第一幕 59話 同族の遠い言葉_1



 数刻の休憩を挟んで、また進む。


 東の断崖アウロワルリスを越えられる。

 ソーシャの言葉が本当なら、西に向かうより遥かに安全に清廊族の領域へと抜けられることになる。

 その道は、苦難の続く中で一筋の希望となった。



 聞いてみたが、実際の場所でなければよくわからない内容だった。

 ソーシャとて人間や清廊族の足でそこを歩くことを前提として知っているわけではない。


 三角鬼馬としての自分なら進めるという道ももちろんあるそうだが、そうではなくて二本足のルゥナ達でも進めるだろう道があると。

 荷車はさすがに無理だと言われたが、それは山越えでも同じ状況だっただろう。




『……それは母御か』


 目を覚まして歩くアヴィが、いつもは黒布に包み込んでいる母の形見の小石を手にしているのを見て、ソーシャが訊ねた。


「うん……」

「見た目では黒い石にしか見えないのですが……アヴィ、怒らないで下さい」


 ルゥナの呟きにアヴィの視線が刺さった。

 表情はわかりにくいが、唇が少し結ばれている。怒っている。


「怒ってない」

「別に母さんを悪く言っているわけではないのですから。ただ、見る限りは……」


 石にしか見えないし、粘液状の魔物だった母さんにそういう部位があったとは思えない。

 なのに、魔物のソーシャにはそれが母さんだと見てわかった。なぜなのだろうと。



『濁塑滔にそういう欠片が遺されるという話はない』


 少し考える様子を見せてから、おそらく件の知識の泉を思い浮かべたのだろうが、それに相当する例は見つからなかった。

 アヴィの手の中の黒い小石を見つめるソーシャの瞳は、馬の魔物なのだが、優しい瞳をしているような気がする。


『魔物が滅ぶ際に、牙や爪にその思いが残ることがある。其方らにも伝わっているはずだが……』

「一部の魔物の素材に、見た目以上の鋭さや強靭さが見られるという話ですね」


 魔物の思いという言葉は初耳だが、牙や爪などの一部に特異な性質が現れることがあるというのは聞いたことがあった。

 ルゥナが生まれた村で戦っていた時に、一部の清廊族の戦士がそういう武器を使っていたのも知っている。


 シフィークの奴隷をしていた頃にも、彼が使っていた珍しい剣・・・・や、イリアが持つ二本の短剣は、やはりそういう性質を帯びていた。

 魔石の使い道の一つでもある。



 力の弱い魔石は、大体が町などで燃料代わりに使われる。

 光や熱を生み出したり、風を生み出したり、水路を流したり。そういう使い道だ。

 もちろん専用の設備や道具を介してになるので、今のルゥナ達に使い道はないが。

 上質な魔石の用途は違う。


 上質な魔石は、他の鉱石などと合わせて魔具の作成に充てられる。

 金属と融合させて特殊な効果のある冥銀などの素材とするなど。

 また、魔物の素材と金属とを掛け合わせる時の間を取り持つ触媒としたり。

 そうやって魔具を作成するのだが、これも専用の設備や職人が必要だった。


 そうして魔具を作る際に、使った魔物の素材によって思わぬ力を発揮するものが生まれる。


 どれほど使っても劣化することのない剣。

 身に着けた者に少し先の危難を伝える指輪。

 狙ったものを必ず捕える投げ槍。

 旋風で矢を防ぐ盾や、着ていると傷が治っていく鎧など。


 それらは大抵、素材となった魔物の性質を反映しやすいという話だった。

 だがとても希少な現象で、狙ってできるものでもない。



『私にもはっきりとはわからぬが、それはそういう魔物の思いが込められた品だ』

「母さんが……」


 アヴィに力の託して滅びた母が、もう一つ残したもの。

 小石にしか見えないはずなのに、ソーシャにはその気配が感じられた。


『守りたかったのだろう。其方を』

「……」


 アヴィの表情が和らぐ。

 思い出が、アヴィに微笑みを浮かべさせた。



『……少し、よいだろうか』


 ソーシャが顔を寄せて、アヴィの手元の小石を覗き込んだ。


「うん」


 そっと差し出したアヴィの掌に、ころんと転がる二つの黒い小石。


 その上に、雫が落ちた。

 ソーシャの瞳から零れた雫が。


「?」

『……おそらく、こういう形が良いのではないかと思ってな』


 小石の先に落ちたソーシャの雫は、その小石を包み込み、その先に留め具のような引っ掛かりを作る。

 二つの装具。


「いやりんぐ……?」

『其方の母も、いつも其方に身に着けていてほしいだろう。余計なことかもしれぬが』


 ソーシャは顔を離して、アヴィから離れた。

 手に残ったそれを見つめるアヴィ。


「……ありが、とう」


 同じ異種族の子を育てる母だから、手を出してしまったのか。


『……余計なことだったかもしれぬ』

「ううん、嬉しい。きっと母さんも喜ぶから」


 アヴィは目を閉じてその装具を胸に抱きしめ、それから耳につけた。


 着けてみれば、ただの黒い小石でしかなかったそれが、世界で他にない宝石のようにアヴィを飾る。

 縁取るような濃い紫色の箇所は、今のソーシャの落とした雫で出来ているのか。



「どう……かしら?」


 アヴィが、少しだけ自信なさげに、上目でルゥナに訊ねた。


(いえ、その仕種が最高に可愛いと思いますが……)


 息を飲むルゥナ。

 後ろから覗き込んでいた面々も、同じように言葉を失う。


「……とっても、似合っていますよ。アヴィ」

「本当に?」

「本当です」



 珍しく、他の者がいる前で、にへらっと緩んだ顔で笑った。


 アヴィの、おそらく本来のアヴィの笑顔。

 復讐に囚われ冷徹な顔を張り付ける前の、本当の。


「すっごい綺麗ですよ、アヴィ様」

「本当、とても素敵です」


 アヴィの姿に言葉を失っていた皆がそれぞれにその姿を称えると、照れたのかいつもの無表情を作ろうとして、失敗して俯いている。

 またその仕種が愛らしい。



「いいなぁ。エシュメノも欲しい」

『そのうち機会があれば、な』


 ねだる我が子に答える魔物の様子が、どこか苦笑をしているように見えた。


 そういえば、エシュメノが着ているのは、そこらで拾ったのだろうと思われる粗末な布だ。

 なのに、それらを結わえている個所は、綺麗な紫色の糸のように見える。

 それもソーシャの手によるものなのか。



 連戦の上に敵に追われている焦燥の中で、少しでも心が安らぐひと時だった。

 仲間たちに覗き込まれるのに照れて逃げたアヴィが、振り返ってもう一度囁く。


「ありがとう、ソーシャ」

『……気まぐれだ』


 伝説の魔物も照れるようだった。



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