第一幕 64話 駆けた日々_2



「逃げろ……って、命令した……だろうが」


 気配のおかげで目が覚めた。

 意識が飛んでいた。



「……は、はは……その前に」


 渇いた笑い声がわざとらしい。


「どいて、くれませんか? 男に押し倒されるのは、ちょっと」


 組み伏せて喉に手を掛けられた状態で、よくもまあ笑えるものだ。

 肝が太いのか、どこかずれているのか。


「ああ……わりい」


 無意識状態で気配を感じて、咄嗟に体が動いていた。

 誰であろうと近付く者は殺すと、そんな無意識状態で。


 立ち上がろうとして、強烈な痛みと眩暈でふらついて、膝をつく。



「大丈夫……ですか?」

「ば、かか……阿呆」


 間抜けなことを聞くな、と。

 喉を擦りながら立ち上がり訊ねてくるツァリセに、罵声以外が口から出てこない。


「大丈夫そう、ですね」

「……阿呆が」


 こんな大丈夫があってたまるか。


 まともに立ち上がることも出来ずに、意識も朦朧としていた。

 ただ近付く気配に咄嗟に動いただけで。

 ツァリセかスーリリャでなければ殺していただろう。意識が戻ると今度は痛みで身動きが取れない。



「閣下!」

「……っとに、よ」


 体だけの問題でもない。

 気分も最悪だ。


 子供を庇う母親を殺すなんざ、こんなことを平気で出来るやつの気がしれない。

 仮に体が万全だったとしても、今はもう戦える状態ではなかった。

 心が戦いを拒絶してしまう。



「……逃げろ、って……言っただろうが」

「でも……」


 困ったように口籠るスーリリャだが、悪いのはツァリセだ。

 あいつは隊長の命令をなんだと思っているのか。


「僕は逃げたかったですよ、そりゃあね」


 なんだと思っているのか。



「スーリリャがどうしても戻るって聞かないので……あの破裂音を聞いて勝手に走り出しちゃうし」

「すみません」


 この野郎、スーリリャに謝らせやがった。

 自分が命令を遂行できなかったくせに、婦女子の頭を下げさせるとは。

 スーリリャの服はびしょ濡れだった。川で濡れたのか。



「やられたんですか?」


 本当に間抜けな質問をしやがる。


「だったら……俺が、生きてねえ……だろ」

「負けず嫌いですねぇ。とても勝ったようには見えないんですが」


 軽口を叩くのは、ツァリセなりに心配していたからなのかもしれない。



「痛み分け、ってところ……か」

「逃げられたってことですね」

「閣下がですか?」


 結果をみればそういうことになる。

 俺はやりたくもない仕事をして、自分も深刻なダメージを受けて、肝心の連中には逃げられた。



「……俺の、負けだな」

「そんな……」


 認めるしかない。

 やりたかったことは何も出来ず、珍しい魔物を仕留めただけで、自分はこの体たらく。

 敗北以外の何でもない。



「追いますか?」

「……やめとけ」


 頭を振って立ち上がるが、腹の奥に残る痛みに顔が歪んだ。

 やはりまともに動けそうにない。


「お前じゃ返り討ちだ」

「そうですね」


 体を動かしながら自分の状況を把握しようとするが、あちこちの痛みでどこにダメージがあるのかわからないほど。

 蹄をガードした腕にも無視できない痛みがあるし、角で削られた肩にも脳髄を掻き回すような苦痛を感じる。


 最後の破裂の魔法で、全身を振り回されながら四方から殴られたようなダメージも小さくない。死んでいないのが不思議な程度に。

 いくらか清廊族も余波に巻き込まれていたが、その中心で直撃を受けた自分ほどの影響はないだろう。



「あの魔物は?」

「……死んだ」


 それは確信がある。あの一撃は命に届いている。

 反撃の魔法は、死に瀕した魔物の最期の力だったとも思う。


 当面の、カナンラダに生きる人間にとって最大の脅威になるだろうあれだけは、ここで討つことが出来た。

 それを良かったと思うべきか、違うのか。


「伝説級の魔物を単独討伐ですか。報告書が嘘みたいな内容になっちゃいますけど」

「阿呆」


 ただでさえ痛い頭に、阿呆な部下の能天気な言葉が不快さを増す。

 はっきりしてきた意識を、軽く頭を振ることでもう少し明瞭にした。


「もう一度やったら俺が死ぬわ」

「閣下……」

「手加減された……ってな」


 最期の魔法は、全力ではなかった。

 至近距離にいた壱角の娘や他の清廊族を気にしてか、全力ではなかった。


 それを言えば最初から全力ではなかったのかもしれない。

 周囲への影響を考えて、力加減をされていた。

 だから討つことが出来た。濡牙槍マウリスクレスもなく、万全ではない装備で。



「あれ、ブラスヘレヴは?」


 ツァリセが、転がっていた鞘を拾いながら辺りを見回した。

 鞘に納めるべき刃がない。


「ああ……なくした」

「はぁ? 影剣ブラスヘレヴをですか? またそれは、団長になんて言われるか……」


 返してくれと言いに行けるはずもない。

 長く愛用していた剣だが、失われた。


「ありゃあ俺の私物だ。ボルドに言われる筋合いじゃねえ」

「そういうの、通じる人ですかね。団長」


 確かに、騎士としての心構えがどうだとか言い出しそうな気がした。

 面倒な奴だ。口ばかりというわけでもなく、腕前と責任者としての振る舞いが両立しているのは認めるが。



「……少し休んだら、帰る」

「隊長、本当に負傷しているんですね」


 今まで何だと思っていたんだろうか。怪我をした演技をしていたわけではない。


 ツァリセが部下になってから怪我らしい怪我などしたことがなかったわけで、初めて目にする光景が信じきれないらしい。

 こいつが弱っている俺を見たことなど、慣れないものを食って腹を下していた時くらいか。


「大丈夫ですか、閣下?」

「ああ」


 不安げに問いかけてくるスーリリャに、少しばかり強がりの笑顔を見せる。


「ちっと休めば平気だ、このくらい」



 娘を守るために命を張った魔物。


 同じことを、自分はスーリリャの為に出来るだろうか。

 それまで生きてきた自分の生涯や、その未来。全てを捨てても守りたいと。



「僕が聞いた時はバカとかアホとかしか……」


 馬鹿で阿呆な部下の不満を聞き流しながら、思い返す。


「……」


 俺は、何をしたのだろうか。

 放って置いたら当面の人間の脅威となる敵。恐ろしい魔物。それを倒したつもりだ。

 だのに、すっきりしない。



「閣下……?」


 遠くに聳えるニアミカルムの峰々を見ていると、取り返しのつかない失敗をしたのかと、苦く重い何かが圧し掛かってくるような気がした。


 俺は、何をしただろうか。



  ◆   ◇   ◆

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