付けたのは、その覇天騎士団への対抗意識からだというのはもっぱらの噂だった。
「ようやく数も揃った。翔翼馬も、天翔騎士も」
黒い呪枷をつけた翔翼馬が、柵の中に見えるだけで二十を数えるほどに。
鍛錬の為や別の任務で出ているものも含めれば、このトゴールトで百を数える。戦えるものばかりではなく、まだ幼いものや老体もあるが。
それに騎乗して戦える戦士も三十人からなる。
ようやく部隊として体裁が整ってきた。
「祖父の代から続く悲願がこうして形になっているのを見て、つい、な。悪く思わないでくれ、トクロイ」
サフゼンの祖父はロッザロンドからの移民だ。
このトゴールトで魔物を捕えて一攫千金をという祖父の夢は、死後にサフゼンの父が叶えた。
そしてその父の夢を、今度はサフゼンが叶えることになる。
「いえ、坊ちゃん。確かに長い年月ですから、そりゃあ飛竜を買った方が早かったとは思いますよ」
幼い頃からサフゼンを知っているトクロイは、ふとすると今でも坊ちゃん呼ばわりをする。
中年に差し掛かる男を坊ちゃんとは恥ずかしいものだが、たまに出てしまうのは仕方がない。
幼い頃、トクロイの膝で翔翼馬に乗せてもらったこともあるのだから。
「飛竜、ね」
トゴールトの歴史の中で、野生の飛竜を捕えたこともあった。
重大な怪我をさせずに捕えたことが一度だけ。
それに呪枷をつけたのは平民の冒険者で、呪枷をつけた者の命令しか聞かない。
身分の低い彼からその飛竜を取り上げようと、当時のトゴールトの領主が呪枷を付け直そうとしたのだが。
呪枷は二つはつけられない。
新たに呪枷をつけようとするのなら、先に前の分を外さなければつけられなかった。
当然、外す時にはリスクがある。
鎖で固定して危険のないようにと万全の準備をしたのだが、失敗した。
外した途端、鎖が身を千切ることも構わず狂ったように暴れ、尻尾の先で領主の息子が深い傷を負ったとか。
新たな呪枷をつける前に、その飛竜は狂死したと。
そういう経緯があって、サフゼンの父親が翔翼馬を捕えた際には、身分などなかった父に名家からの縁談が持ち込まれた。
せっかく手に入れた翔翼馬を無理に奪おうとして、また同じ失敗は出来ない。それならうちに取り込もうと。
結果としてサフゼンが生まれた。
それ以前にも、サフゼンの父には別の妻子があったというのだが。
魔物を管理できる施設は少ない。
ここにも、翔翼馬以外の魔物もいる。柵でいくらか遮られてはいるが。
翔翼馬のエリアから外れた場所に、這うように動く赤黒い姿が見えた。
美しい茶色の毛並みの翔翼馬とは違う。
かさついた赤黒い鱗と、ちろりと覗く舌。
黒い呪枷は同じだが、あまり触れたくもないと思う印象の魔物。
(飛ばない飛竜のようなものだな)
空を飛ぶことが出来ない魔物。尚且つ、見栄えも悪い。
サフゼンの感覚からすれば極めて価値の低い生き物だが、単体で中位の冒険者程度の戦力にはなる。
一匹だけだ。個体数が少ないらしく、他では見たことがない。
長寿のようで、サフゼンが幼い頃からこの施設にいた。
それも、サフゼンの父が捕えた魔物だった。
翔翼馬より以前に。つまりサフゼンが生まれるより前に。
トカゲの魔物で、胴体の長さは翔翼馬と同じくらいだが、体高は半分以下だ。
あれに跨れば、子供でもなければ足が地面に擦るだろう。
騎乗している者がいる。
腹這いになり、両膝でそのトカゲの腰骨あたりにしがみつくような形になって。
大地を駆ける馬とも、翔翼馬とも違う騎乗スタイル。
無様に見えた。
「坊ちゃんが目障りだと言えば出ていきましょうが」
「それも大人げないだろ」
飛べないとはいえ多少の役に立つその魔物とその騎手は、この養殖場周辺の警護を担当していた。
サフゼンの父から、その魔物とこの仕事を与えられて。
他にもいくらかの物が与えられた。
というか、父が捨てて行ったものも受け取っていることを知っている。
(俺が負い目に思うことじゃないんだが)
サフゼンよりいくらか年上のそのトカゲの乗り手は、世間で言う腹違いの兄だった。
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